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──ぴかぴかのモンスターボールがひとつ、私の腰には付いている。私とグレちゃんの唯一目に見える繋がりでもあるのだ。絶対に落とすものかとしっかり付けたものの、歩く度にちゃんとあるか気になって仕方が無い。

晴天。
青い空は雲ひとつなく、そよそよ流れてくる爽やかな風がとっても気持ちいい。
ポケモンセンターを後にした私たちはフレンドリーショップというコンビニの様なお店で大方必要なものを揃えた。どこまで運がいいのだか、例の四次元鞄にはそこそこお金が入ったお財布もあったのだ。ここまでくるとこの鞄は誰か他に持ち主がいたのではないかとそわそわしてしまうけれど、グレちゃんもあの時あの森には私以外誰もいなかったと言っていたから、まあ、持ち主はいなかったということにしよう。うん、そうしよう。

「ええとここは……」
『カラクサタウンだ』

これまたもとから鞄に入っていた地図の一部を鼻先でトントンと指し示すグレちゃん。私はゲーム画面を思い出しながら、ふむ。と手を顎に添える。
もしもゲームに沿っているならば、まだ序盤といったところだろうか。こっちの世界に来る前にプレイしていたけれどクリアーする前に放置してしまい、どこまでやったのかすら覚えていない現状。ああ、こんなことになるなら最後までやっておけばよかった。

「とりあえず、次のサンヨウシティに行ってみようかな」
「……あの、すみません。ちょっといいですか?」

ふと、後ろから聞こえた声に身体を方向転換させて、あらびっくり。そこに居た人物に思わず一度心臓が飛び跳ねた。赤い帽子に水色の服。外側へ元気よく跳ねる茶髪は、まるでその少年の性格を表しているようだ。腕の中には、はじまりのポケモンであるポカブが収められている。

「あなたは、」
「俺はトウヤといいます」

帽子を外して礼儀正しくぺこりとお辞儀をする目の前の少年に動きが止まってしまう。トウヤくん。彼こそまさしく、この地方が舞台のポケットモンスターBWの主人公である。まさかトウヤくんに会えるなんて思ってもみなかったし、ましてやここに居るなんて想像もしていなかった。

「私はひよりです」

握手を交わして簡単に挨拶を済ませる。その間もトウヤくんのポカブくんはぴょんぴょんと軽快なリズムを刻みながら飛び跳ね続けていた。随分と落ち着きのないポケモンだなあと思いながら、これには訳があることを知る。

『あいさつとかどうでもいいからさ、早くサンヨウシティの場所聞けよー!』
「ああ、それならこの道を真っ直ぐ行って、」
『ひより』

グレちゃんの声でハッとなって慌てて口を押さえるも、時すでに遅し。案の定トウヤくんも目を丸くしてこっちを見ているし、ついでにいうとポカブくんからも物凄い視線を浴びている。
……しまった。普通に聞こえてきたから答えてしまったけれど、今のはポカブくんの声だった。最初はポケモンが発する言葉の聞こえ方に違和感を持っていたけれど、どうやらグレちゃんと話しているうちにそれに慣れてしまったらしい。今では人と会話するように普通に聞こえてしまっている。ある意味大変なことだ。

「ええと……俺、ひよりさんに言いましたっけ?」
「な、なんとなく!なんとなくサンヨウシティに行きたいのかなーと思いまして!」

首を傾げるトウヤくんの言葉に被せる勢いで言葉を繋げ、適当に笑って誤魔化す。向こうが話す隙を無くせばなんとか乗り越えられるだろうと必死に次の言葉を探していると、ポカブくんがトウヤくんの腕からするりと抜け出し、華麗な跳躍力で私に向かって飛びついてきた。慌てて腕を広げて受け止めると、まん丸の目をきらきらと輝かせながら鼻を機敏に動かす。

『なあなあ!お前、おれの言葉が分かるのか?!』
「ええと、まあ……分かりますけど、」
『だったらさ、トウヤに"お前のこと大好きだぜ!これからも一緒に頑張ってチャンピオンになろうな!"って言っ……わわっ』

すみません、と会釈をしながらポカブくんを再び腕に収めるトウヤくん。彼の視線はポカブくんへ、ポカブくんの視線は私へと注がれている。私の閉じた口はなかなか開けることが出来ず、言葉は押しとめられたまま。……さて、どうしたものか。

『言ってみるだけ言ってみればどうだ?』

声の主であるグレちゃんは私を見上げて真っ直ぐに視線を向けていた。随分と可愛らしい青い瞳には、浮かない顔をする私が映っている。
ゲームの主人公である、正義感溢れているであろうトウヤくんにならポケモンと話せるって分かっても別にいいとは思うけれど、……その、なんとなく言い出しにくい。

