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──誰かが私を呼んでいた。
暗闇の中。聞こえてきたその声に、私は少し足を止める。聞き覚えの無い声だ。なのにどうして、こんなにも心をかき乱されるのか。
明転。
光の中で、私を呼んでいたであろう彼の姿が陽炎のようにゆらゆらと揺れていた。止めていた足をそっと動かし、彼の目の前へ歩み寄る。
「 」
彼が何かを呟く。私には何も聞こえないが、胸がちくりと痛んだ。悲しい、寂しい。そんな感じがする。
「そんな顔、しないで」
ぎこちなく腕を伸ばし、頬にそっと手を添える。冷たい頬に冷え切った手。痛いぐらいに凍えている空気を胸いっぱいに吸い込んでから時間をかけてゆっくり吐き出すと、白い息が宙に溶けては消えてゆく。
「……私、──の笑った顔が好きなんだけどな」
……はて、これは夢なんだろうか。
いや夢だ。だって私は今、こうして"私"と彼のやり取りを見ているんだもの。そしたらこの感触や温度はなんだろう。夢か現か、どちらなのか。
「今まで本当にありがとう……さようなら、――」
「──ひより……っ!」
するりと頬から手を離して、再び足を動かし始める。
一歩踏み出した足は歩幅を広げながら次第に速度を上げてゆく。まるで私の名を呼ぶ声から逃げるように、速く、速く。そうして目指す先には、眩い光が私を誘い込んでいる。異様な雰囲気を纏うそれに一直線に向かい、それから。……飛び込む間際まで聞こえていたあの声も、すぐに消えて無くなってしまった。
……今ではどんな声だったのかすら思いだすことができないし、もちろん彼が誰なのかも分からない。
ただひとつ。唯一、覚えている言葉がある。
それは。