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「これは一体どういうことですか、キュウム!」

キューたんに指示されたように、私はセレビィくんと近くの柱に隠れて待機しつつ様子を伺う。
気絶していたゲーチスさんは目が覚めるや否や声を荒げた。この状況に不服を隠せない。遠くから見てもその様子はしっかりと感じ取れた。そしてその声で、グレちゃんも気が付いて目をゆっくり開けていた。──……よかった。本当に氷はあれから進んでいない。グレちゃんは、無事だ。

「……ひより、……っひよりはどこだ!?」
「さあ?」

キューたんが笑うと、グレちゃんは唇を噛んで俯く。……自分よりも私の心配だなんて。彼らしいと思いつつも心配にもなる。これから、大丈夫だろうか。

「早くこれを溶かしなさい、キュウム!」
「はいはい分かりました、ゲーチス様」

待ってましたと言わんばかりにセレビィくんが身を乗り出した。慌てて押さえては見たものの私の腕からするりと抜け出して『これから絶対面白いことが起こるよ!』なんてにやにやしている。……無垢ないい子だと思ったけれど、この子は案外お腹の中は真っ黒なのかもしれない。
そうこうしている間に、キューたんがゲーチスさんに歩み寄り。目の前で、手を開く。

「──……なんて言うと思ったか、おっさん」
「ッ貴様!貴様だったのか!?やはり実験と共に消し、」

言葉の途中。ぱきん。、また一つ氷塊ができた。
あんな一瞬で凍らせるなんて。唖然とする私の横で『ひよりちゃん見た!?今のおじさんの顔!』なんてげらげら笑いながら飛び回るセレビィくんは、もはや空飛ぶ小悪魔にしか見えない。

「お前、ゲーチスのポケモンじゃ、なかったのか……?」

グレちゃんの声が聞こえた。それに無言で返すキューたんの姿がやけに小さく見えた。
セレビィくんに手をひかれ、私も一歩大きく踏み出す。別れるにしては急すぎて、未だに自分のことのように思えていない。できればずっと、このままの感覚でいたいけれど。
きっと、そうはいかないのだろう。





「キュウム、お前は……」
「テメエは、小娘が大切か」

最後まで聞かなくても分かるその言葉を途中で切って尋ねれば、口は固く閉ざされた。シマシマ野郎も存外勘がいい方だ。だから答えねえ。しかしながら、分かりやすい。飼われたポケモンはトレーナーに似てくるなんて馬鹿げた話をどこかで聞いたが、あながち間違ってはいないのかも知れない。

「……だったらなんだ」
「小娘を、頂いていくぜ」
「……は、?おい、何を言って、」
「俺様は本気だぜ?テメエらの手の届かないところで可愛がってやらあ」

明らかに変わる雰囲気に笑ってみせる。
俺様は、嘘はつかない。だが偽ることは大得意だ。偽らなければここまで来ることはできなかった。……旅も、出来なかっただろう。あながち悪くなかったと、記憶を呼び起こして思う自分自身に笑ってしまう。

「チビ緑」
『いやあ……辛いねえ、キミ』
「黙ってろ」

突然の出現にシマシマ野郎も驚きを隠せないのか睨みが一瞬緩んだ。が、それも『お姫様』の登場ですぐ元に戻る。チビ緑から小娘を引き継いで腕を乱暴に掴むフリをすると、余計に気が荒くなる。

「……痛、!」
「ひより!」

焦るシマシマ野郎を見ながら、内心自分も焦ってしまった。……いや、そこまで強く掴んでいないはずだ。だがまだ力をコントロールしきれていないのは確かだ。もしかすると。そう思ってちらりと見れば「大丈夫」と小さく笑う小娘。見透かされていたようで、即座に視線を外した。……ここまで深入りする気は少しもなかったはずなのだが。

「ひより放せ……!」
「それは無理な話だ」

瞬間、背後に大きな光が生まれた。もちろんチビ緑の仕業だ。
──……さあ、これで準備は整った。合図を送り、頷くチビ緑を見てから。掴んでいる腕が震えているのに気がついてしまった。
俺様は、見て見ぬ振りも、得意だ。





背後に強い光を感じつつ、ゆっくり振り返ると眩しすぎて真っ白に見えた。……これが、セレビィくんの時渡りの力。これからここに、私は1人で飛び込む。どこに行くかは言われていない。それでも、もう決めたことを変えるつもりは全くない。

『行くよ、ひよりちゃん』

キューたんが乱暴に私の腕を離して、セレビィくんのところに放られる。『うまく騙せてるね』、私に小さく耳打ちするセレビィくんはまたしても楽しそうだ。

私がここに残れば、3番目の彼に殺されて私の中にあるマシロさんの力が奪われ完全になってしまう。そうなれば、もはや誰にも手がつけられない。しかし私が姿を隠せば、完全になることはなく、まだ抑えられる希望があるのだとセレビィくんが言っていた。
一度目を睫毛を伏せてから、氷の中に閉じ込められたままの仲間を見る。……全部、夢みたいだ。