「信じてもらえなかったらどうしよう」

真実を言っているのにそれを嘘だと思われたら。何をこいつは言っているんだと馬鹿にされたら。頭の中ではそういうことばかり再現されては繰り返し脳内をぐるぐると回る。結局のところ、何も言わないことが一番いいという考えで落ち着いてしまっているのだ。

「なんだよ、お腹が空いたのか?さっき食べたばっかりじゃないか」
『違うんだってば!こいつがな、おれの言葉がわかるって!だからおれも、……』

眉間に皺を寄せるトウヤくんと、身ぶり手ぶりで必死に伝えようとするポカブくんをぼんやりと眺める。こっちの世界に来てから普通にグレちゃんと話していたから分からなかったけれど、本当に私だけにしかポケモンの言葉が分からないらしい。目の前のトウヤくんとポカブくんの全く噛み合っていない会話は、なんとなく寂しい。

『信じてもらわなくても別にいいだろう。ただポカブの気持ちを教えてやるだけでいいんだよ』
「……でも、」
『俺たちは人間に言いたいことがあっても伝えられないんだ。ただ思うだけで伝える方法を持っていない。こっちはちゃんと話しているのに全く違うように解釈されることばっかりだ。……ひより、もう一度考えてくれないか』

それはまるで、真実を言っているのに嘘だと思われてしまうことのようだ。たった一回きりのことなのに、私はそれを恐れてだんまりを決め込んだ。それに比べてポカブくん……いや、ポケモンたちはこんなことが日常茶飯事であって、それでも何度も立ち向かっているという。

「……」

急に大きくなりだす心臓に手を当てながら、トウヤくんの名を呼んだ。

「あ、あの。ポカブくんが、トウヤくんに伝えたいことがある、って」

ポカブくんを叱っていたトウヤくんが、突然の私の言葉に驚きを隠せない表情を浮かべる。それから痛いぐらいに突き刺さるその視線に負けそうになりながらも、頑張って詰まる言葉を口にする。

「実は私、……ポケモンの言葉が、分かるんです。それで、ポカブくんが、トウヤくんのこと大好きだって、これからも一緒に頑張ってチャンピオンになろうな!って……」

最後なんて聞こえないぐらい小さくなってしまった声。それでも全部言えたことに深呼吸をしていると、そうなのかポカブ。とトウヤくんがポカブくんを見る。キラキラ瞳を輝かせながら必死に何度も頷いてみせるポカブくんから視線を私に戻したトウヤくんはぽかんとした表情のまま一つ呟く。

「ほ、本当にポケモンの言葉が、……」
「……はい」

途中で切れた質問に、ポカブくんとは対照的に静かに一度頷いた。次にどんな言葉がくるのだろうかとビクビクしながら待っていたものの、トウヤくんは「そっか」と短く繋いだだけでそれっきり何も言わなかった。その反応に今度は私がぽかんとしつつ、ポカブくんの頭を優しく撫でるトウヤくんを眺める。

「実はついこの間、ある演説を聞いてからちょっと不安になってたんです」

そういえばこの街ではそんなイベントがあったっけ、と思いだしてみる。
人が沢山集まる中、堂々と主張する"ゲーチス"と名乗る男。なるほど、トウヤくんも聞いていたのか。私もぼんやりではあるけど内容を少し覚えている。ゲーム画面に並ぶ文字だけでは何の変化もなかったけれど、言霊という言葉があるように演説を生で聞くとなるとやはりその影響は大きいのだろうか。

「でも、ひよりさんがポカブの気持ちを教えてくれてスッキリしました。ポカブも俺と一緒にいることを望んでいるんだってね。本当にありがとうございました」
「い、いえいえ、」

さっきまで言うのを躊躇っていた自分は何処へいったのやら。緩む顔を抑えながら首を左右に振り回す。
それから改めて話を進め、恐れ多くもなんとトウヤくんとお友達になってしまった。そうしてタウンマップはどうしたのかと尋ねると、どうやら旅立ち早々ポカブくんが燃やしてしまったんだとか。私のタウンマップをコピーして渡すと、トウヤくんたちは早々に次の街を目指して旅立って行った。





ところどころ出会うトレーナーさんと戦いながらも順調に進んでゆく。ちなみに初めてのバトルはゲームでいうと短パン小僧くんで、技の指示もままならなかったものの、ほぼグレちゃんのおかげで勝つことができた。
そして今、私はものすごく悩んでいる。

