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グレちゃんの背に乗せてもらい、大急ぎでシッポウシティのポケモンセンターへ戻る。あれからぐったりとしたまま目も開けることのないコジョフーを腕に抱えて飛び込むと、ジョーイさんも険しい表情でストレッチャーに乗せタブンネさんを率いて手術室へと足早に入って行った。

部屋の前に設置してある長椅子に座って治療が終わるのをひたすら待つ。流石にポケモンの姿では大きすぎるグレちゃんは人気の無いところで擬人化してから私の隣に静かに座る。ロロとチョンもボールから出てくると私の膝の上に乗ったり足元で丸くなったり。
何も言わずに寄り添ってくれるのはとても有難く、ここに来て今日一日の疲労が眠気となって襲ってきた。こくり、こくりと船を漕ぎつつ、コジョフーへの心配からおちおち眠ることもできない。

「……ひより、」

どれぐらいの時間が経っただろう。グレちゃんに肩をたたかれ顔を上げると、"手術中"のライトが消えて暗くなっていた。慌てて立ち上がるのと同時だろうか。ロックされていた自動扉が開いて白く薄い帽子を外すジョーイさんがやってくる。

「あっ、あの……!」
「もう大丈夫ですよ。一晩安静にしていれば明日にでも動けます」
「よ、よかったあ……」

ジョーイさんの目線を追うと、部屋の中ではコジョフーが簡易ベッドの上で静かに横になっていた。私にはよく分からない機材から伸びている管は色とりどり。それからジョーイさんからこんなことになる前に連れてくるよう、やんわりとした注意を受け、それに謝りながらお礼を言う。ついでに明日、コジョフーと会える時間帯を聞いてから予約していた部屋へと向かう。

「……気が重い」
「子猫ちゃん、可愛いお顔が台無しだよ」

部屋に入るや否や、すぐさま擬人化したロロが後ろから私の両頬をぐいと掴んで横に伸ばした。掴まれているところが次第にじんじんと熱を帯びてくる。地味に痛いし"子猫ちゃん"という私には到底似合わない単語に若干の苛立ちを覚える。仕返しにもふもふしてやろうかと思ったけどそういや人間の姿になってたんだなあと肩を落とした。

「今日はひよりちゃんも疲れているでしょう?もう寝なよ」
「寝たいけど、眠れないというか……」
『オレと一緒に寝るー?』
「遠慮します」

どこかで似たようなやりとりをした覚えがあるけれど、チョンは寝相が最悪なので却下である。……しかしまあ、疲れているのは本当だ。眠れないとは思うけど形だけでも寝ておこう。コジョフーのことを考えると明日を迎えたくないけれど、ロロの言葉に甘えてみんなより先にベッドに潜る。
コジョフーのトレーナーであった男の居場所はもう分からないし、返すことは不可能だ。かといって野生に戻すのもなんとなく不安である。とにかく明日コジョフーと話をし、それから先のことは決めよう。毛布を口元まで手繰り寄せ、身体を丸めながら目を閉じた。……部屋の電気が消えたのは、それからしばらく経った後だった。





「……」

部屋の前、傷だらけのボールは私の手の中にある。凹みやら引っかき傷やら、どうやったらこの硬いボールにここまでの跡が残るのか不思議でならない。目が合ったときのあの雰囲気、それから指示を受けても無言のまま淡々と戦う姿を思い出す。
深呼吸をしてから自動扉のボタンを押す。機械音とともに開いた扉をくぐり抜け、安静室へと足を踏み入れた。一定の温度を保つ部屋、私だけは緊張からなのかだんだんと暑さを感じ始める。

『……!』

入ってきた私たちに気付くや否や、バッと勢いよく身体を起こして体勢を前のめりに威嚇するコジョフー。繋がれていた管が揺れ、点滴スタンドが音を立てる。目が覚めたら知らない場所に知らない人がいる部屋に閉じ込められているこの状況、コジョフーが警戒するのも無理は無い。

「私、貴方のトレーナーと戦ったトレーナーです。……分かる、かな」

フーッ、と威嚇する声はまだ続く。ポケモンの言葉が分かるといっても、相手が喋らないなら分からないのは当たり前。肯定も否定もしないコジョフーを前に、ゆっくり距離を縮めて行く。

「怖がらないでも平気だよ。ここはポケモンセンターだから、安心して」

私の言葉は分かっているはず。しかし何時まで経っても毛を逆立てたまま、私を睨みつけるコジョフーにもうお手上げ状態だ。ふと、ベルトに付いているボールが揺れた。スイッチを押すと出てきたのはグレちゃんで、ベッドの上の小さな脅威をジッと見つめて鼻先を持ち上げる。

