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──目を覚ますと、真っ白の天井が広がっていた。シミ一つない、綺麗な壁だ。
顔を横へ向けてみれば、白いカーテンがゆらりと波打つ。開放的な窓からは心地いい風が入ってきては、私の頬を撫でていた。……足元だけがやけに重い。それが何かを確認するため、気だるい上半身を起こそう力を入れた瞬間、

「痛……ったああああ!」
「……ひより!?」

全身に走る激痛に耐えられず、思う存分大声をあげてからボスンと柔らかい枕に戻る。……ど、どういうことなのこの痛さ。これは本当に自分の身体なのか否か。未だに何が何だか分からないまま、目の淵に溜まる涙を人差し指で掬いあげる。ふと、上から私を覗きこむのは心配そうな表情を浮かべるグレちゃんだった。こんな顔、見たことない。

「だ、大丈夫か……?」
「なにその顔!面白……い、」

笑っても痛いし笑わなくても痛い。何をしても痛みが走る。それより何故、ここに私は寝ているのかよく分からない。如何せん、記憶が何故か曖昧になっているのだ。思うように動いてくれない身体にイライラしつつ、何故か深いため息を吐きながらベッドの端に座るグレちゃんを目だけ動かし見つめてみた。力ない視線が返ってきたと思うと、次の瞬間には怒鳴られる。

「ひより!お前はまた一人で何やったんだ!?」
「え!え、ええと……コジョフーくん見つけて、……崖から飛び降りて……、ああ、そっか、そういうことかあ……」
「ちょっ……と待て。どうしてその流れになった!?"飛び降りて"!?馬鹿か!」

はい出ましたグレちゃんの"馬鹿か!"それに続けて、だからこんなになったんだぞ!なんて怒声が飛んでくる。進化してから余計威力が増したものの、何故だかグレちゃんのはそんなに怖くない。

「助骨と右腕骨折。その他擦り傷きり傷計約二十ヶ所」
「へえー……ええええ!?何それ私のこと!?」
「お前以外に誰がいるんだよ。……そのうえ三日も目覚まさないで、」

ど、通りで痛いわけだ。言われて見れば見事にぴっちり固定されている我が右腕。というかこうやって言葉にされても現実味が全くない。痛いことには痛いけど、今言われたのが私のことだと信じられないのは、やっぱり私が馬鹿だからなのか。それからグレちゃんは腕と足を組んで、「全く、」と二度目の大きなため息を吐く。

「起きて一番に笑われるって何なんだよ。どんだけ俺がお前のことを心配したと思ってんだ。おかげでこの三日、全然寝れな……」

グレちゃんが言葉を途中で切り、顔を横へ背けたと思うと口元を片手で覆う。それに首を傾げつつ、すっかり言い忘れていたことを思い出す。

「……心配、かけたんだよね」

動かせる左手でグレちゃんの服の裾を掴むと、片手を降ろしてゆっくりと顔をこちらに向ける。日の当たり具合もあるだろうけど、目の下にはくっきり隈が出来ているし、心なしかやつれているようにも見える。

「ごめんね、グレちゃん」
「……このまま、ひよりが目を覚まさないんじゃないかって、何度も思った」
「本当にごめん。ほら、もう大丈夫だから、ね?」

視線を逸らすグレちゃんの頬に手を移動して、出てくる言葉はやっぱり謝罪の言葉である。
そのとき、乱暴に開いた扉から「たっだいまー!」と明るい声が部屋に響いた。鼻歌を歌う見知らぬ男の子に続いて、紙袋を抱えたロロが「ただいま」とこちらを見た瞬間、目を見開いて手からは紙袋がぽとりと落ちる。

「グ、グレちゃんがひよりちゃんを襲ってる……!」
「「……は?」」

ロロに言われて改めて今の状態を確認してみると、私は普通に横になっててグレちゃんはベッドの端に座って両手をベッドに押し付け、私を上から見るような状態。ロロの方からだとグレちゃんの背中しか見えないから……そう見えると言えば、見えるかも、知れない。

「寝込みを襲うなどうのこうの言ってたのは誰だっけ!?ええ!?」
「ち、違う!何もしてない!」

二人のやり取りをいつも通り微笑ましく黙って眺めて見ていれば、見知らぬ男の子とロロ、二人と同時に目が合った。すると二人とも動きが止まり、まさにきょとんとした表情で私を見る。