『ひより、どうした?』

急に静かになった私を不思議に思ったのか、先を歩いていたグレちゃんが振り向いて立ち止まった。
私は交通事故に遭って死んだはずなのに何故かこのポケモンの世界にいる、別の世界の人間だということ。……どうせ何処かでボロが出るはずだし、これから一緒に旅を続ける仲間だから言わなくちゃいけないとは思う。けれどやっぱり言い出せない。さっきと全く同じ状況だ。

『ひより』

そのまま待ってくれているグレちゃんの前にしゃがんで膝を抱えた。じっと私を見るのは丸くて可愛らしい瞳。本当ならずっと見ててもきっと飽きないぐらいの瞳なのに、今は合わせることすら出来ない。

「あの、ね。……今から私が話すこと、きっと信じられないだろうけど、全部本当なの」

手持無沙汰で何となく目の前にあったグレちゃんの頭を撫でるけれど、少しでも顔をあげればまるで矢のように真っ直ぐな視線が私に突き刺さり、すぐに手を降ろして再び膝に持ってゆく。その上で指を絡ませ何かに耐えるようにきつく結んだ。

「……本当の、ことなの」
『俺はお前が悪気があって嘘を吐くような人間じゃないと思ってる。だから、お前の話はどんな話でも信じるつもりだ』

私の不安を見透かすその答えにグッと喉が締まる。まだ私とグレちゃんは出会って間もない。そんな私のことを信じてくれている彼を、私も信じて全て話してみよう。そうしてゆっくり開いた口から、小さく息が零れたのだった。

口籠ったり言葉につっかえたりと上手く話せた試しが無かった時間だったけれど、グレちゃんは真剣に聞いてくれた。私がどうしてあの森にいたのか、どこから来たのか……とにかく色んなことを話したつもりだ。それにしても、改めて言葉にしてみると自分自身でも信憑性の無さに驚くばかり。

『まあ、あの森にいたのにカラクサタウンだと分からない辺り、少し変だとは思っていたんだ』
「あ、ああ、そう……」

すでにボロはでていたらしい。これは早めに打ち明けて正解だったと一旦胸をなでおろす。グレちゃんが私の話を聞いてどう思ったのかは分からない。しかしそれは次で尋ねる質問の答えで大方分かってしまうのだ。
緊張の一瞬。一度目を閉じ、それから大きく深呼吸。

「今の話聞いてさ、……その、私のこと、どう思った……?」

空を見上げていた青い瞳が真っ直ぐ私に戻ってくる。引き攣る目元に小刻みに震える手。冷え切っているのに汗ばんでいるという気持ち悪い状態だ。手のひらの下にある服を握りしめ、その答えをジッと待つ。

『ひより、』

私は、その丸い瞳にどう映っているのだろう。

『顔あげろ』

もしも拒絶されたらどうしようって、悩んでなかなか言いだすことが出来なかった。
なのに、──……それなのに。

『お前はお前、ひよりは俺のトレーナーで仲間。前と何も変わらない』
「……、」
『忘れたのか?俺に似たようなことを言っていたのはお前だろう?』
「で、でもそれは私の考えであって、」
『俺もそう思ったんだが』
「う、うう……」
『無駄な心配だったな。俺だって、こんなことで見方が変わるようなヤツじゃない』

そういうと一度鼻先で私の頭をコツンとつついて再び前を向く。
ああ……本当に、無駄な心配だった。急に全身の力が抜けてべったり地面に座ると、少し前で振り返ったグレちゃんに「また服が汚れるぞ」なんて言われた。けれどそんなのはどうでもいいし、何だか今はこうしてこのまま放っておいてもらいたい気分なのだ。

『ひより』

仕方ない、というようにのろのろ戻って来たグレちゃんが再び鼻先で私をつついた。それにゆっくり顔を向けると、まん丸の目を半分ぐらいまで細めて一度ため息をつく。

『これから旅を続ければ仲間もきっと増えるだろう。そしたらお前はまたこの話をしようとする度に悩むんだろうな』
「そう……かもしれないね」
『でもな、もしもそいつらがお前のことを拒絶しても俺はずっと一緒に居る。絶対一人にはしないから、何も考えないで話せばいいさ』

反射的に伸びた腕は首に回って、小さな身体に思い切り抱きついた。この子はエスパータイプなんじゃないかと疑ってしまうぐらい、足りない何かを言葉で的確に埋めてくれる。その度に胸がいっぱいになって、熱くなって、込み上がって。

「……ありがとう、グレちゃん……っ」

震える声でバレてしまっただろうか。白黒の毛並みに顔を埋めたままの私に、何も言わないでジッとしてくれている彼の様子を伺う術はどこにも無かった。



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