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翌朝。お客さんが集まる前にジム戦を終わらせたいと思い、私たちは朝一でサンヨウジムへと向かった。昨日嫌でも集まってしまう観客の姿を見て正直やりにくいなと思っていたからだ。人の視線はあまり好きではないし、見せられるようなバトルが出来る自信も無い。野生のポケモンと一握りほど戦って、私はバトルが苦手なんだと確信した。指示を出すにもワンテンポ遅れ、言葉を噛むのも忘れない。……けれど、戦わなければいけないのだ。

「──……よし」

ウエイトレスさんに案内された先。舞台の前だ。未だ頑なに閉じる赤い幕の前に立ち、深く息を吐き切った。この幕の向こうにジムリーダーが待っている。
……これが私にとって初めてのジム戦だ。心臓が走る。隠しきれない緊張に手に汗を握り、乾き切った喉に無理やり唾を通す。できることはやったつもり。"大丈夫"、と微かに揺れる二つのボールを撫でてからゆっくり一歩踏み出した。……落ち着いて、冷静な判断を。それが出来ればきっと、。

──幕が上がり、眩しすぎるぐらいのライトに目を細める。

「……おっ、来たな!」

ポッドさんの明るい声がやけに響く。ポケモンの力は人間なんかよりも遥かに上だろうから、きっとコンクリート壁なんて簡単に壊れてしまうだろう。やはりバトルする場所ともなると、何か特殊な素材で出来ているのかもしれない。

「あの、私はどなたとバトルをするんでしょうか」

ここ、サンヨウジムは相手が最初に選んだポケモンのタイプに合わせて、三人のジムリーダーのうち誰が戦うのかを決めていると言う。私の場合はグレちゃん、つまり電気タイプになるけれど。

「はい、僕、デントがお相手します」

てっきりポッドさんが来るかと思えばデントさんだったとは。
向こうの世界でブラックを途中までやっていたから少しぐらい有利かと思ったけれど、ストーリーは殆ど流し見に近いため記憶が曖昧なのだ。過去の自分が恨めしい。けれどポケモンの世界ではその人物の色がタイプを示すの法則が成り立っている!デントさんの髪の色からして多分草タイプで合っているだろう。もしそうだったら、グレちゃんがニトロチャージを覚えているから相性的にはまあまあってところかな。

「よろしく、お願いします……!」
「こちらこそ」
「使用ポケモンは2体。準備はいいですか?」

コーンさんが審判をやってくれるようで、その手には二つの違う色の旗が握られている。ゲームでは見られない光景だからか、なんだかすごく新鮮な感じがする。
う……うわあ……やっぱり、ものすごく、緊張する。さっきとは比べものにならないぐらいに心臓が加速し続けて、どくんどくんという心音がさらに緊張感を高める。モンスターボールを握りながら、真ん中の白いボタンをゆっくり押す。──大きくなるモンスターボールに願いも込めて。

「それでは……バトル、始め!」

コーンさんの合図と同時にモンスターボールを高く放り投げる。二つのボールが宙で開いて、赤い閃光と共にフィールドに現れる二匹のポケモン。私の初戦はバトル慣れしているであろうロロで勝負だ。対するデントさんが繰り出してきたのは、ヨーテリー。落ちてきたボールを両手で受け止めてから急いで図鑑を向け、ヨーテリーのタイプを把握する。……ノーマル。やりにくい。

「まずはお手並み拝見といきましょう」
「ロロ、猫騙し!」

ロロに指示を出すのはこれが初めてではあるけれど、昨夜のうちに技のチェックはばっちりである。まずは相手を怯ませるため、猫だましで先手を取ろうと指示を出したはいいものの、あっという間にヨーテリーとの距離を縮めるロロの速さに私がびっくりだ。予想していたよりも、遥かに速い。

「ヨーテリー、奮い立てる!」
『わかったよ!』
『そうはさせないよ』

ヨーテリーの一歩手前、ロロが身体を逆回転しながら跳ねたと思うと、長い尻尾が床に思い切り叩きつけられバァン!と音が地面を鳴らす。直後、ヨーテリーの動きがぴたりと固まり、元から大きな目はますます大きくなっている。相手を100%の確率で怯ませ、技を出させない猫騙し。実際のバトルだと可愛い名前にはそぐわずこんなに迫力があるものなのか。、なんてびっくりしている暇はない。