「ロロもチョンも、ひよりのことをずっと心配してたんだぞ」
「……その、ロロの隣に居るのって、」
「お前が眠っている間にチョンも擬人化できるようになったんだ。ロロが前に言っていた擬人化の条件…あながちそれも、間違ってはいないんだろう。チョンを見ていてそう思った」
「──……」

黒い髪に前髪と左端に赤いメッシュが入っている彼。一見厳つい外見ではあるけれど、それらを全て打ち消しているのは緩やかな垂れ目と彼独特の雰囲気だ。鮮やかな黄色の瞳が水分を含んで、顎に皺を作りながら唇を噛みしめている。
グレちゃんが「ほら、」と顎で私を促す。ハッとしてから腕に力を込めて上半身を起こそうとすると、グレちゃんが背に手をやって起こすのを手伝ってくれた。……ああ痛い、でも、だからこそ生きている心地がする。

「ロロ、チョン、心配かけて本当にごめんね。でももう私、大丈夫だから!」
「……う、ううー!ひよりー!」

言葉を言い終えるが早いか、叫び声とともにチョンが両腕を思い切り広げながら勢いよく飛び跳ねてベッドがぼよんと大きく揺れる。私を跨いで膝立ちすると、そのまま腕が伸びてきた。ぎゅう、と思い切り抱きしめられる身体は痛い。

「オレだってすっごく心配したんだよ!?分かってる!?」
「チョン……く、苦しい……!」

背中をぱんぱん叩いてみても、ますます力は増すばかり。……あ、あれ。意外と大きいし力強い。ポケモンの姿の時はほわほわーとした雰囲気や口調だったから勝手に可愛らしい子供の姿を想像していたけれど、それは大きな間違いだったようだ。外からの温もりを感じつつ、耳元で聞こえてくるスンスンと鼻を啜る音に戸惑いを感じる。

「チョ、チョン?」
「ひより、このまま起きないかと思ったよー…良かった、本当に、よかったあー……」
「……ごめんね」

そっと背を撫でるとさらに力が込められたから、これ以上はマズイと思ってグレちゃんに助けを求める。一旦離してもらったものの、チョンはそのままベッドの上でぽろぽろ涙を落とすばかり。……もらい泣きしてしまいそうだ。

目頭が熱くなり始めた頃、頭に突然重みを感じる。そのまま乱暴に私の髪を掻き乱すように撫でているのはロロだった。それに飽きると前屈みになり、顔をすぐ横まで持ってきて私との距離をぐっと縮めるロロとまっすぐ目線を合わせることは出来ない。……わざわざ私に忠告を残していったのは、紛れもないこのロロなのだから。

「俺たちが来るまで待っててって、言ったよね?」
「……話をするぐらいなら大丈夫かなあって、」
「え?」
「ご、ごめんなさい」

ロロにこんなの通じるわけがないのは分かっていたにも関わらず、いつもより低いトーンの声にびくびくしながら咄嗟に出たのは言い訳だ。何となく雰囲気がいつもより刺々しいし、怒っているのは間違いない。

「ひよりちゃん。俺たちは君のポケモンだ。君に何かあったら、俺たちはどうすればいいと思う?」
「そ……それは、……」

そんなの、すぐに答えられるわけがない。考えたこともなかったし、こんなことをあえて聞いてくるロロは残酷だ。目線を逸らせば片手で顎を掴まれて、そのまま斜め上に持ち上げられる。すぐ目の前にある、綺麗に輝くオッドアイに見るに堪えない自身の顔がくっきり映る。

「もっと自分を大切にしてよ。ひよりちゃん自身のためにも、俺たちのためにも」
「……ごめん、……ごめんなさい」

目線を逸らしても近すぎて視界に必ず入る。無駄にしっかり固定されてて動かせないし一体どうすれば、なんて目を泳がせていればロロが急にくすりと笑う。それに驚いていると掴まれていた顎をほんの少しだけ下げられて視界に影が落ちてきた。……目元に柔らかな感触と、少しの体温を感じる。

「ひよりちゃんには笑顔が一番似合うんだから、泣かないで」
「……は、はひ、っ!」
「あはは、やっぱり涙はしょっぱいかあ」

……ご、ご丁寧に音まで付けてくれた上に舐められた。顔全体に一気に熱が集まってくるのが自分でも分かってしまい、咄嗟にベッドに潜り込み頭まで毛布を被った。頭上で飛び交うグレちゃんとロロの声を布団の中で流し聞きつつ、溢れるほどの羞恥心をどうにかしようと意味も無く思いきり目を瞑った。


