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──……暖かい、?
あるはずのない不思議な感覚を感じながら重たい瞼を持ち上げた。少しばかり痛む上半身を起こして見ると、お腹の辺りに白い腕が乗っていた。……まさか、と腕の先へと目を向けて、そこにあった姿に目を見張る。

『……ど、……どうして、』

"ひより"。この人間はそう名乗っていた。
ぐったりと伸びているその身なりは土で泥だらけになっていて、服は所々破けている。上を見ると沢山の葉が重なり緑を作っているその中に、不自然な空洞が出来ている。枝が折れ、葉っぱも全て散っていた。その先、見えるのはさっきまでいた崖である。茶色の肌は雑に途切れて今もなお少しばかりの崩落を続けている。
……そうだ、俺は確かにあそこから落ちたはず。落ちたのは、俺だけだった。なのに隣にいるこの人間は、。

『……夢じゃ、なかったんだ……!』

意識を手放す少し前、抱きしめられる夢を見た。久しぶりに触れた温もりに思わず縋ってしまったことを後悔する。
慌てて乗せられている腕から抜けだし、恐る恐る手を伸ばす。少し触れ、その冷たさにびっくりしつつ汚れた頬を軽く突いてみたものの、反応は一切無い。人間は俺たちポケモンより身体のつくりが脆いらしい。少しの衝撃でも致命傷になることもあるという。……冷や汗が、止まらない。

"本当は人間が好きなんじゃないかな"

『……そうだよ、きっとそうなんだ!』

"強くなりたいのは人間のために戦いたいからだよ。役に立ちたいからだよ"

『……認めるよ。だからお願い……目を開けて……』

今までの主人たち、皆初めは俺を強くしようと努力してくれていた。けれどそれに答えられなかった俺がいけなかったんだ。知っていた。分かっていた。ただ……役に立ちたかっただけなんだ。いつか強くなって、今まで見てきたポケモンたちのような、主人に頼ってもらえる存在になりたかった。……分かっていても、理由をこじつけここまで逃げてきた罰がこれなのか!

『……もう逃げない、逃げないから、……っ!』

……せっかく伸ばしてくれた手を振り払ったのは自分自身。今更後悔しても仕方が無いけど、不意にさっきまで笑っていた"ひより"の顔が頭に浮かんで何とも言えない感情が込み上げる。……ふと、ゆっくり伸ばされた腕に顔を上げ、滲む世界に光を捉える。

「……大丈夫、だった?コジョフーくん、」
『……ッ!』

伸びた腕は俺の頭に優しく乗せられ、愛おしむように何度も滑る。……何度も俺は傷つけた。何度も貴方を怖がらせた。それなのに、どうして変わらず笑ってくれる?

『……ご、めん……俺、!』
「大丈夫だから、……泣かないで」

そういうと、突然ひよりが呻き声を上げて体を丸める。いつの間にか下がっていた視線をあげてひよりを見ると、その瞳はまた閉じられていた。……こうなったのは俺のせいだ。泣いている暇なんてない。早く何とかしなければ。
見る限り目立った外傷は何処にもない。腹部を押さえているあたり、中身に何かあるのかもしれない。ならば下手に動かすことはできないし、ましてや他より身体の小さい俺が、例え人間の姿になろうとも固定したまま運ぶことは不可能だ。

『……そうだ、確かゼブライカがいたはず……一緒じゃないのか……?』

あの大きなゼブライカなら運べることが出来たのに。ボールが付いているはずのベルトを見るが、ゼブライカのボールどころか一つも腰についていない。手持ちポケモンを一体も持たずに俺を探しに来た無謀さにも驚きながら、どうすればいいのか考える。―……そんな時、ガサリと不気味な音が鳴る。神経を尖らせ身を構え、やってくるそれを思い切り睨みつけた。同じポケモンではあるけれど、野生ともなると話しは違う。

『お前、ここを何処だと思ってんだ』

がさがさがさ。不穏な音は一向に止まず、無数のフシデたちが続けて林から身体を這わせてやってくる。……どうやらここは縄張りだったみたいだ。これならまだ、人間の方が良かったかも知れない。
後ろには動けないひより、目の前にはフシデの群れ。……ひよりを守り切ることは、今の俺では到底できない。

