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『さて、と……』

不意にセレビィくんが止まって、器用にパチンと指を鳴らした。
瞬間、不思議な光が飛び交う空間は真っ白な部屋に変化する。まるでマシロさんと通信していたときの、あの部屋のようだ。浮いていた私の足も下へ降りて床を踏む。

『ひよりちゃん、これが本当の最後だよ』
「ど、どういうこと……?」

宙に浮いたままのセレビィくんが、不意に私と繋いでいた手を離した。すると突如、姿を消してしまったのだ。驚いて真っ白い空間を見回してみたが、やっぱりいない。……1人、取り残されてしまった。
ど、どうしよう。まさかここが到着地なのか。いやいや、そんなはず……。
不安の嵐の中、……ふと。空間にドアが現れた。扉が開き、カツンと靴の音が響く。こちらへ真っ直ぐやってくる足音が、私の目の前で止まる。

「……キューたん」
「…………」

ふらりとやってきた彼を見上げると、灰色の髪が俯く顔を覆っていた。そっと指先で髪を退かしてみれば、真っ白い顔が出てきた。視線は合わせず、口は一文字に結ばれている。それからすぐ。私に向かって、覆いかぶさるように身体を傾けてきたのだ。

「ど……どうしたの……?」

瞬きを繰り返しながら尋ねると、驚いて固まらせていた身体に回された腕に一度ぎゅうと力が入る。……ひどく、温かく感じるのはなぜだろう。

「……もしも、あのまま残っていたら、」
「うん」
「また3番目に意識も身体も乗っ取られて、テメエを殺してた。それに邪魔したあいつらもきっと、全員殺してたと思う」
「……うん」
「…………悪い」

なんと返せばいいのか分からず、無言のままで背中におずおずと手を回してみる。今までずっと拒絶されてばかりいたけれど、今度こそ触れられた。抱きしめて、あげられた。

「キューたんは、私と一緒に来てくれるの?」
「──……いや、俺様はイッシュに残る」
「残って、どうするの……?」
「最後まで、足掻いてやる」

俺様が飲み込まれるのも時間の問題だ、でもな、気に食わねえからギリギリまで抗ってやるんだ。……そういう彼の声は、どこか悲しそうに聞こえてしまった。それにもう一度、きつく抱きしめるとフッと笑う声が聞こえた気がした。

「──……なあ、ひより」

身体をゆっくり離しながら呼ばれた名前は、一瞬、誰の名前なのか分からなかった。からかう訳でもなく、初めて真っ直ぐに呼ばれた名前に大きく頷き。

「もしも、もしもだ」
「うん」
「……俺様が、おっさんに捕まったら。テメエはどうする」

どうする。そんなこと、考えずとも決まっている。
両手を握り、見上げて。

「もちろん、助けに行くよ。みんなが何と言おうと、私が、助ける」

キューたんも大切な仲間だもん。、そう付け加えると、一度目を大きく見開いて俯く。それからゆっくり腕を持ち上げ、キューたんの両手が私の頭を挟むように優しく乗せられた。一度片手で髪に触れ。

──……ぱきん。

顔が近づき、思わず目を閉じたときだった。
額に、唇が触れる。

……ぱきん。

途端、彼のありえない行動に驚く暇もない程の急激な眠気に襲われた。抗えない睡魔。遠のく意識。閉じた瞼を上げることは全く出来ず。

「──……ありがとな」

ひどく優しい声色と言葉を聞いて。

ぱきん。


──……私は、眠りに落ちた。





『……ねえ、どうして記憶を凍らせちゃったの?』

光から飛び出してきたセレビィが少女を抱える男に問うも、答えは全く返ってこない。しかしそれを気にすることもなくセレビィは男の前に飛んでゆく。

『どうせキミは3番目に飲み込まれて、その身体はゲーチスのおじさんのもとに帰って行く。おじさん、キミの強大な力を使ってまた世界征服!とか言いだしそうだね』
「……」
『記憶を凍らせて自分の存在を忘れさせたのは、そうなったときにひよりちゃんを近づけないようにしたかったからでしょう?キミ、すごく用心深いんだ』

横抱きにした少女から視線を放さない男を見ながら、自由気ままに白い空間を飛び交うセレビィは少しだけ。ほんの少しだけ、男を不憫に思った。かつて偶然にも自分を人間の手から逃してくれた男へ、何か恩返しをしたいと思っていた結果がこれなのだ。そう思うと、セレビィはやはり自身の力不足をひしひしと感じてしまった。それはそうと、お菓子は沢山貰えるのは確かであって、結局のところセレビィにとってはどうでもいいことだった。

『ひよりちゃんの答え次第では、記憶を凍らせないでも済んだのかな』
「……ッチ。本当によくしゃべる野郎だぜ」
『ボクはおしゃべりが大好きなの!』

さ、キミはここまでだよ。
セレビィがそういうと、白い部屋は一転、またしても光飛び交う不思議な空間に変わった。それから、とある森に男は運ばれた。見覚えのある、どこか懐かしい景色……。

『ボクの力じゃ、プラス2時間が限界だったかな』

そういうセレビィの頭に男が手を乗せる。雑にぐりぐりと撫でるのを、セレビィは大人しく受け入れた。この行動の意味も、もちろんセレビィには分かっている。

「……そいつ、頼んだぞ」
『任せてよ』

森に男を残して閉じてゆく光。そうして完全に塞がれる間際、男の口の動きと自身に投げられた数個の物を見て、セレビィは目を大きく開けたあとに嬉しそうに笑った。

『ボクにありがとうだってさ!随分素直になったね、彼も。……キミのおかげかな、ねえ、ひよりちゃん』

セレビィは少女を見てから両腕いっぱいに収まるぐらい大きなお菓子の袋を勢いよく開けると、満足そうに口に頬張った。


光は移動を続ける。
時の流れに乗っかって、頼まれた少女を運んで行く。

──……別の、地方へ。時間を超えて、運んでいた。



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