──コンコン。

小さなノック音が部屋に鳴る。毛布をほんのすこしだけ下げて、音の聞こえた方へと目線を向けると遠慮がちにゆっくり開く扉が見えた。それから蚊の鳴くような声がする。

「……あの、ひより、は、……」
「?、私ですが……、うぐ!」

瞬間、乱暴に扉が開いて壁とぶつかり跳ね返る。大きな音が響くと同時ぐらい。私に向かって何かが思い切り飛びついて来た。その衝撃からの痛みに耐えつつ、必死に私にしがみ付くそれを見てみれば、なんと、小さい男の子が毛布に顔を埋めているではないか。よろよろと再び上半身だけ起こしてみるが、その男の子は動かない。

「……ひより、ひより……っ」
「え、えーっと、……誰かなー……?」

顔が毛布で隠れているため見えないままではあるけれど、小さいというだけで可愛いという言葉に結び付く。私が頭をそっと撫でると小さい手には力が込もる。も、ものすごく可愛いぞ。一体この子は誰なんだ。

「そうか、ひよりはコイツが進化したのを知らないのか」
「……進化……、」

グレちゃんの言葉で思い当たるのは、ただ一人だ。

「もしかして、コジョフーくん!?」
「今はコジョンドになっているけどな」
「……コジョンド、くん?」

こくり。頷きながら顔を上げたコジョフーくん改めコジョンドくんがゆっくりと顔上げる。唐草色の瞳と目が合って、少しばかり大人びた目元に感嘆のため息を漏らす。見た目もそうだけど雰囲気までも全然違う。もしもこの子がコジョフーくんだと言われなかったら、私は気が付くことが出来なかったかも知れない。

「……ひより、もう、大丈夫?」

一緒に崖から落ちたであろうコジョンドくんにも「大丈夫?」と聞きたいところだけど、頬にガーゼが貼ってあるぐらいで他はなんともなさそうだから大丈夫かな。ポケモンは人間より何十倍も頑丈というのは、どうやら本当のことらしい。

「んー……?なんか違和感。何だろう」
「……ひより?」
「ああーっ!コジョンドくん、私の名前を呼んでくれてる!」

照れたようにこくりと頷くコジョンドくんを目の前にわなわなと口がだらしなく開いてしまう。何かと思ったらこれだったのだ。あんなに私を睨んだていた目はもう何処にもない!あるのはこの可愛い目だけだ!脳内で小躍りするぐらい嬉しい中、コジョンドくんがあの傷だらけのボールを手の中に潜めていた。それをゆっくり私の目の前に差し出しながら、顔を上げる。

「……ひより、俺に言ってくれたよね。"一緒に旅をしよう"って。……お、俺、弱いし、全然役に立てないかもしれない。でも、」
「コジョンドくん。もう一度、言ってもいいかなあ」
「……?」
「私と一緒に旅をしよう。私と一緒に、強くなろう。いつかきっとコジョンドくんもとっても強いポケモンになれるよ!大丈夫!」
「……ひより、……!」

頭をゆっくり撫でていれば顔にぐっと力を入れて唇を噛みしめるコジョンドくん。頬に手を添えるとじんわり体温が伝わってきた。目には大粒の涙がたっぷりと溜まっていて溢れる前に親指で掬いあげるとくすぐったそうな仕草を見せる。それからコジョンドくんが赤い目を長い袖でぐいと拭うと、ぎこちなく口元を緩めて目を細めた。

「……俺も、ひよりと一緒に旅がしたい。"俺"を受け取って、ひより」

小さな両手に乗っかる"モンスターボール"をしっかり受け取り胸元に宛がってからぎゅっと抱きしめる。祈るように目を閉じて、次に開けると切れ長の瞳をこれでもかと大きく開いて私を見ているコジョンドくんと目が合った。ハッと、一度肩を揺らすコジョンドくんを不思議に思いながら、一旦ボールを膝の上に置く。

「これからよろしくね、コジョンドくん」
「……うん、!」

差し出した左手をゆっくり包み込む両手はしばらく離れることが無く、いつまでも私の手を温めてくれていた。


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