『……話を、聞いてほしい』
『人間なんかに飼い慣らされてるポケモンとなんて関わりたくもねえ。ガキは野生の事情なんて知らねえだろうけど、ここに来た以上見逃すことはできねえなあ』

周りのフシデの動きも不自然だ。話さえ聞いてもらえればどうにか衝突は間逃れたのかも知れないけれど、相手は聞く耳すら持ち合わせていなかった。……これでもう選択肢は一つしか残されていない。……蹴り技なら、外さない自信はある。

『お前ら、いけ!』

ホイーガの合図と同時に一斉にフシデたちが向かってくる。生まれる向かい風に目を細め、右手を前に型を取る。……今度は俺が守ってみせよう。手を差し伸べてくれた、物好きな貴方のことを。





「うん、分かった。どうもありがとう」

可愛い女の子たちの背に手を振ってからため息を吐く。あれからどれくらいの時間が経ったのかは分からないけれど、有力な情報は未だ一つも掴めていない。さあてどうしようか、なんて振り向いてからあらびっくり。

『なにやってんだよ馬鹿猫!』

聞きなれた怒声と共に背中に思い切り衝撃が走る。いつもなら避けられる速さなのに今回に限ってまともに体当たりを食らった俺は、軽く吹っ飛ばされて林にダイブ。頭をさすりながら体を起こすと、見るからにお怒りなご様子のゼブライカが上から鋭い睨みを利かせている。

「グレちゃんこわーい!そんなお顔じゃひよりちゃんに嫌われちゃうぞ?」
『……』

無言の威圧に頬を引っ掻く。誤魔化そうと冷やかしを言ってみたものの、逆効果だったみたいで今にも顔面を全力で踏みつぶされそうな何かを感じる。それに何か誤解されてるみたいだから、とりあえず俺もポケモンの姿に戻って事情を説明することにした。

『だからね、子猫ちゃんたちに話を聞いてただけなんだってば。遊んでたわけじゃないよ』
『で、何か分かったのか?』
『結構な人数に聞いて回ったけど誰もコジョフーくんは見てないって。グレちゃんの方は?』
『……こっちも駄目だ』

不服げに相槌を打つグレちゃんを見てから視線を外す。……人間嫌いなコジョフーくんが人間の沢山いる街に逃げるっていう可能性は低いとは思っていた。それでも"もしかすると"を信じて探しまわってはいたけれど、これだけ聞いても情報が無いということはやはりここにはいないのかも知れない。となるとヤグルマの森か、はたまた未だ街の何処かに隠れているのか……。

『……あっ、いたいたー!』

そんなとき、上空から聞こえてきたのはチョンの声。のんびり屋の彼にしては珍しく慌てた様子。それに急いで飛んで来たのか、言葉が途切れ途切れになっている。

『どうしたの?』
『ひより、ひよりがー!』
『ひよりに何かあったのか!?』

大切なマスターの身に何かあったと知って、必死にならないポケモンはいない。上下に大きく頷くチョンは説明する時間も惜しいのか、視線は向こうに羽を広げて宙に舞う。

『とにかくオレに付いてきて!早くしないと、!』
『ロロ、行くぞ!』

色々な最悪な事態を想像しては、心臓を握られる感覚に陥ってしまう。俺の忠告ぐらいで彼女を縛れる訳が無い。そう思ってはいたものの、まさか本当にそうだったとは。慌てて頭を振ってから、駆けだすグレちゃんに続いて地面を思い切り蹴り上げた。……これが後々余計な心配となることを、心の中で必死に祈る。





『小せえ割りに頑張ってるようだな?』

コジョフーの周りには倒れているフシデが数十匹。しかしそれを囲むようにしているフシデの数は一向に減る気配がない。

『手前がそんなになってまで守る価値がある人間なのか?そこの女は』
『……ひよりは今までの人間とは違う』
『まあ、そんなことはどうでもいい。……遊びはここまでだ。お前ら、このままガキと人間片付けな』
『っ!』

再び一斉に襲い掛かってくる。今までは全て前方から向かってきていたため何とか蹴り飛ばせていたものの、今度は違う。……反応が鈍い左側にも彼らはいるのだ。
そして一番速く来たのは前方のフシデたち。素早くローキックで転がして次は右。パンチの方が素早くだせるものの、ここで技を外すと致命傷になるためそのまま蹴りで倒してゆく。

