騒がしい奴がいなくなった事により、霞んでいた蝉の鳴き声が随分と耳につく

だが、何故かそれ以上に、隣で頁を捲る音とかシャーペンを走らせる音とかが、纏わり付くように伝わってくる



「(……そう言えば…)」



貴壱とこんな風に二人きりになるのは、いつ振りだろう?



「(いつも誰か他に居た…よな。高校入ってからずっと)」



ふと思い出してそう意識すると、懐かしい様な気恥ずかしい様な奇妙な感覚に捕われて、でも久々に、少しの間だけでも独占出来る嬉しさに頬が緩む

ダメだダメだとまたいつもの無表情に戻すのだが、ちゃんと戻っているのか不安でならない


そんな状態のまま、勉強をし始めてからずっと口を開かない貴壱をチラリと覗き見れば、端正な横顔…

…まぁ何と言うか予想は出来ていたのだが、見慣れない真剣な顔付きを目にして、また先程の様に顔に熱が集まった



「(……心臓の音、とか…聴こえたりしねぇよな…?)」



あからさまな位反応する自分に、心の中のみで叱咤して、視線を机上の問題集に滑らせる

記号と数字の羅列が目に入っても、中々収まってくれない。それどころか、益々意識してしまってる自分が居て…



「…咸斗?」



そんな時に貴壱が俺の名前を呼ぶものだから、大袈裟過ぎる程に大きく肩を揺らしてしまった



「さっきから進んでないけど、どうかした?やっぱり辛いなら、休んでても良いんだよ?」



至極心配そうな優しい声が、俺の右上から降って来る。きっと、眉をハの字にして困った様な顔をしてるんだろうな…

だが、顔は上げられない。まだ大分熱を持ってるし、心臓はドクドク煩いままだ
コイツの事だ、きっとまた勘違いしてる。さっきは流せたが、二度も上手く躱せるとは思えない



「…何でもねーよ、ちょっと考え事してただけ」



結局、俺は顔を俯かせたまま、不自然にならない程度に貴壱に見えている側の顔を手で隠して、当たり障りのない応えを述べる

心配を掛けておいてこんな応え方はどうかと思うが、あんまり長いセリフを言ってたら声が裏返りそうだし

基本クールキャラで通してるのに、そんな所見せたら赤っ恥も良いトコだ



「……少し、休憩にしよっか」



そんな冷たい態度を取る俺にも、貴壱は優しい

さっきの言葉をどう受け取ったのかは知れないが、自身の右手に握られていたシャーペンを机に置きながら、ポンポンと俺の頭を撫でて来る

俺は、ピクリと体を動かして、でも手は振り払わず為されるがまま撫でられていた



「そうだ、休憩ついでに何か食べよっか。お菓子とアイスどっちが良い?」

「ん…アイス」

「解った、持って来るね」



俺の頭の上から手を退けて、ついでの様に「よいっしょ、と」と呟きながら机に手を掛けて立ち上がる

そんな姿でも様になってる様に見えるのは…、恋は盲目だとか言うやつなのか否か

多分、否だと思うけど。貴壱モテるし



「ああそうだ、うちの店のアイスでも良いよね?」

「ん、それで良い」



ガチャリと部屋の扉を開けつつ問う貴壱の方に見向きもしないで、勉強するフリをしつつ小さく告げる

後方でフッと笑った気配がしたけど…多分気の所為だろう


俺は、貴壱の足音が部屋から遠ざかっていくのを耳にして、やっと「はぁー…」と息を吐きだした



「(…たく、これはもう末期だな)」



二人きりになるだけで心臓が早くなったり顔が赤くなったり、自分で自分に驚く程、貴壱に対して過敏に反応してる気がする

いや、気がするとかじゃなくて実際してる



「(苦しくなったりモヤッとしたり…何処の恋する乙女だか)」



自らを嘲笑する様な笑みを浮かべて、その場にゴロンと横になる

扇風機の風が丁度良く全身に当たって、涼しいとまではいかないが心地好い

その心地好さに身を委ねたまま、俺は軽く瞼を閉じた



「(……あ、貴壱の足音…)」



だがすぐに、部屋を出て行ってから一分も経っていないがトントントン、と一定のリズムで聞こえる階段を登る音が聞こえてくる