「……そっ、そのまま辻斬り!」
「かわして噛みつく!」

ロロが高く飛び跳ね、宙で器用に体勢を整えると鋭く尖った爪を一気に剥き出す。上空から降り注ぐ爪からヨーテリーは瞬時に身をかわして、真っ白い牙をギラリと光らせロロに向ける。

「飛び越えて、不意打ちっ!」

私の鈍間な指示も素早く拾い、突進してくるヨーテリーの上を難なく飛び越え、後ろへ回るロロ。本当にロロは避けるときも攻撃するときも動きが軽やかで、新米トレーナーが見ていても冷や冷やすることがあまりない。それに加えて私の意図もきちんと読みとり戦ってくれている。まさにロロ様様だ。

『勝負ありだね。子犬ちゃん』

瞬間、ヨーテリーが吹っ飛んだ。デントさんを通り越し、そのまま壁に身体を打ちつけ、ぽとりと落ちる。敵だったとはいえ、あんなに派手に飛ぶところを見てしまうと心配になってしまう。駆け寄るデントさんをハラハラしながら眺めたあと、きゅうんと小さく鳴くヨーテリーの声が聞こえてようやくホッと胸を撫で下ろした。

「ヨーテリー戦闘不能。──……よって、レパルダスの勝ちです」

上がる旗に現実味が帯びず、未だ夢心地気分である。そんな中、ロロが余裕綽々と戻ってきて私にすり寄り尻尾を絡める。しゃがんでから頭に手を置き、背に流す。

「ロロのおかげだね!ありがとう、ロロ」
『うん。俺頑張ったから、子猫ちゃんからご褒美貰わないとね。……今夜、楽しみにしてるよ?』
「そういうのは要りません」
『ああー、やっぱこっちの姿じゃ格好つかないかあ』

いっそのことずっとレパルダスの姿で居て欲しいものだ。可愛さが半減したところでロロをボールに戻し、腰に付いている別のボールを握る。
……あと一戦。あと一戦勝てば、証が貰える。両手でボールを包み込んで額を当てた。

「……グレちゃん、お願いね」

頷くように揺れるボールを額から離して、再び白いラインに立つ。


──二回戦の、開幕だ。

「ひよりさん。僕は貴方を甘く見ていたみたいです。……でも、次はそう簡単にいかせませんよ」

ボールから出てきたのは緑色のポケモンだ。ゆめの跡地で見たヤナップというポケモンである。やはりデントさんも最後は相棒で勝負に出るようだ。
対する私は、草タイプに有利な技を持つグレちゃん。ロロよりは指示に従いながらのバトルに慣れていないみたいだけれど、練習は積んできた。自信を持って、挑めば良い。……コーンさんの持つ旗が揺れ、大きく息を吸い込む。

「それでは二回戦、始め!」

両旗が挙がった瞬間、ヤナップが飛び出してきた。思わず固まってしまう私の頭と気持ちが焦る。まだデントさんは何も指示は出していないのに何が来るのか。

『ひより!焦るな、大丈夫だ!』

刻一刻と迫り来るヤナップを睨み続けながら声を張り上げるグレちゃん。その背にこくこくと頷いて、乾いた唇を噛みしめた。……そうだ、私が焦っても仕方ない。目を細め、そのタイミングを逃すまい。瞬き一つが命取りだ。

「ヤナップみだれ引っ掻き!」
「グレちゃん避けて!」

素早く腕が振り下ろされる。流石ジムリーダーのポケモンともなると、普段のようには避けられない。グレちゃんはちゃんと横へ避けたはずが、鋭い爪が屈折を起こして容赦なく頬を引き裂いた。散り落ちる黒い毛と、ヤナップの白い爪を染める赤。……落ち着け、落ち着いて。

「電磁波からニトロチャージ!」

ビリリと空気を電気が走り、ヤナップを包み込むように纏わりついた。素早い動きを鈍りを見せる。その間にグレちゃんは炎を纏って突撃の準備。ニトロチャージさえ当たればこっちのものだ。出来ればこれで終わらせて……、なんていうのは、甘かった。

