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「暇ー、暇だよグレちゃんー」
「我慢しろ」

いかにも面倒くさそうに目線さえこちらに向けないまま一言だけそう返すグレちゃんは、少し離れたテーブルで自ら淹れたコーヒーを啜っている。元野生のポケモンともあって、一緒に買い物に行っていたときにはありとあらゆるものに興味津々の様子を見せていたものの、最終的なお気に入り商品はコーヒーに落ち着いたようだ。どこまで人間味が増していくのか、私はそっちに興味津々である。

──……あれから数日が経ったものの、未だベッドで一日を過ごす日々が続いていた。そして今日も特にやることもなく、膝の上で昼寝をしているコジョンドくんを撫でつつカップを指に引っ掛ける。ロロが私のためにと紅茶を淹れてくれたのだ。いい香りに思わずうっとりしてしまう。

「そういえばコジョンドくんの名前どうしよう。チョンのちゃんとした名前もまだだったっけ」
「そういやそうだな。色々忙しかったから仕方ないだろう。……ほら、辞書、」
「ありがとう」

ポケモンセンターで借りた辞書をグレちゃんから受け取って、とりあえず適当にぺらぺらとめくってみる。未だ復活しない右手を支え辞書を固定し、左で薄っぺらい紙を飛ばしながら流し見た。読んでいる、というよりもページをめくるたびに微風に乗ってやってくる紅茶の香りを楽しんでいる、という方が正しいかも知れない。

『……ん、』
「あ、おはようコジョンドくん」
『……いい匂い』
「紅茶だよ」

鼻をひくひくさせるコジョンドくんにティーカップを渡すと、すんと匂いを吸い込み小さなため息を漏らす。

「紅茶、飲んだことある?」

首を左右に振るコジョンドくんに「飲んでみて」と促した。カップの中で揺れる水面をじっくり見てから一口飲むと、目をぱちくりさせながら私を見上げる。…あまり表情には出てないけれど、コジョンドくんの口にもばっちり合う味だったらしい。

「ねえ、コジョンドくんは名前、何がいい?」
『……名前?俺に、くれるの?』
「もちろん!……うーん、どうしようかな」

慌ただしく瞬きを繰り返したり右から左へ目線を行ったり来たりさせるコジョンドくんを眺めつつ、思いつく名前を頭の中で口に出す。コジョ、ジョン……コドジョン、!?うーん、このネーミングセンス!誰かにどうにかしてもらいたい!

『……ひより、』
「ん?」

顔をしわくちゃにしていると、袖をちょいと引っ張られる。視線を向けるとコジョンドくんが紅茶を私の目の前に差し出し、小首を傾げていた。水面に映る自分の顔に改めてハッとしてから表情を引き締める。

『……ひより、これ、好き?』
「うん、好きだよ。いい匂いだし美味しいし」
『……じゃあ、俺の名前これがいい』
「そ、それでいいの!?」
『……ひよりが好きなら、それでいい』

はて、どういうことだろうか。まあ本人がそれで良いと言うなら…しかしダイレクトに"紅茶"っていう名前はこちらとしても呼びにくい。そうだ、この紅茶自体に何か名称は付いていないのか。またまたグレちゃんに茶葉の入っていた袋を取ってもらって、裏表記を眺めてみる。…パッと目に入るそのカタカナに、直感でこれだ!と脳が叫ぶ。

「コジョンドくん、"セイロン"って名前はどうかな?」
『……セイロン、』

緩やかなカーブを描きながら私と目線を合わせると、ティーカップを両手でしっかり持ったまま大きく頷くコジョンドくん。よーし、コジョンドくんの名前はセイロンで決定だ!紅茶が零れないように気をつけながら、可愛らしいその姿をぎゅっと抱きしめる。それに答えるかのように私に擦り寄るセイロンは癒しの他の何物でもない。

「無邪気っていいね……子供っていいね」
「お前今子供になりたいとか思っただろ」
「俺も子供になってひよりちゃんとあんなことや、こんなこ、」
「寝言は寝て言え」

机に突っ伏しながらセイロンを見ているロロをグレちゃんがぺちんと軽く叩いた。全くもってグレちゃんの言う通りだ。純粋無垢だからこその子供である。ロロみたいな子どもがいて堪るものか。

「そういやチョンはまだ散歩から帰ってきてないのか?」

窓に近づき空を見上げるグレちゃん。それに釣られて私も窓の外を見る。……噂をすればなんとやら。小さかった姿がどんどん大きくなってきて急に風が強くなったかと思うと、窓からチョンが勢いよく入ってきて迷わずベッドへダイブを決める。それと同時に擬人化すると、私の上にどしりと乗っかり満面の笑みを見せた。

「これ、ひよりにあげるー!」
「わあ、綺麗……!」

差し出されたのは色とりどりの花で作られた綺麗な花束だった。腕の中にいるセイロンが花束に鼻を近づけ小刻みに動かしている。何気ない仕草ですら可愛い。貰った花束を少し離して見てみると、真っ先に白色の花に目が行った。何となく気になってその花をじっと見ていると、チョンが一輪抜き取り私の耳上辺りにそっと添える。自分ではどんな姿か見えないものの、慣れないものにムズムズする。

「この花はアイリスっていう花なんだって。ひより、とっても似合ってるー!」
「本当にありがとう、チョン。すっごく嬉しい!」
「えへへ、どういたしましてー!早く怪我、良くなるといいねー」

手洗ってくるー、とベッドから降りるチョンを見送り、私も受け取った花束に鼻を埋めて軽く吸い込んでみる。甘い匂い、久しぶりに嗅ぐ植物独特の匂いに妙な安心感を得つつ、うっとりため息を吐いた。貰ったお花、是非とも私が花瓶に生けたいところではあるけれど、未だ自由に身体を動かすことが出来ない。

「グレちゃんこのお花、花瓶に飾ってもらってもいいかな?」
「ああ」

伸びてきた腕にお花を渡す。ふと、急にぴたりと石のように固まるグレちゃんに私も一度動きが止まる。グレちゃんの目線の先をゆっくり追うと、薄ピンク色のユリに似た花があった。生憎、私は花の名前に明るくない。何と言う花なのか分からないけれど、あれもとっても綺麗な花だ。

「グレちゃんはその花が好きなの?」
「……そうだな」

私の声でハッとしたように背を向けながら相槌を打つと、グレちゃんは花瓶を借りるため部屋を出て行ってしまった。心ここに有らず、といった返事であった。いつもと少し様子が違う気がしたけれど、思い当たることは特に無い。勿論、気にならないと言ったら嘘になるけど詮索したいとは思わない。

"ロロにも色々あるように、オレにも色々あるしひよりにもある。きっとグレちゃんにもあるんだよ。"

以前チョンが言っていたことを思い出す。私の知らない過去なんて沢山あるに決まってるのだ。過去は過去、今は今。そう無理やり割り切って、うとうとと船を漕いでいるセイロンを撫でては色とりどりの綺麗な花束を思いだすのだった。



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