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空を仰いで、思いっきり息を吸う。それから両腕も伸ばして背伸びをすると、素早くグレちゃんから注意が飛んできた。腕の方はきちんと治るまでにもうすこしばかり時間が必要みたいだ。
──あれからの私はジョーイさんも驚くほどの奇跡的回復力を発揮し、旅に出ていいという許可を随分と早く得ることが出来た。自分の身体に何があったんだろうと不思議に思ったけれど、そのおかげでこうして退屈生活からも早く脱出できたことだし何はともあれ万々歳である。

「早くヒウンシティに行ってNくん見つけないと!」
『嬉しいのは分かったからあんまりはしゃぐな。まだ治ったばっかりなの、分かってるよな?』
「分かってる分かってる!問題ないなーい」

意外と心配性なグレちゃんはさておき、嬉しいことに久しぶりに出た外は雲ひとつない快晴。絶好の旅日和だ。肩に掛けている鞄をかけ直し、意気揚々と再びシッポウシティを出たのだった。





「……」
『……』

現在スカイアローブリッジの中間地点辺りに来ております。ゲームでは恐らく一、二分程度の時間ですいすいーっと簡単に渡れる橋だった気がするけれど、私たちはすでに三十分以上同じ橋を歩いていた。

『おい、大丈夫か?無理すんな』
「……大丈夫」

立ち止まり、後ろを振りかえって私を待ってくれるグレちゃん。最初のほうは私が先を歩いていたのにいつの間にか追い抜かされ、今では差まで付けられていた。これは一体どうしたものか……。

『ひよりちゃん体力落ちてるからキツイんじゃない?』
『オレもそう思うー。グレちゃんに乗せてもらえばー?』
『……俺も、その方がいいと思う』

ボールからの心配そうな声がちらほら。……ロロの言うとおり、元から無かった私の体力はここ最近のベッド生活のせいでさらに無くなっていた。実際既に足がガクガクではあるけれど、出来れば自分の足で渡りきりたい。

「ここまで歩いてきたんだもん…渡りきってみせるぞ……」
『……仕方ない。けど、俺が見て駄目そうだったら無理やりにでも乗せるからな』
「……はい」

細められる目に力なく返事を返す。意地でも渡ってやろう……と黙々と石のように重たくなった足を運んでさらに三十分。……なんとか自分の足で渡りきり、ようやくヒウンシティ入口のゲートにまでたどり着いた。そこで一息ついてからゲートを潜れば、想像以上の大都会が目の前に広がる。

「おっ……きいビル!」
『凄い人間の数だな……』

グレちゃんの言葉が聞こえたのか、セイロンのボールががたりと大きく揺れる。それをそっと撫でると揺れが収まった。そうして辺りを見回してみれば、どこかで見覚えのある人の姿を目の端に捉えた。

「……あれ?もしかして」

海の方を見ているグレちゃんをちょんとつついて人ごみの中を指差すと、やっぱりあの人だったようだ。グレちゃんは興味無さげに「あいつか」なんて呟いて再び視線を海に戻す。
──ふと、向こうも私たちに気が付いたようでにっこり笑みを浮かべなから颯爽と近づいてきた。

「久しぶりだね。……ええと、ひよりさん?」
「お久しぶりですアーティさん!ヤグルマの森のときはお世話になりました」

やっぱりアーティさんで正解だった。特徴的な髪形に独特の服装。向こうにはパレットや画材が見えるから、きっとこの辺で絵でも描いていたんだろう。そんなアーティさんはこっちにくるなり辺りを忙しく見回し始める。

「きみさ、Kって人にまだ目を付けられているんでしょう?あの人ここに住んでるから部下とかこの辺結構いるんだよね」
「あれ、アーティさんはKのこと……」
「彼は結構有名な財閥の人だからボクも知ってるよ。とりあえずボクのジムにおいでよ」

ぐい。手をひかれて肩を抱かれる。……近い。近すぎる。身体を強張らせているとそのまま歩き出す彼にびっくり。急いでグレちゃんをボールに戻してアーティさんを見上げてみる。

「ア、アーティさん」
「んうん?」
「こ、このままジムまで行くんですか?」
「こうしてれば少しぐらいはきみを隠せるでしょ?」

表情一つ変えないで答える彼を横目に思わず苦笑いが出た。恥ずかしいのは私だけか。確かにアーティさんの方が大きいから隠れてはいる。けれど……こ、これはちょっと勘弁して欲しかった。