『後ろがガラ空きだぜ!』

左から襲い掛かるポイズンテール。コジョフーは反応が遅れ、毒尾を食らい近くの木まで叩き飛ばされた。ミシリ、身体から軋む音がする。大きく咳き込みながら小さな身体を無理やり起こす。彼女との距離を刻一刻と縮めるフシデたちの姿を、眩む視界に必死に捉える。

『……俺が、ひよりを守らないと……!』

瞬間、辺り一帯を眩い光が包み込む。眩暈を覚える眩しさにフシデたちが目を細めた直後、仲間の呻き声が辺りに響く。何が起こっているか分からないホイーガは、目を凝らしながら声のする方向へと視線を向けた。

『……ひよりには……触らせない……!』

彼女の周りを取り囲んでいた仲間たちが、揃いも揃って地に伏している。それからその中心で堂々と立っているコジョンドの姿を捉えて心の中で舌打ちをする。思い通りに事が運ばず、不満を隠すことはできないようだ。

『進化か……でもチビはチビだ。お前ら怯むな!』

後ろにいるはずの仲間に声をかけるも応答無し。素早く振り返ったホイーガはガラ空きとなった背後に唖然とした後、仲間の代わりそこに佇む三匹のポケモンを前に一歩後ろへ後ずさる。

『もう仲間さん達はいないみたいだが?』
『ここらへんで退いた方が身のためだと思うけどなあ』
『……くそ、』

ゼブライカとレパルダス。この二匹だけなら野生としての意地があるホイ−ガにも戦うという選択肢があったのだ。しかしそれをあっさりと消した残りの一匹に、本能が一斉に働き始める。鳴り響く警報にぶるぶると身体を震えあがらせ、鋭利な嘴から目を離すことが出来ない。

『もし退いてくれないんならー……オレが食べちゃうぞー?』

瞬間、ホイーガは凄まじい速さで林へ向かって駆けだした。あっという間に姿は見えなくなり、その光景に脅した張本人は力なくうな垂れて上に挙げていた翼を下へゆっくり降ろす。

『ううー、冗談なのにー……』
『チョンが言うと本気に聞こえるよね』

いくらオレでも食べないよー!なんてロロを突くチョンの横で、真っ直ぐ一点を見つめるグレア。その視線の先には傷だらけのコジョンドと、……倒れたままピクリとも動かない、大切な彼女の姿があった。





『……』

今すぐにでもひよりの元へと駆け寄りたいところだが、まずは目の前のチビ改めコジョンドが問題だ。ホイーガたちに巻き込まれてやられたのか、はたまたアイツにやられたのか。何はともあれ、正しく見極めなければ後ろにいるひよりの身がさらに危ない。

『──……どうするグレちゃん』
『どうもこうも下手に動けない』

こそり、小声で話すロロも焦っているのかいつもよりも早口だ。……そのとき、目の前に突如現れる煙。コジョンドが擬人化したんだろう。自分たちもよくやることだからすぐに何か分かったものの、不安が消えることは無い。俺も急いで擬人化をしてから、黙ったまま見守った。
色素の薄い金髪はくすんだピンク色になり、丸みを帯びていた目つきも以前よりも切れ長になっている。あまり外見年齢が変わらないのは身体が小さすぎるためなのか。コジョンドがどう動くかを見ていると、俺たちに背を向けひよりを横にしたまま抱き上げる。

「……おい、ひよりに何するつもりだ?」

自分でも驚くほど低い声が出た。自分が思っている以上に、いつの間にかひよりはそれほどの存在になっていたらしい。ふと、コジョンドは俺に近づいて来たかと思うと、抱えたひよりをゆっくり俺に受け渡す。──……直後、傾く身体は地面に向かって倒れ込む。

「お、おいチビ!」
「……俺のせいでこんなことになったんだ。早く、ひよりを、!」

消えゆく声を必死に拾う。……コジョンドを警戒する必要は無かったと、今更気付いても仕方が無い。
腕に抱えたひよりの身体は冷え切っていて、一気に全身の血の気が引く。一瞬、"アイツ"とひよりの姿が被り、頭の中が真っ白になる。「やめてくれ、」。無意識に呟いた言葉は誰にも聞かれず、無我夢中に走り出す。



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