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サンヨウシティのメイン通りから少し離れた、少しもの寂しい雰囲気漂う場所にゆめの跡地はあった。周りは濃緑の木々で覆われていて、まだ朝の時間帯だというのにすでに少し薄暗い。夜はもっと黒で埋め尽くされるのかと考えると、思わずぶるりと震えが起こる。

「さて特訓!って思ったけど何をすればいいのやら……」
『……まさか何も考えていなかったとか、』
「いっ、言わないよ、そんなことないよ!」
『……』

とりあえずゲームと同じように草むらの中を歩いていれば野生のポケモンに遭遇するだろう、なんて考えていたのは甘かった。何もいる気配がないし、いたとしてもすぐ逃げてしまうの繰り返し。
それからしばらく歩きまわったものの、やっぱり戦える回数は少なくて全く特訓になっていない。

「やっぱり普通の道路歩いてトレーナーさんと戦おうかな」
『その前にもう一回、俺が使える技を確認しておいたほうがいいんじゃないか』
「そうしておくよ」

場所を移動する前に草むらの中に座って図鑑を開く。何度も繰り返し読んでは戻るの繰り返し。技を覚えて的確な指示を出すのは想像以上に大変だし、まず投げたボールを再びキャッチすることが出来ていない。その場で一人慌てて技名を噛んでしまうのもどうにかしたいところである。……まだまだ先は遠そうだ。

「よ、よーし、そろそろ、」
『──……ちょっと待て、』

突然グレちゃんが顔をあげて耳を左右に動かしはじめた。ただならぬ雰囲気に私もゆっくり立ち上がり、視線の先を追ってみる。まだ何も見えないものの、次第に不気味な音が私の耳にも入って来た。……がさがさと地は這う何かの動く音。慌しい足音。

『ひより、俺と話せる素振りは見せるなよ。……何か嫌な予感がする』

道を睨むグレちゃんにゆっくり頷いてから私も再び視線を戻した瞬間、道から飛び跳ねるように駆けてきたのは紫色のあのポケモン。
傍から見て分かるぐらいに慌てた様子のそのポケモンは、道の真ん中で立ち止まると後ろを見ながら乱れた息を整える。背の高い草に囲まれているということもあって私たちの存在には未だ気がついていないようだ。

「目の色が左右で違う。もしかしてあれってロロさんかな」
『……そうみたいだな』
「あんなに慌ててどうしたんだろう」
『あ、おい、馬鹿!』

がさがさ音を鳴らしながら草むらから出て行くと、レパルダスさんはすぐさまこちらに視線を向けて、背中の毛を逆立てる。明らかに敵意を向けられ思わずそのまま固まっていると、私に気づいたのかすぐに二色の瞳を満月のように丸く描いた。

『ひよりちゃん!?どうしてここに、』
「私の名前、覚えてくれたんですね!」
『なんていいタイミングに……っ、シマシマくん、いるんでしょう!?』

グレちゃんもすぐさま草むらから飛び出して私の横へやってくる。ロロさんはきょろきょろと忙しなく辺りを見回しながら、焦りを隠せない様子で早口で言葉を繋ぐ。

『ひよりちゃんを連れて早くここから離れて』
『……分かった』

いくぞ、とグレちゃんに服の裾を銜えられたと思うとそのまま引っ張られる。けれど私はそこに立ち止まって、なんとか引き摺られまいと足を踏ん張った。私の方がグレちゃんよりも大きいけれど流石はポケモン、力ではやっぱり負けてしまいそうだ。

「グレちゃん待って」
『何やってるんだ、早く行くぞ!』
「待って!」

しゃがみ込んでロロさんに触れるとびくりと身体を飛び上がらせる。やっぱり見間違いではなかったようだ。あちらこちらにまだできたばかりの擦り傷やら切り傷があるし、さっきの警戒具合に小刻みに震えている身体。ただ事ではないことぐらい私にも分かるのに、このままロロさんだけを置いていけるものか。

「……何があったんですか?」
『俺のことはいいから早く逃げて』
「できません」
『ひよりちゃん!』
『全く、世話が焼けるご主人様だ』

服の裾から口を離すと私とロロさんの前に立ちはだかって、ばちりとたてがみに電気を走らせた。流石相棒、分かっていらっしゃる!その間に私はバッグから傷薬を取り出し手早く吹きかけると、滲みて痛むのか顔を顰めながら私を睨むように見上げるロロさん。痛いというだけで私を睨んでいるわけでもなさそうだ。