「ヤナップ、その場で穴を掘る!」
「あなをほる……!?」
『面倒な技だな、くそ』

グレちゃんの舌打ちが聞こえた。……盲点だ。草タイプのヤナップが穴を掘るを覚えいてるなんて考えもしなかった。いや、私の調べ方が甘かったのだ。この技がグレちゃんに当たってしまったらタイプ的にかなりマズイ。少し落ち着いたかと思えた心臓が、またしても激しい脈を打ち始める。追い込まれたのは私だ。何を指示すればグレちゃんに当たらないのか、どうすればいいのか分からない……っ!

『……来た、っ!』
「!」

直後、背後の地面が盛り上がった。素早く反応したグレちゃんがニトロチャージで迎え撃とうと身体を捻る、が。

「ヤナップ、地面を使って後ろに回れ!」
『何っ!?』

振り返るグレちゃんよりも速く、再び潜ったヤナップが地面から飛び出してきた。そのまま的確に腹部に頭突きを当ててから遠く距離を置く。

「……ッ、」

蹄が数回、床を力なく鳴らす音が聞こえ、それからぐらりと傾く身体。拳を握り、舌を噛む。
グレちゃんは私の指示を最後まで待っていた。それなのに指示を出せず、判断をグレちゃん自身に任せてしまったのは私の痛恨のミスである。……いや、これをミスで済ますことは、出来ない。

「勝負あり、ですね」

デントさんの言葉が耳に付き、ぐっと熱くなる目頭に力を入れる。勝負の場では意地でも泣くものか。ともかく一刻も早くグレちゃんに謝って回復したい。けれども、いつまで経ってもコーンさんが旗を挙げてくれる様子が無く。それに若干の苛立ちを覚えながら、挙げられない旗を見ながら小さく足踏みを繰り返していた。

「コーン、もう勝負はついただろ?何ボケッとしてんだよ」

隣に居たポッドさんがコーンさんの腕を突く。けれどコーンさんの視線は変わらずグレちゃんにあり、逸らすことは無い。
それに不思議に思って視線をゆっくり移して、……目を、見開いた。

『──……まだ、勝負は終わってない。ご主人様に泣かれるのは、困るんでね』

震える手足をしっかり地面に立て、前を見据えるグレちゃんに息を飲む。貼り付いていた喉に空気が通り、少し痛む。揺れる視界にグッと袖で目を擦ってみるけど、数秒も経たないうちに同じ視界へとまた戻ってしまう。

「……グレ、ちゃん、ありがと。もうちょっと頑張って、くれる……?」
『当たり前だろ、馬鹿』

ちらり。こちらを振り返る姿に歯を食いしばって笑ってみせると、グレちゃんも笑ってくれた気がした。ふらつく身体を支えるためなのか、グッと前に体重をかけて体勢を整える。……俯いて、顔を上げ。

「凄いな。効果は抜群でかなりのダメージを受けているのに立ち上がるなんて」
「……負けません」
「僕も負けたくないんです。ヤナップ、もう一度穴を掘る!」

ヤナップの消えたバトルフィールドを睨むように見ると、今度は全く動かないグレちゃんの後ろ姿も視界に入った。変わらず私の指示を待ってくれている。さっきのこともあるのに私を信じてくれているのか。私はもう諦めてしまっていたのに。
……さっきのようには絶対にさせない。今度こそ、グレちゃんの信頼に答えてみせる。

「グレちゃん、」
『……分かってる』

──真下の地面が、ぼこぼこと鈍い音を立てながら盛り上がってきた。このまま出てくる、と見せかけて出てこない。後ろへ周り、いや……、。裏の裏の、そのまた裏を……!

「その場で踏みつける!」
「地面に潜って後ろに回れ!」

グレちゃんの足は土のみを踏み潰し、細かい土が飛び散った。その背後、ヤナップが飛び出す。……思った通りっ!

