1
グレちゃんたちをボールに戻し、完全に日が沈んでしまう前に橋を渡り切ろうと心に決める。鈍足ではあるけれど、夜に飲み込まれないように最善の努力を尽くしたい。一歩踏み出したその時。
……背後から声をかけられた。振り返ってみると随分と派手な髪色にチャラついた服装、行動。あ、ああ……厄介なのに捕まった。しかしながら彼の腰を見るとベルトにはボールが六個付いている。トレーナーで間違いないだろう。
「な、何か用ですか?」
「お姉さん、オレとバトルしてくれないっすか?」
「私、暗くなる前までにポケモンセンターに行きたいんですけど……」
「一匹!一匹だけなんで!ぜんっぜん人いなくって、やっと見つけたんっすよー」
大げさに両手を合わせて頼み込むポーズをする男。彼の事情は知らない、というかどうでもいいけど断るに断れず、……渋々頷くと引っ張られるようにヤグルマの森へと連れて行かれた。
一対一ならすぐにバトルも終わるだろう。最悪、グレちゃんに頼んで乗せてもらえば真っ暗になる前までにはポケモンセンターに行けるはず。……そうだ……前向きに考えるのだ。前向きに……っ!
「じゃ、ヨロシクっす!」
ヤグルマの森、道から少し外れた場所だ。バトルするには打ってつけのところかも知れない。私もさっさと終わらせたいため早速ボールを手に取りバトル開始。男が放り投げたボールから飛び出してきたのは小さなポケモン。こちらで初めて見るポケモンに、手早く図鑑を取り出し向けてみる。どうやら、コジョフーというポケモンらしい。
「コジョフー!小さくて可愛いですね……!」
「そうなんすよ。コイツ他のコジョフーよりも小さいんっすよね」
そういいながらボールをベルトに戻す彼に違和感を感じる。
……さっきの言葉、何だか刺々しい言い方だった。何が不満なんだろう。若干の不快感を覚えつつ、何となく目の前に佇むコジョフーを見ると丁度目線がばちりと合った。……瞬間、ドクン、と一回だけ大きく飛び跳ねる心臓。すぐに逸らされた目はどこかで見覚えのある感じ……そうだ、Nくんだ。虚ろで何も写していないような目。
「……あのー、早くバトルしたいんすけど」
「あ、す、すみません!グレちゃんニトロチャージ!」
気になることはあるけれど今はバトルに集中しなければ。
炎を纏ってコジョフーに向かうグレちゃんを、男は顎に手を当てながら暢気に見ている。対するコジョフーもじっと前を見つめたまま動かない。……衝突するまであと数メートル、男が声をあげる。
「コジョフー飛び膝蹴り!」
「かわしてワイルドボルト!」
グレちゃんが素早く止まり、前から来たコジョフーを間一髪のところで右に避ける。攻撃が外れたコジョフーは、勢いの反動で蹴り上げた細切れの草を宙に舞わせながら向かい側の草むらに突っ込んだ。小さな身体は草木に埋もれて、がさがさと音を立てる。そうしている間にもグレちゃんは私の指示に従い身体に電気を纏わせる。ばちり。電気が走る。
『起き上がるとこを悪いが、また寝てもらおう』
草むらに倒れているコジョフー向かって走り出す。直後、コジョフーが草むらから勢いよく飛び出した。二度目の正直、飛び膝蹴りを直撃させて、まともに食らったグレちゃんは近くの木まで吹っ飛ばされる。あの身体のどこにあんな力があったのか。これには指示を出していない男も驚いている様子で、コジョフーを見たまま口を開けている。
「ぐ、グレちゃん?!大丈夫?!」
『……ああ、』
私のことをちらり見てから頷いて、ゆっくりと立ち上がる。ジム戦、プラズマ団とのバトルでの疲労もある。大丈夫な訳が無く、強がっているのバレバレだ。……さて、どうしようか。
「大丈夫そうに見えないよ」
『大丈夫だ!……今俺をボールに戻したら許さないぞ』
「……仕方ないなあ。これ以上怪我したらすぐ交代だからね」
私の心配とは裏腹に、グレちゃんは「はいはい」と適当に返事を返して再びワイルドボルトの準備にかかる。駆け足でグレちゃんから再び距離を置いてから相手の様子を窺う。
「はっけいだ!」
男の指示と同時に二匹が一気に走り出す。速さは、……身軽なコジョフーの方が速い!
「グレちゃん!」
『まずいな』
勢いよく突き出されたコジョフーの腕。当たる前にボールに戻せないものかと脳に指示が届く前に、私の手は勝手にグレちゃんのボールを掴んでいた。でもこれが間に合うはずが無く、的確に急所を狙い、容赦なく振りかざされる。……が、しかし。なんと、コジョフーの腕は宙を切って空振りに終わる。
「ワイルドボルト!」
「……くそっ!!」
これには思わずガッツポーズせざるを得なかった。こうして運よく勝敗は私たちに渡り、コジョフーにワイルドボルトが直撃し、近くの木に小さな体は吹っ飛んだ。ずるずると木に沿ってその場に崩れ落ちるコジョフーの姿が見える。
勝負がついて、グレちゃんに慌てて駆け寄り残りわずかとなっていた傷薬を吹きかけた。あまり乗り気ではなかったバトルではあったけれど、ゼブライカに進化してから初めての技を見ることもできたしきっとグレちゃんにとってもいい経験となっただろう。今までの道路などでバトルしてきたトレーナーさんたち同様、挨拶をしようと顔をあげると驚きの光景を目の当たりにしてしまう。
「……チッ、また外しやがって。ほんと使えねー」
「ちょ、ちょっと!何しているんですか!?」
男はコジョフーにのろのろ近づいていったと思うと、地に伏している小さな身体を思い切り蹴飛ばした。軽々と持ちあがる身体は木に背をとられてその足からは逃げられない。まるでボールを壁にぶつけて遊ぶかの如く淡々とそれを繰り返す男と何も発しないコジョフーの姿に、現実味が失われる。
『……ひより、俺は何時まで我慢すればいい』
低く呻る声がして、金縛りにあっていたかのように動かなかった身体がハッとする。男を睨み続けるグレちゃんをその場に残して、男の服の裾を思い切り引っ張った。
「やっ、やめてください!こんなのただの暴力です!」
「はー?躾っすよ。し、つ、け!」
面倒くさそうに私を見ると、またすぐに視線を戻してコジョフー向かって足を振り上げる。先ほどのバトルを終え、ただでさえ弱っているのにこれ以上怪我を負わせたら──……。
一気に血の気が引いて慌てて男とコジョフーの間に割り込んだ。足は目前で止まり、目の前の靴底を睨みつける。真っ黒の靴底は、闇よりも暗く無言で刃を突きつけてくる。ぶるり、鳥肌が全身に立つ。
「この子だって頑張ったのに!こんなのあんまりです!」
「バトルに勝たなきゃ意味ないんすよ。いつもはっけい外すしマジ使えねえ。……ああ、そうだ。ソイツ、お姉さんにあげるっす」
「……、え、……?」
ぐったりとうつ伏せのままのコジョフーを背に、思いもよらない言葉に茫然と口を開ける。そんな私なんてお構いなしに男はベルトに付いていた一つのボールを引っ手繰ると、ゴミを捨てるかのように生い茂る草の上に投げ捨てた。ぽとりと目の前に落ちてきたボールを見つめ、次に顔を上げるとすでに男の姿は無い。
──……夕暮れに羽ばたくシンボラーと、悠々と低空飛行を楽しむ男が空にある。早々と夜に飲まれて色を失っている草の上、そして私は途方に暮れる。