背を向けて、セレビィくんに連れられるように光に向かって一歩、また一歩と歩き出す。

「おい……待て、待ってくれ……!」

セレビィくんに手を引かれながら聞こえたのは、グレちゃんの焦ったような声だった。振り返ってみたが、目の前にある時渡りの光が眩しすぎて何だかチカチカして見える。

「くそ……何でお前が、」

セレビィくんをちらりと見れば『仕方ないね』と肩をすくめながら手を離してくれた。……今は気付いてくれなくてもいい。でも後々、私が無理やり連れて行かれた訳じゃないって分かってもらえる日が来ますように。

「……グレちゃん」

近寄りながら名前を呼ぶと、ゆっくり顔をあげて私を見つめた。瞳はゆらゆら揺らいで、眉間には皺を寄せている。両手をグレちゃんの頬に添えてそっと撫でると、消え入りそうな声で私の名前を呼ぶ。

「そんな顔しないで。大丈夫、別に死ぬわけじゃないんだし」
「何、暢気なことを……っ!」

目線を逸らして唇を噛むグレちゃんを前に、不器用に笑みを保つ。夢のように思っていたけれど、やはりここに来て急に別れが現実味を帯びてきてしまった。
……泣くものか。そうやって堪えている時に限って、思い出が走馬灯のように浮かんでくる。唇をひっそりと噛み締め、震える声で言葉を紡ぐ。

「今まで、本当にありがとう……、さようなら、グレちゃん」
「──いいや。そんな言葉は、いらない」
「……え?」
「過去だろうが未来だろうが、お前が何処に行っても絶対会いに行く。だから、!」

思い切り背伸びをして、きつく抱きしめる。冷え切った身体を寄せて、鼓動を重ねる。どくん、どくんと鳴り響く音が愛おしく切ない。身体を少し離して冷たい頬に手を添え、ゆっくりと撫でた。両手で挟み、額を合わせて睫毛を伏せる。

「……早く来てね」
「大人しく待ってろよ」

私を急かす声がした。それから時間をたっぷりかけて手を離す。伸ばした指先と指先が離れて、下がる。
セレビィくんのところへ駆け足で戻り、今度こそ、しっかりとその小さな手を握った。──……そうしてふと、思い出す。こっちの世界で目覚める前に見た夢と、これは同じ光景だ。それでもあの夢とは少し違う。
ここに、完全な別れはない。

『ひよりちゃん、どうしてちょっと嬉しそうなの?』

ふわりと私の身体も念力で浮かせながら、セレビィくんが丸い大きな瞳を向けてくる。不思議そうに首を傾げる姿は可愛らしく、またクスリと笑ってしまった。

「……夢とは違う展開が、何だか嬉しくて」
『夢?なんのことだか、ボクにはさっぱり分からないよ』

それじゃあ、行くよ。
セレビィくんの合図と一緒に、時と時を繋ぐ眩い光へ思い切り飛び込む。
……私はこれから、どこへ向かうのだろうか。分からないのに不安に押しつぶされていないのは、きっとグレちゃんの言葉が私の中にあるからだろう。
大丈夫。またどこかで、必ず会える。そう、信じて。





「俺様に誰も歯が立たねえなんて、情けねえな」
「……」

憎悪は人を強くする。

「小娘たった1人すら守れねえ」

そんな強さは強さじゃない。小娘なら、きっとそういうだろう。しかしそれでも、甘さを持たない強さは絶対的だ。

「……ああ、そうだ。俺は弱い。だからお前に負けたんだ」
「悔しいか?いい顔だ」

光を失った瞳が、刃のように鋭く突き刺さる。
時が経つにつれて、これはさらに鋭くなるだろう。願わくば、小娘とは会えないままに痺れを切らして、この首元を掻き切ってくれますように。それまでどうにかして3番目の自身を抑えておかないといけないのだが。

「よおくこの顔を覚えておけ。そして次は、殺すつもりでかかってこい。……それまで小娘が生きてるかわからねえけどな」
「……お前の意図はわからない。が、そこまで言うなら、やってやる。次会うときがお前の命日になるよう、死に物狂いで強くなってやる」

背後、光が小さくなってきた。
鋭い視線を背中で受けて、振り返らずに片手で手を振り閉じる光に滑り込んだ。
……3番目の自分に勝てるとは、思えない。だからこそ、お前らに託したい。

化物が小娘を殺してしまうその前に、この息の根を止めてくれ。



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