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それからほんの数分で診察が終わり、ジョーイさんたちが部屋を出て行った。
ドアを閉めたあとにゆっくり振り返ってみると、グレちゃんがいない代わりにまたもやさっきの少年が立っている。複雑怪奇。い、いや、若干勘付いてはいるけれど……真に信じがたい。

「も、もしかしてグレちゃん?……なわけな、」
「ああ」
「そっそんな馬鹿な……!」
「俺だってまだ信じられていない。……自分が自分じゃないみたいだ」

そういうと何かを確かめるように両手を胸元まで持って行くと、開いたり閉じたりの運動を繰り返す。
……つまり、ポケモンであるグレちゃんが人間になったということか?あれ?ポケモンって人間になれるものだったかな。いや、ゲームではそんなこと一度もなかったはず。うーん……?……うん、考えるだけ無駄かも知れない。

「お前も信じられないって顔してる。まあ、それもそうだよな。……でも俺は正真正銘、お前から名前を付けられたシママだ」

確かにグレちゃん(仮)に言われた通り信じられていない。だってポケモンが人になるだなんて「はいそうですか」と簡単に受け入れられるわけがない。あまりに現実味がないことばかりが続いてもう私の頭はパンク寸前だ。

「普通のポケモンは人間になんてなれないはずなんだ。──……なんだか、化け物にでもなった気分だな」

頭を抱える私の目の前、そういったグレちゃんは眉をハの字に下げて笑った。それと同時に泣いてしまいそうに見えたのは私の勘違いかもしれない。けれどとにかくそう見えて、素早く私と同じ五本の指が生えるその両手を強く握った。一回り大きい手は完全に覆うことができず、長い指が外にはみ出ている。

「グレちゃん」
「な、なん、だよ、」
「グレちゃんはグレちゃんだよ。正真正銘、私が名前を付けたシママさん。そうでしょう」

例え人間に変身できようがなんだろうがグレちゃんであることに変わりはないでしょう。そう偉そうに言ったものの、驚いたように目を見開いくグレちゃんを目の前に、私はとあることに気がついてしまう。……私も、普通じゃなかったじゃないか、と。

「……そうだな、俺は俺だ」

するり、手から手が抜け出してお互い元の場所に戻した。それから視線が合い、再び蒼い瞳を見る。

「そういえばお前。……ひよりっていうんだろう」

……ひより。、こっちの世界で初めて呼ばれた自分の名前にハッとする。まるで白黒だった世界に色がじんわりと付いていくような。ただ名前を呼ばれただけなのに、自分はここに居ていいんだと。まるでこの世界に自分の存在を認められたような錯覚を起こしてしまった。自分の左手で右手を掴んで、目の前のグレちゃんに大きく頷く。

「ひより、お前に頼みがあるんだ」
「たのみ?」
「俺を、お前のポケモンにしてほしい」
「……え?」

急に真剣な面持ちで名前を呼ばれたことにもびっくりしたけれど、それ以上にその後の言葉に驚きを隠せない。確認にもう一度聞き返しても、返ってくる言葉は一文字も先ほどとは変わらない。

「……俺のせいでお前も厄介事に巻き込んだ」
「ああ、シママさんたちのこと?」

本当に申し訳なさそうに、こくりと一度頷く。どうやら私に対して責任を感じているみたいだ。しかしその厄介事に自ら進んで巻きこまれに行った私には、彼を束縛する権利はないと思うのだけど。

「ええと、……無理にならなくてもいいんだよ?私は別に、」
「嫌々言ってる訳じゃない。俺はもう、」

私の言葉に被せるようにそこまで言うと、不意に口を閉じてしまった。言葉の続きが気になるところだけど話したくないみたいだし聞かないでおこう。
しかしまあ、一人よりは誰かに一緒に居てもらった方が心強いことは確かではある。正直、またあのシママさんたちと会ったら一人で太刀打ちできる気がしない。

「……本当に、私でいいの?」
「ああ。それに、今の俺にはひより以外考えられないしな」

……二人して目をぱちくり。言葉を言い終えたあとに本人も何を言ったのか気がついたのか、ぼんっ!と効果音をつけてもいいぐらい急激に顔を赤くして、慌てて適当な言葉を繋げはじめる。それを目の前にして私も下唇を噛みながらぎこちなく顔を背ける。……す、すごく、気恥かしくて、堪らない。

「そ、それにお前は俺の命の恩人だ。今度は俺が、お前を守るから」
「ま、また恥ずかしいことを……!」
「はっ、恥ずかしいことなんて言ってない!」
「……まあでも、うん、私もグレちゃんと一緒なら旅でも何でも出来そうな気がするよ」
「旅、か……悪くないかもな」

これからどうしようか迷っていたけど、これで決心がついた。旅をしながらどうしてポケモンの世界に来てしまったのか、理由を探すことにしよう。単なる偶然ならそれでもいい。でもやっぱり、私がここへ来た意味が何かあるんじゃないかと思ってしまう。旅をしながら、それらをゆっくり考えるのもいいだろう。

「グレちゃん」

真っ直ぐ前に手を差し出してみたものの、目の前の彼は首を左右に振る。それでも私がさらに伸ばしてその手を捕まえると、諦めたようにおずおずと前に出された。なんだよさっきは大人しく握らせてくれたくせに!

「これからよろしくね!」
「……ああ」

初めての世界に初めての出会い。ああ、これから先が楽しみで仕方ない!


──鞄の奥底、灰色のボールが微かに揺れたことには、未だ気づかない。


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