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「こちらがルームキーです。シママの回復が終わったらお部屋の電話でお呼びしますね」
「分かりました、お願いします」

拭いすぎて腫れてしまった目は見て見ぬフリをしてもらい、それからしばらくしてから歩き始めたせいかサンヨウシティについたのは日暮れ時だった。
すぐにグレちゃんをカウンターに預け、代わりに受け取ったルームキーを握り階段を上る。どうやらすぐ手前の部屋の鍵らしい。今日も結構歩いたし、ゆっくり休むことにしよう。ぼんやりとドアノブに鍵をさしてガチャリ鳴る音とともに、ふと、聞き慣れぬ声がした。

「ねえ、ちょっと、そこの子猫ちゃん」

階段を一段一段上がりながら笑顔を浮かべる男の人。"子猫ちゃん"だなんて誰のことを言っているんだろうかと辺りを見回してみるも、このフロアにいるのは私だけ。

「……わ、私のこと、ですか?」
「うん、そうだよ」

階段を上りきったお兄さんはそのまま真っ直ぐ私のところに歩み寄る。ゆるりと弧を描く二重の眼に長いまつ毛。筋の通った鼻に、全てを引き立たせるようかのようにある左目の下にある泣き黒子……とにかく整った顔で思わず上から下まで眺めてしまった。それに気付いているのかいないのか、お兄さんは笑顔を絶やさず言葉を続ける。

「こんばんは。俺はロロっていうんだ。ねえ君、今晩ここに一人で泊まるの?」

どうしてそんなことを聞くのかと不思議に思いつつ眺めていたら、目をぱっちり開いたロロさんのあることに気付き、一瞬にしてそれに目を奪われた。
……双方で色の違う瞳。右の瞳はレモンイエローとでもいうんだろうか。明るく宝石のようにキラキラ輝いてみえる。対する左の瞳は透き通る海のような青い色。暖色と寒色の瞳に思わず息を飲む。

「目……、」
「──……ああ、これ?」

さりげなく隠すように片目に手を添え苦笑い。覆われた黄色の右目と、困ったように細まる青い左目。

「見ての通り、俺って目の色が左右で違うんだ。可笑しいでしょう?」
「とっても、とっても綺麗ですね……!」
「……──、」

まさか現実でオッドアイを見られるとは思ってもみなかった。珍しいものに出会って興奮気味の私とは裏腹に、お兄さんは訝しげに眉を顰めて言葉に詰まっている様子だ。

「……君、本気で言ってるの?」
「勿論ですとも!こんなに綺麗な瞳、初めてみました!羨ましいです……」

ゆっくりと下がる腕に、再び現れる右目。それと一緒に左目も徐々に大きく開いて、まるで満月のような円を描く。恐ろしいぐらい惹きつけるそれを気にせずジッと見つめていれば、突然彼が腹を抱えてクツクツと笑い出した。

「な、何が可笑しいんです?」

流石の私も何故ロロさんが笑っているのか分からず思わず眉を顰める。なんだろう、私の反応に笑っているのか、それとも何か他のことで笑っているのか。……とにかくいい気分はしない。

「ごめんごめん。いや、君のことを笑っているわけじゃないよ」
「なら、何だって言うんですか」
「俺さ、この目を綺麗だって言われたの初めてで面白くなっちゃったんだ」
「まさか。一度もないんですか?ええ、本当に?」
「ほんとほんと」

涙が出るほど笑ったのか、スラリと細く伸びた人差し指で目の淵をなぞると一息吐いて屈折していた身体をもとに戻す。それと同時に猫っ毛な紫髪がふわりと揺れた。

「人それぞれ物の捉え方は違うって分かってるけどさ。……褒めてくれたのは君が初めてだよ、子猫ちゃん」

捉え方の違いをどういう意味で言ったのか、私にも少しは分かる。少なくとも一度ぐらいは瞳について何か傷つくようなことを言われたに違いない。それで最初のときも意識的にかは分からないけれど手で片目を隠したんだろう。急に申し訳なくなって、視線を瞳から逸らす。

「あの、……ごめんなさい。羨ましいなんて言ってしまって」
「別に気にしてないよ。お世辞でも羨ましいなんて言ってもらえて嬉しいもん」
「お世辞なんかじゃないです!本当に綺麗だから、……その、ごめんなさい」

顔を下へさげるとまた一歩、ロロさんの足が前にでる。それに合わせて一歩後ろへ下がると背中に壁が当たった。

「うん、君が本気で言ってくれてるのは分かってるよ。だからかな、余計逃がすわけにはいかなくなっちゃった」
「は……はい……?」

足の間に挟まれる、長い足。そして顔の横の壁には手のひらが押し付けられていて、いつの間にやら身動きが取れない状況に陥っていた。な、なにこれ。どういうこと?