「さ、ここから入って」

アーティさんに連れてこられてジムの前までやってきた。
今までのジムとは違く、ビルとビルの間に挟まっている。外装は少し窮屈そうだ。ジム自体もビルに入っているようで、その裏口から中に入って行く。

「うわあ……!」
「すごいでしょ?ボクの自慢のジム」

まるで蜂の巣の中にでもいるような気分。上から蜂蜜をたっぷりとかけられた壁紙に、蜜そのものの壁。こんなの見たことがない。本当に自分が虫になったみたいだ。満面の笑みのままアーティさんが一回ぱちんと指を鳴らすと、一部の壁がゆっくり開く。

「こっちだよ」

その先には部屋があり、アーティさんに誘われるまま足を踏み入れるとすぐに扉がしまった。先ほどの場所からではここに部屋があるなんて全く分からなかったし、隠し部屋のようなところだろうか。

「そこに座って」
「あ、はい」

言われるがまま大きな葉っぱのようなソファに座ると、アーティさんが私をじろじろ見はじめる。上から下、また上に行っては下へ流れるその目線。い、一応ボール握っとこうかな……。

「あ、あの……」
「うーん、きみにぴったりの服は何かなあ」
「服……、?」
「ああ、ええっとね、ひよりさんには変装してもらおうと思って」
「……はい?」

アーティさんを二度見をした上に、もう一度同じことを聞き返したのは言うまでもない。





「ひよりはまだなのか……」
「いくらなんでもちょっと遅いよねえ」

あれから1時間は経っただろうか。ひよりは俺たちを別の部屋に放してからアーティに連れられてどこかへ行ってしまった。そうして何も分からないまま今に至る。

「……ひより、捜してくる」
「あ!おい、セイロン!」

とうとう我慢ができなくなったのか、セイロンが立ち上がってドアノブに手をかけると丁度外側からドアが開いた。入ってきたのは見知らぬ少年……ではなく、

「……ひより……?」
「当ったりー!ねえ、どうよこれ?すごいでしょ!完全に見た目は男の子だよね?」

手に持っていた帽子をかぶると腰に手を当ててにやりと笑う。……案外気に入っているようだ。それから中腰になると目を丸くしているセイロンの頭を優しく撫でる。

「アーティさんがね、Kに見つからないようにって服貸してくれたり化粧してくれたんだよ」
「だから遅かったんだー」
「ってことで、ヒウンシティでは僕は男ってことでよろしく」

それなら納得のこの時間だが……ちょっと待ってほしい。何かがおかしいぞ。ひよりの言葉に違和感が……。

「んー……?」
「……ひより、今」
「何て言った……?」

アイツらも気付いたようで訝しげにひよりを見る。しかし当の本人は首を傾げたまま立ち上がり、アーティに借りたであろう寒色のリュックをテーブルの上に静かに置いた。

「だから、ヒウンシティで僕は男ってことで……」
「……"僕"!?」

思わず言葉を遮ってひよりの肩を掴むと、目をまん丸にして驚いた顔をされた。驚くのはこっちの方だ!なんだ今の一人称は!?

「え、なに、僕っ子プレイ?」

この際ロロの危ない発言も見逃してやろう。とにかくこれはどうしたものか……。

「なにって、もっとバレないように口調も男っぽくした方がいいんじゃない?って言われたからこうしてみただけだ……ぜ」
「……」

……ああ、これは今まで忘れてたな。一人称は僕になっていたけど普通に喋っていたのがたった今、急に変わった。不自然なことこの上ない。まあ、確かに見た目だけでも分かりにくくなったけれど口調も変えればさらに分からなくなるだろう。

「この格好なら外に出ていいって!ってことで早速行ってみよう!」
「ジム戦はどうすんだ?」
「アーティさん、少し用事があるんだって。それが終わるまで観光はどう?って言われてさ」
「観光!いいねー!オレなんか食べたいー」
「わた……じゃなくて僕も!」

頑張って直そうとしているひよりが面白い。というのは言わないでおこう。ロロも同じことを思ったのか、くすりと笑うと何も言わずにボールに戻った。俺も戻ってのんびり待機していることにしよう。



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