「……おや、君は?」

──ふと、声がした。
顔をあげて真っ直ぐ前を見るとやけに目に付く色彩の服を纏った一人の男が立っている。グルル、と呻るように鳴くグレちゃんを挟んで、両者とも瞬きひとつしない。

「ああ、失敬。私はヒウンシティのKだ」

小娘だからと馬鹿にしているのか明らかな偽名を名乗るKは、私からロロさんにゆっくり視線を移すと何かを確認するように凝視する。対するロロさんは凍りついたようにジッと動かず目線を逸らさない。いや、逸らせないのか。
やっとKが目線を逸らしたと思うと、やけに目立つ金歯を見せながら口角を斜めに上げた。

……原因は、この人だ。

「そのレパルダスは私のポケモンなんだ。散歩をしていたら逃げ出してしまってね。捕まえてくれてありがとう」

一歩、また一歩と近づいてくるKに、ロロさんが低く唸る。体制を前のめりに鋭い歯を剥き出して毛を逆立てては身体をひっそりと小刻みに震わせていた。
私はこちらの世界にきてからまだ何日も経っていない。だから、トレーナーとポケモンがどんな関係なのか良く理解はしていないものの、決して相反する仲ではないということは分かる。散歩をしていただけで傷だらけになり、こんなに怯えることはあるだろうか。

「お言葉ですが、レパルダス違いではありませんか?このレパルダスは私のポケモンなのですが」
『ひよりちゃん……!?』
『……全く』
「ごめんねグレちゃん」

Kと私たちの間に入ってくれているグレちゃんに小声で言葉を投げると、少しだけ顔をこちらに向けた。いつもまん丸の瞳には重たい瞼が乗っていて、まるで「仕方ないな」という言葉を表しているようだ。

「ならば、そのレパルダスが君のものだの証明できるはずだろう。ここでやって見せてくれないかね」

痛いところを突いてくる。どうやったら証明できるのか分からないけれど、ロロさんをこのまま渡す訳にもいかない。考えている時間、Kはニヤニヤしながら立っていた。私の焦る姿はさぞかし面白いことだろう。
ふと、ロロさんが私の腕に鼻先をコツンと当てた。唇を噛んだまま視線を落とすと、今度は私のバッグを突つく。

『俺にモンスターボールをあてて』
「でもロロさん、」
『いいから、早く』

他のトレーナーのポケモンにモンスターボールを投げたところで、絶対に入らないことはゲームをやっていた時点で既に知っていた。だからロロさんに当てても入ることはできないはず。それでも急かすロロさんに従い、新品のモンスターボールを鞄から出すとKが一歩踏み出した。その姿を見る前に、私の握るモンスターボールのスイッチを自らの手で押すロロさん。アッと声を出す間もなく、不思議な光とともにレパルダスの姿がボールの中に吸い込まれる。
……ころん、ころん。
左右に一度揺れた。それっきりボールが動くことはなく、変わりに何かがカチャンと嵌る音がする。

「ボールに入れられた……?」
「ボールも壊していたのか!?クソッ!」

再び出てきたロロさんが、歯を食いしばるKを冷ややかな目で眺める。にゃあん。一声鳴いて、見せつけるように私の腕にすり寄った。これで本当にロロさんは私の手持ちポケモンとなったのだ。証明は成功である。
しかしこれで引きさがるようなKではなかったのだ。何を思ったのか、忙しく懐を漁りだしたと思うと丸々と肥えた財布を取り出した。お札を抜き取り、私に見せる。

「これで取引をしよう。いくらだ。いくら欲しい?」

お金には困っていない。それにロロさんは物ではないのだ。もう私のポケモンであり、もしかしたらこれから先、ともに旅をする仲間になるかもしれない。お金で取引するなんて最初から願い下げだ。静かに首を振ると、お札を握りしめるK。お札にいくつも皺が刻まれ、そこらへんの紙クズ同様の身なりになっていた。そうして嫌に半びらきしていたKの口から見えていた金歯が消え、代わりに乾燥した厚ぼったい唇が鎮座する。