『チビ。もうお前も気付いているんだろう?……自分が捨てられたっていうことに』
「グ、グレちゃん!」
『遅かれ早かれ知ることだ。最初に言ってやるほうがチビのためだ』

私にあった視線は再びコジョフーに戻る。……本当は私が伝えるべきことなのに、それを代わりにグレちゃんが言ってくれたのだ。申し訳なさと一緒に肩の荷が下りたのもまた事実。……情けない。
警戒音が止み、見ればコジョフーの視線は下を向いている。やっと近づけるようになり、じりじりとさらに距離を縮めてから腕を伸ばす。伸ばした腕の先、手のひらにはボールを乗せている。コジョフーのボールだ。

「はいこれ、貴方のボール、」
『……ッ!』

瞬間、何かが私の目の前を横切った。気付けば手のひらからボールが消えて、横一直線に赤い線が出来ていた。ぷつり、浮かび上がる豆状の赤に私自身がびっくりする。何が起こったのかさっぱり分からず"痛い"という感覚が未だ追いついて来ていない。

『おい、チビ!』

ばちりと青白い電気が派手に走る。低く呻るグレちゃんの先にはコジョフーがいて、私が持っていたはずのボールを小さな腕で必死に掴み、私から隠すように抱え込んでいた。……赤い瞳が私を突き刺すように睨み、絞り出すような声を出す。

『"俺"に触るな……っ!』
「コジョフー……くん……?」

直後、煙が目の前で湧きあがる。……なんと、コジョフーくんが人間の姿になったのだ。色素の薄い金髪に瞳からは赤が覗く。中華を感じさせる衣服を纏う少年に私とグレちゃんは驚きを隠せない。
そうこうしている間に、コジョフーくんに繋がっていたはずの管が弾け飛んで宙を舞う光景を目の当たりにする。点滴スタンドも大きく左右に揺れた後、床に倒れて音が弾けた。慌てて後ろを振り向けば、一旦開いたであろう自動扉が既に半分閉まるところだ。もう一度乱暴にボタンを押して扉から出ると外に向かって一直線に走るコジョフーくんの背が見えた。

「待って!コジョフーくん!」

……私の声は、果たして届いていたのかどうか。
続いて私も部屋を飛び出し、小さくなって消えた背中を姿を必死で追う。その間、何事かとこちらに視線を向けるトレーナーさんたちを自身の瞳に映すことは一度も無かった。

コジョフーくんの後を追って急いで外へ出たものの、すでに姿は見当たらない。もしもあの速さで今も走り続けているとしたら、たかが人間、さらに運動音痴の私が追いつけるわけがない。息を切らして立ち止まっているとグレちゃんたち来てくれて辺りをきょろきょろ見回した。

『どこ行ったんだあのチビ……!』

私とグレちゃんだけでは時間がかかる。ボールからロロとチョンも出し、手分けしてコジョフーくんの捜索へと入る。
地面は未だ昨日から降り続いていた雨のせいでぬかるんでいる箇所が多く、沢山の足跡が残されていた。その中にグレちゃんの蹄の跡も刻まれて、ついでに土も蹴り上げる。それに続いてチョンも羽を広げて飛んでゆく。さて、私も早く行こうと踏み出すと、くいっと裾を引っ張られ、横脇にある草むらまで引っ張られた。そこに入るとロロがすぐさま擬人化して、私の手に手を添える。

「怪我してるひよりちゃんを放っておくなんてグレちゃんらしくないね。頭に血が上りすぎてたのかな」
「こんなところで擬人化するなんて!誰かに見られたらどうするの!?」
「そのときはそのときだよ」

暢気に答えるロロに手を額に添えてため息を吐く。そんな私にはお構い無しにバッグから傷薬を取り出して私の手のひらの上、出来たてほやほやの切り傷へと容赦なく吹きかけた。沁みる液体に顔を顰めながら包帯を巻いてくれるロロの横顔をじっと見つめ、手慣れた流れに心が曇る。

「女の子だし傷が残らなければいいね」
「……ありがとう、ロロ」
「これくらい礼には及ばないよ」

さてと、と立ち上がると再びレパルダスに戻るロロ。綺麗に包帯が巻かれた手のひらを見つめ、一度握ってから開く。……コジョフーくんはまだ完全に体調が戻ったわけじゃない。早く見つけて連れ戻さねば。それに引っかかることもある。コジョフーくんと話がしたい。
ふと、立ち上がる私の名を呼ぶロロの声。見れば私には背を向けたままに言葉を続ける。

『……ひよりちゃん。以前俺が擬人化の条件について話したこと、覚えてる?』
「勿論だよ。"ポケモンが人間に対して強い思いを抱けば擬人化できる"って、言ってたよね」
『そう。それね、……俺がそうだったから、そうかなって思ってる』

