待恋




初めて会った時の印象は、大きくて優しい人。

確かその頃の俺の身長は、その人の太股の辺りだったような気がする。俺が年齢も身長もチビだったってのもあるが、それでもやっぱり凄く大きく見えた。
だからほんのちょっと怯えてもいたんだが、頭を撫でる無骨な手が思いがけない程優しくて、嬉しい様な可笑しい様な妙な気分になって笑った。

沢山の事を知ってもいた。

無邪気にアレはなんだコレはなんだと質問を繰り返す俺に、一つ一つ丁寧な答えをくれる。知らない事を沢山教えてくれる。
滅多に相手をしてくれなかった親父より、ずっと好きになった。

次に会えるのはいつだ?やら、今日は来ないのか?やら。
時々遠慮がちに相手をしてくれてた男達に、毎日聞いて回って困らせる位には大好きになった。

そうして来てくれた日には、大喜びしてあれしようこれしようと遊んで貰ったもんだ。

そして、今は―――







「御就任おめでとう御座います、若」


突然室内に響いた低い声音に、はっとして回想を中断させた。
慌てて声がした方を振り向けば、所々に金を散りばめた見慣れた襖の前に、柔らかな笑みを浮かべた壮年の男が目に映る。

俺は「ああ」と苦笑混じりに呟いて、男へ小さく手招きした。


「思ったよりも呆気ないモンだな。組長就任、って」

「そうですね。式までがごたついてましたから、余計にそう感じられるんでしょう」


俺から一米程の距離を置いて座敷に腰を下ろした男が、静かに返答する。
立てた膝に肘をついて、頬杖しながら視線を遣れば、また小さく微笑みを向けられた。

半月の形を作った目尻に浮かぶ僅かな小ジワに、ふと、何も考えずこの人と過ごしていた日々を思い出した。


「…もう、どれ位になるかな」

「十九年、ですね。若がまだ七つの時でしたから」


蚊が鳴くような小さな独り言だったが、耳に届いたらしい。すぐにその意味を汲み取った男は、言いながら昔年を懐かしむ様に目を細める。
俺は俺で、フッと一つ吐息を零して、先程中断させた回送の続きをボンヤリ思い起こした。

十九年…その長いとも短いともつかぬ年月の中で、純粋にこの人を想っていられたのはどれくらいまでだったか…。
思い悩んだ年数が短い様で長過ぎて、変化が起きた時点などもう覚えてはいない…今となっては。

浅く緩く、気取られない程度に息を吐き出して、過去の思い出話を滑々と口にしている男…長年の想い人に、内容に即した相槌を打って返す。
傍目から見ては解らないだろうが、口調や纏う空気が弟分や部下達と居る時とは打って変わっていて、大層鮮やかで楽しそうだ。

俺は、話とは全く無関係の所を行ったり来たりしていた思考を大雑把に整頓させながら、親父の右腕でもあった男…これからは、俺の補佐をしてくれるのであろう彼へと笑みを向けた。


「?、どうかしましたか?」

「いや、どうもしねぇよ…少し、これからの事を考えてただけだ」


怪訝そうな顔をした男に誤魔化す様に薄笑んで、明日からの事を思い描く。

……今の俺が抱いてる想いを、まだ“親愛”だと思い込んでいるこの人の事だ。此方から想いを伝えなければ、一生気付かないだろう。

外部の者は当前として、仲間内でも彼に隠し事は通用しない、組で一番敏腕家なのも彼…なんだが、そんな男は若頭である俺に対してだけ、胸襟を開き切ってるのかそれとも別の理由があるのか、かなり疎い。
甘いとも言えるか。

特に感情の機微に関しては、筋金入りと言っても良い位だ。
不思議そうに眉根を寄せはしたものの、すぐに持ち直して明日からの予定やそれに関する雑談を喋りだしたのが良い例だろう。


「(…が、まぁ、良い)」


思わず苦い笑みが浮かんでしまいそうにはなるが、焦る必要はどこにもない。
今伝えて混乱を招くのも得策ではないし、何より明日からはずっと共に居られる。

機会など、いくらでも巡ってくるのだ。


「…楽しみだな」

「はい、そうですね」


偶々男が話してた内容に被ったのか、空気に溶けて消える筈だった独り言に、優しい声で相槌が返される。
その間の良さに驚いて小さく噴き出すと、再び不思議そうな色を宿した瞳が俺を映した。

決して人が良さそうな印象には見えないが、男前とは言える位にキリリと整った顔立ちにそれがどうにも不釣り合いで、だがそれすらも愛おしく感じる。
そんな自らに軽く呆れながら、俺は先程と同じ曖昧な笑みを浮かべて、「なんでもねぇよ」と呟いた。


――そうだ。もう今迄のように、懊れる事も急ぐ必要もない。
じっくり、ゆっくりと俺の所まで落としていけば良い。

どれだけ掛かるかは解らないが…そう、遠くもないだろう。


男は、暫く今にも首を傾げ出しそうな雰囲気だったが、漸く自分の中で何か納得させたらしい。

元の調子を取り戻して話の続きを再開させた彼を見ながら、明瞭な程綺麗に浮かぶ近い未来を想って、小さく小さく微笑んだ。



待恋
(ただ待つ恋ってのも、結構良いもんだろう)



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