「お嬢さん。少しばかり話をしようじゃないか」
「どうせ貴方の話すことは全て嘘になるのでしょう?」
「信じるも信じないもお嬢さん次第だが、…君は、"ロロ"の瞳のことは知っているかい?」
「瞳……」

視線を下げ、ロロさんを見ると変わらずオッドアイは異様な輝きを放っていた。目を見開き、身体は石のように固まっている。
どうしてなのか、うっすら見当はついていた。ロロさんにとって瞳はコンプレックスであり、できれば触れて欲しくないことなのだろう。それを今、Kは軽々しくも口に出そうとしているのだ。それすらも耐えられないはずなのに、さらにここには私とグレちゃんがいる始末。
……私が、ここで話を聞いてはいけない。

「……逃げるよ」
『それで正解だ』

グレちゃんに小声で言ったあと、腰につけているボールを引っ手繰る様に掴む。そうして二人に向けた瞬間、ロロさんが何か叫んだ。
それを理解する間も無く、ヒュン!と風を切る音がする。何事かとびっくりしている間に、気が付いたときには私の手からボールが弾き飛ばされていた。遠くに転がるボールを見つめ、瞬きを繰り返す。
──……何が、起こった?
訳が分からないまま、焦点が合わない目で地面に転がっているボールに目をやる。それを取ろうと手を伸ばして、ようやく異変に気が付いた。私の手の甲からぷくりと盛り上がってから、滴るものは鮮やかな赤。熱を帯びながら腕を伝って、地面を少しずつ染めてゆく。その度にズキン、ズキンと全身が警報を鳴らす。

「っ……、」

ゆっくり回り始める視界をなんとかもとに戻そうと歯を食いしばる。傷口はなるべく見ないようにして、立てている片足の膝上へと静かに下ろす。
……これもポケモンの技なのか。身体中に響く不快な音を聞きながら横の林に目を向けると、スーツの男と彼の手持ちと思われるチョロネコの姿があった。Kに会釈をしているのを見ると、どうやら彼の部下らしい。よくよく周りを見ていれば、いつの間にやら同じ格好をしている男たちに囲まれているではないか。……これが全員Kの部下なら堪ったものではない。

『ひより!』
『ひよりちゃん!』

追い打ちをかけるように、少し先にいたグレちゃんとロロさんに両脇の林から網が放たれた。逃げる余地もなく網に覆われる二人。左右反対、横に引っ張られ、足場を簡単に崩され地面に身体を打ち付ける。もがけばもがくほど絡まる特殊な網なのか、二人が抜け出せる気配は無い。茫然と見ていることしかできず、やっとの思いで意識を戻す。早く二人を助けないといけないけれど、どちらから先に助けるべきか。……なんて私が判断をする暇も無く、いつの間にか背後まで迫っていたスーツの男に腕を掴まれ、Kの前へと強制的に連行されてしまった。

「どうしてこんなことを、」
「今回ばかりは私も後に下がれない。ロロを彼らに預けないと私の身が危ないんだよ」

無理やり地面に座らされ、後ろで抑えられている腕を何とかして拘束から逃がしてやろうと必死でもがいてはみたものの、男の力に勝てるわけがなかった。「少々荒いが許してくれ」なんてわざとらしく謝るKを見ると腸が煮えくり返りそうだ。

「さて、話をしよう」

再び見える金歯。余裕の笑みを見せつけながら、Kは再び口を開いた。塞げない耳の代わりに目を閉じて下を向く。……何か、何かこの場を打開できる策はないだろうか。

「私は珍しいものが大好きでね、私のポケモンを特別なものにしたかったんだ。皆が羨む、特別なポケモンだ。そこで色々調べていたら、とても良い情報を手に入ることができた」

―……"君はなんにも知らないんだね"。

ふと、あのときのロロさんの顔が頭によぎる。
私は何も知らなかった。けれど今では少し分かり、そしてたった今、この瞬間に真実を付きつけられる。
真実はときとして残酷だ。ならば知らないまま仮想の世界を旅していたほうがよかったのだろうか。私にとって、この世界が現実となってしまった今。その答えは、否、である。



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