擬人化については詳しく分からない。それは今も変わらずだ。だから私はロロの言葉を信じているし、あながち間違ってはいないと思う。ロロもそうだった、ということは、それほどまでに前のトレーナーに懐いていたということだろうか。

『強い思い。それが全て良いものだとは限らない。……俺は、人間に対する強い憎しみから擬人化できるようになったんだ』

やけにはっきり聞こえてしまい、言葉を思わず失った。けれどロロは私に何か言葉をもらいたくて話してくれたわけじゃない。何となく、そう思った。

『あの子もきっと俺と同じだ。だからひよりちゃん、コジョフーくんを見つけても危ないから近づいちゃダメだよ。チョンがひよりちゃんの様子を見に来るまで待っててね』

じゃあ、また後で。……私の答えを聞く前に背高く伸びる草を軽々越えて道を走っていくロロ。それを見送りぼんやり思う。ロロもまた、未だに過去と戦い続けている一人なんだと。





湿った土の匂いが森を満たしている。
……私はヤグルマの森を探してみることにした。昨日はグレちゃんの背に乗っていたこともあり流れるような景色だったが、今ははっきりと濃い緑が見える。時折、草むらに潜んでいるポケモンの姿に緊張しながらも慎重に歩みを進めて行った。ロロからの忠告、傷だらけのコジョフーくんのボール……それらが頭の中でぐるぐる回る。

「……」

あのトレーナーの男がボールに傷をつけたのか。有り得そうだが、多分違う。少ししか見ていないから確かかどうか分からない。けれど傷跡には既に変色しているものから付けられたばかりのものまであったのだ。持ったときにも違和感があったから、多分ボールそのものも歪んでいたんだろう。

「憎しみ」

ぽつり呟いてみたら思っていたよりもはっきり響いてびっくりした。……ロロの言っていたことは、多分合っているだろう。しかしながらボールを"俺"と言っていたコジョフーくんの姿が引っかかる。

「コジョフーくん、何処だろう……あー空はこんなに青いのにー……あ、……あっ!?」

ふと、何となく空を見上げてみて見ると、小高い崖の端に座っているコジョフーくんの姿が見えた。図鑑を取り出し、ヤグルマの森のポケモンの分布を確認する。……コジョフーの分布は確認されない。、ということは、!

「……っ!」

ロロの話は聞いていた。けれどここで見失ったらまた探し回ることになってしまう。……大丈夫、近づかなければいい話。ロロに言われた言葉が流れるように通り過ぎる中、その崖目指して走り出す。
──ヤグルマの森。陽の光を遮るここは、未だ地面は固まらず。


「はあ、はあ……」

息を切らしながら急な上にぬかるむ坂道を登り終え、ようやくコジョフーくんの見えた頂上に着くことができた。ここにも森は浸食していて緑に囲まれる中、既に私の気配を察知したのか、早速コジョフーくんは威嚇音を鳴らしている。逆立つ毛並みに容赦なく剥きだされている牙に一歩下がる。

「大丈夫、何もしないよ」
『……』

動物たちは人間の表情から感情を読み取ることが出来るらしい。動物よりも高度な生き物であるポケモンにそれが出来ない訳が無い。こちらが怖がったままであれば向こうもそれ相応の対応をし続けるだろう。なるべく本心を出さないよう、笑顔を作ってコジョフーくん話しかける。

「コジョフーくん、私、貴方と話してみたいの」
『……ポケモンの言葉も分からないのにどうやって、』
「分かるよ。私には、貴方の言葉もちゃんと聞こえる」

言葉を失い、目を見開いては私を見る。……話しをするには少しばかり遠すぎる距離だ。驚きを隠せず硬直しているコジョフーくんに、そろり一歩踏み出すと警戒の声がより一層大きくなった。正直、引っ掻かれたこともあり怖いけど、このままコジョフーくんを一人にするのは色々な意味でもっと怖い。

『……これ以上近づいたら、今度はその喉切り裂いてやる』
「じゃあこのままお話しよう。ここならいいでしょう?」

長く伸ばされた爪を前にこっそりと息を飲む。少し距離を置いたまま、そこにゆっくりしゃがみ込むと間が生まれた。それからしばらくしてから「……変な人間」と一言呟くコジョフーくんは、爪を戻して私を睨む。とりあえず話しは聞いてくれるらしい。それだけでも大きな一歩である。