「ね、子猫ちゃん今夜一人なんでしょう?だったら俺と一緒に、どう?」
「なななっ、何が、ですか!?」
「夜に男女でって言ったら、……いくら鈍い君でも分かるよね?」
「ひっ、!」

細まる瞳に顎に添えられる手。ぞわわと鳥肌を立てながら身に迫る危機に、すでにパニック状態だ。外見に騙された!とんでもないぞこのお兄さん!身動きが取れないのをいい事にどんどん迫ってくるし、もう私にはどうにもできない。ほんのりどころかかなり貞操の危機を感じつつ、どうしようかと頭をフル回転させている中。

「おい、にゃんころ。俺のトレーナーに何か用か?」
「あららー、ナイト付きだったんだね」

変わらず笑みを浮かべたまま私からパッと離れるロロさん。とりあえず危機を脱して安堵の息を漏らしていると、やってきたグレちゃんに横目でじとーっと見られた。私は何も悪くない!無実だ!

「何やってんだよ」
「部屋に入ろうとしたらこの人が!」

グレちゃんの後ろに隠れたままロロさんを指差すけれど本人はいやあ、と困ったフリをして微笑むだけ。本当に外見とは裏腹でとんでもない人だ。

「それより君、さっき俺のこと"にゃんころ"って言った?」
「ああ。うまく化けてるようだがポケモン同士なら見分けられるみたいだな」
「やっぱりそっか。俺もわかるよ"シマシマくん"」

二人だけで話が進んでいるようで、未だ私は全く理解できていない。ここで立ち話も何なんだし、とりあえず中に入って話そうと提案すると「わーい」なんて喜ぶロロさんと眉間に皺を寄せるグレちゃん。真逆すぎて面白いぐらいだ。

「ひより」

ドアに手を掛けて入ろうとしたら、グレちゃんが私の目の前で人差し指を突き出してきて反射的にそれを追ったせいか私の目が中央に寄る。

「なるべく俺の後ろにいろよ」
「う、うん」

とりあえず返事を返すと、グレちゃんは先に部屋の中に入ったロロさんを睨んだ。それでも彼はものともせずにグレちゃんの肩にぽんと手を乗せると、ふにゃり笑う。何事にも屈しない精神、他のところで生かしてもらいたいものである。





「ってことは、ロロさんはポケモンなんですか……!?」
「そーいうこと。ちなみにレパルダスっていうポケモンだよ」

ボン!と白い煙が立ち込めると同時に、一瞬にして綺麗な毛並みをしたレパルダスさんがそこへ現る。思わず感嘆に声が漏れてしまうほど綺麗な容姿と、明かりに照らされ艶やかに反射するその毛並みは触ったらとても気持ちよさそうだ。

「おお、これがロロさん……!さっきまでの変態さんには見えないです」
『ひどいなあ、変態だなんて』
「ぴったりの言葉だと思うが」

じっとみていると「触ってみる?」と小首を傾げた。ポケモンマジックでとんでもなく可愛く見えてしまい、お言葉に甘えてそっと頭に手を置き横に滑らせてみると、とても気持ちいい手触りにうっとり。
毛並みもさながら、模様も綺麗に散りばめられていて見栄えがする。レパルダスも猫みたいなものだし、もしや。と試しに首元を撫でてみると、ロロさんが気持ちよさそうに首を伸ばした。……あ、ああ、可愛い。見てるこっちも癒される。手触りを堪能しつつ、そのまま撫でているとロロさんが急に目を開いてポツリ一言。

『やっぱり子猫ちゃん、俺のこと誘ってるでしょ』

動転する視界に一瞬何が起きたのか分からなかったけど理解するのにそれほど時間はかからなかった。異様に近い整ったロロさんの顔と掴まれている両手首。……押し倒されたようだ。全く、何故大人しくあの可愛い姿のままでいてくれないんだろうか。至福の時間を返してほしい。

「おい」

グレちゃんの低く呻るような声が聞こえたと思うとすぐに手首は解放された。身体を起こしている間、グレちゃんがロロさんを押しやって距離を開けると、彼は急に真剣な表情をして拳を握る。

「ちょっと待ってよ」
「……なんだよ」
「今のは不可抗力。喉撫でられると気持ちよくなっちゃってそうなると歯止めがね、」
「分かったからもう黙れ」

ああこれがあれか、残念なイケメンさんというものか。よく聞く言葉だったけれど初めて本人を見て言葉の意味がとても良く分かった。……残念すぎて救いようがない。
憐れみの目を向ける私たちなんぞお構いなしに、また彼はへらりと笑って瞳を細めるのだった。




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