「ニトロチャージ!」
「速さならヤナップの方が、!」

確かに、さっきはそうだった。それでもこっちはニトロチャージで素早さが上がっている。これで速さは同じか、……もしくは。、それに気付いたデントさんが初めて焦りを見せる。そうこうしているうちにグレちゃんとヤナップの距離は縮まり、ついにはゼロへ。
……瞬間、鈍い音が響いた。
ニトロチャージが直撃し、ヤナップくんの小さな身体が真後ろへ飛ばされるけれどデントさんがそれをしっかり受け止めた。その衝撃で体勢を崩したデントさんが尻餅をつく。少しして、コーンさんに目線を向けると苦笑い気味に首を横に振るデントさんの姿を捉えた。

「……今度こそ、勝負ありですね。ヤナップ戦闘不能。
 
 よって──……ひよりさんの勝利です!」


……私の旗が、今、再び、空を指す。


「っグレちゃん!」

途中までゆっくりと戻ってきたグレちゃんに駆け寄って、それから思い切り抱きしめた。それを皮きりに崩れるように倒れ込む。構わず顔を埋めていると、私の髪が当たってくすぐったいのかグレちゃんのピンと伸びた耳が左右に素早く動いた。いつものように暴れられるかと思って少し身構えていたけれどいつになく大人しい。もしかすると、暴れる体力すら無いのかもしれない。

「……グレちゃんっ、!本当に、ありがとう!」
『ひよりも、よく頑張ったな』
「うん、勝てて良かったあ……!」

鼻先が私の横顔を撫でる。それに何処か安心して、そのまま身を預けていると腰につけてたモンスターボールから不機嫌そうにロロが出てくる。尻尾で私とグレちゃんの間に割り込みを入れ、身体をねじ込んできた。……あ、ロロの毛並みすごく気持ちいい。

『黙って見てれば!グレちゃんだけひよりちゃんに甘えてズルいよ!』
『あっ、甘えてなんかねえよ!』

ポケモンとは、どうしてこんなに可愛い生き物なのか。二人まとめて抱きしめていると足音が聞こえて顔を上げる。デントさん、ポッドさん、コーンさんが揃って私の元まで来てくれたらしい。慌てて立ちあがって、差し出された手の上に光る"それ"を見つめた。

「いいバトルでした。僕も楽しかったです」
「はい、ひよりさん。このトライバッジを受け取って下さい」
「……は、はい……!」

初めて受け取るジムバッジ。綺麗に輝き、光を幾つも反射する。これには私たちの努力の結果と喜びが詰まっていて、今手のひらで感じている重さよりもずっと重い。今の今まで、ずっと夢見心地だったものの、こうしてバッジを貰い、改めてジム戦に勝ったという実感が湧いてきた。何とも言えない喜びが胸の奥からふつふつと生まれる。

「あー!オレが戦いたかったぐらい、熱いバトルだったぜ!お疲れ、ひより!」
「ポッドさん……!ありがとうございます!」
「ジムバッジはトレーナーの強さの証なんだぜ。だからオマエも自信を持って旅を続けてくれよな」

歯を見せながら笑うポッドさんに思い切り頷くと、またしても頭を少し乱暴に撫でられた。それを真似しているのか、ポッドさんの肩に居たバオップも私の頭を撫でまくる。髪がぐしゃぐしゃになったことすら嬉しく思う。

「まだこの街に居る予定ですか?」
「いえ。探している人がいるので今日には旅立ちます」
「そうですか、お気をつけてくださいね」

コーンさんの心遣いに一礼し、舞台からゆっくり降りる。綺麗に並べられたテーブルを抜け、サンヨウジムに背を向ける。

「今度は俺とバトルしてくれよな!」
「是非このコーンとも、お相手お願いしますよ」
「またのお越しを、お待ちしております。ひよりさん」
「はい……!ありがとうございました!」

ひらり、手を振る三人に振り返しながらポケモンセンターへの道を行く。
一つ目標を達成した気持ちになっているけれど、まだまだ旅は始まったばかりなのだ。少しでも伝説のポケモンさんに近づくため、まずはNくんを見つけ出すところから。輝くバッジをしっかり握り、晴天の下、進む。





「報告、入りました」
「"一つめのジム、サンヨウジムを突破"とのことです」
「──分かりました」

男がゆっくりと立ち上がり、いくつも広がる電子画面に背を向ける。その表情は、伺えない。



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