「変な人間って、どういうこと?」
『……そのままの意味』
「ポケモンと話せるから変わっているってことかな」
『……それもあるけど、そうじゃない』

ポケモンの言葉が分かる以外、至って普通だと思っていた。何が変わっているのかさっぱり分からなかったものの、それもすぐに解決する。

『……こんなに脅しているのにまだ俺と話をしようとする。変な人間だ』

思わず苦笑いが出る。それでもこうして成り立つ会話を嬉しく思い、再び私は口を開く。
……小高い崖に風が流れて、森の木々が静かに心地良い葉の音を鳴らす。こうして私はバッグは変わらず肩に掛けたまま、成り立つ見込みの全くない会話のキャッチボール成らぬドッジボールを一人続けるのであった。





「それでね、えーと……えー……」
『……その、』
「!な、何!?」

あれからどれぐらい経っただろうか。もうそろそろ一方的な話のネタも尽きようとしていたとき、ついにコジョフーくんが言葉を発した。慌てて話を切り上げじっくり次の言葉を待つ。

『……お前の仲間は、……強い、んだな』
「うん!みんなとっても、頼りになるよ」

今の今までコジョフーくんから相槌などは一切無かったものの、ちゃんと話しを聞いてくれていたらしい。グレちゃんたちの姿を思い浮かべながら言葉に大きく頷いて見せると、不意に視線を落として小さな手をもぞもぞさせるコジョフーくん。小さく開いては閉じる口元を、私は静かに見守った。……そうして聞こえてきた、か細い声をしっかり拾う。

『……俺も、大きくて強ければよかったのに』
「──理由、聞いてもいいのかな」

コジョフーくんは無言のまま左目に手を当てると私の方をじっと見た。唐草色の瞳には私はもちろんのこと風景すら映っていないように思う。

『……そうすれば、左目も使えるまま、今よりは強くなれたかも知れない』
「左目、……その、見えない、の?」
『……人間は嫌いだ。負けると怒りを全部ポケモンに向けて、使えないと分かるとすぐに捨てる』

視線が私から逸れたと思うとコジョフーくんは隣に置いてあったボールを抱えて顔を伏せた。その姿に何と言葉を返せばいいのか分からなくなって、大人しく口を噤んだ。どういう経緯で見えなくなったのかは聞かないけれど、人間嫌いな理由からしてきっとそういうことなんだろう。

「……ねえ、コジョフーくん、」

ボールと一緒に何かを抱えているような、小さな身体を見て不思議に思うことがあった。私の言葉に顔をほんの少しだけあげたコジョフーくんは面倒くさそうに視線をゆるりとこちらに向ける。

「そのボール、どうしてそんなに大切そうに持ってるの?」
『……それは、……それは、?』

人間は嫌いと言っておきながら、どうして人間とポケモンを結ぶボールを持っているんだろう。嫌なら自分でとっとと壊して野生に戻ればいい。けれどそれをしない上、私の話を聞いてから"強くなりたい"とこの子は言った。人間が憎くて復讐するために強くなりたいと言ったわけではない。……はて、一体どうしてなのか。

「もしかしてコジョフーくん、」
『……、?』
「本当は、人間が好きなんじゃないかな」

私の言葉を聞くや否や、座っていたコジョフーくんは勢いよく立ち上がるとボールを抱えたまま仁王立ちで私を見る。ボールは、微かな光を反射する。

「きっとそう。ボールを持っているのはまだ人間と繋がっていたい証拠だよ」
『……違う、そんなわけ……』
「強くなりたいのは人間のために戦いたいから。トレーナーの役に立ちたいからなんだよ」
『違う!!』

コジョフーくんが動揺しているうちに、地面を這うように距離を縮める。手を思い切り伸ばせば触れられそうなところまで来ることが出来た。……ぱき、と低い音が鳴ったことには気づかない。

「コジョフーくん、私と一緒に旅をしよう」

力なく後ずさるコジョフーくんに土で汚れた手を差し伸べた。見開かれた目はやっと私を映しだし、小刻みに震える身体は今もなお必死にボールを抱えている。

『……も、……もう人間は信じないって決めたんだ。どうせお前も弱いからってすぐに俺を捨てるくせに……!』
「強さなんて関係ないよ。弱くたって構わない」
『嘘だ!』

瞬間、バキバキ!と何かが崩れるような鈍い音が響いた。目の前で傾くコジョフーくんと、地面に突いていた私の左手ががくんと落ちる。……昨日の雨で地盤が緩くなっていたんだ!

「コジョフーくん!」

目の前で落下を始めるコジョフーくん向かって咄嗟に手を伸ばす。一瞬、赤い瞳と目が合って、次には手の甲に痛みが走る。
……もしかすると、諦めが悪いところが私の長所かもしれない。覚悟を決めて、抜かるんだ土を思い切り蹴とばした。

──急降下、急加速。
落ちる、落ちる、さよなら世界。



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