寝たままでいるか起き上がるかで少し逡巡したが、足音が部屋の前に来た時、ゆっくりと身を起こした



「咸斗お待たせー。はい、アイスとお菓子」

「両方持って来たのかよ」



片手で体を支えながら気怠げに振り返れば、両手に別々の物を持っていつも通り笑顔の貴壱

左手には透明なカップに入ったアイス二つ、右手には…



「アップルパイとチョコレートケーキ二切れずつ持って来たけど、咸斗食べれる?」

「食うっちゃ食うけど…それ手作りか?」

「うん、珠李と舞ちゃんの要望のお菓子」



楽しそうにそう言われれば、そう言えば二人共この間何か言ってたな…と、朧げではあるがカフェでの会話を思い出す

まあ今その二人は居ねー訳だが…



「二人が戻って来てから食べようかちょっと悩んだけど、いつ帰ってくるか解らないしね。先に二人で食べよう?」



カチャカチャと盆から机へ皿を移しつつそう言って、移し終えるとまた先程とは違う、愛おしい物を見る時の様な表情で貴壱はまた俺の頭を撫でる

不意打ちでやられてまた心臓が高鳴った気がしたが…もう、そんなのは知らんぷりだ。さっさとアイス食って冷やそう


俺は貴壱の手を頭上から除け、先に机上に置かれた透明なカップを手に取り淡い白色をしたアイスをスプーンで一口分掬って、早々に口に運んだ
冷たいソレが舌に馴染んで、じわりと溶ける

…やっぱり此処のアイスは絶品だな。滑らかな舌触りとか、品の良い甘さとか
コンビニで売ってるアイスなんかはもう目じゃない



「どう?美味しい?」

「…うん、まぁ…」



隣から聞こえた問い掛けには簡単に返して、ゆっくりと味わうように溶ける塊を舌の上で滑らせる

程々にこの部屋が暑いからだろうか…普段食べる時よりも、一層美味しい気がする



「そっか、なら良かった」



アイスに夢中で曖昧な返事になったが、貴壱はそれでも良かったらしく、自らも目の前のアイスに手をつけ始める



「俺辛党だからねー、甘い物食べても美味しいかどうかの基準が解らないからさ」

「…美味いよ、普通に。少なくともコンビニのアイスよりは断然」



パクリ、とまた一口含みながら呟く

すると貴壱は、目を少し見開いて一度だけ瞬きして、嬉しそうに「ありがとう」と言って笑った



「(あ、…何か…)」



何だか…物凄く、熱い

気温が暑いのか身体が熱いのか、と言うか顔が熱いのかよく解らないが、熱い



「(……いきなりあんな顔で笑いやがるから…)」



すっごい嬉しそうに…親に褒められた子供みたいな笑顔で…、しかも近距離で
油断した、真っ直ぐ直視してしまった


俺は左手で、赤く紅潮しているであろう頬を隠しながら、不自然でない程度に急いで貴壱から視線をズラして、アイスをまた一口と頬張る

その時、だった…



「…ねぇ咸斗、ちょっとこっち向いて」

「?、何……、っ!」

「んー…うん、やっぱりちょっと熱いね」



貴壱の、意外と大きな手の平が俺の耳元を滑り、後頭部をまるで支えるように優しく掴む
そのまま手の平に僅かに力を込められて、吃驚してる暇もなく額と額を合わされる


独り言でも呟くように小さな、しかし取り分け心配はしていなさそうな声色の、貴壱の言葉が耳朶をすり抜ける

ふと、視界全体に映る貴壱と目が合った



……頭が、ボーっとする

耳鳴りが響くみたいに、蝉の合唱がくわんくわんと脳内を回る

喉がカラカラに渇いて…ジュースに手を伸ばせば済む事なのに、そんな考えも浮かばない



「やっぱり少し休んでた方がいいね、咸…――」



形の良い唇が、実際は違うんだろうけどスローモーションの様にゆっくりと動いて…―

貴壱が俺から手を放そうとした瞬間、それを掴んで遮り、殆ど衝動的にもう片方の腕を貴壱へと伸ばすと、無意識に目を閉じた



…熱い、のに、冷たい
ああそっか、さっき迄アイス食ってたから

微かな水音が、鼓膜を揺らす
柔らかい、気持ち良い、安心する


意識がボヤけて、次第に拡散していく
肌同士で触れた所は汗ばんで、でも、口の中はまだ冷たくて、随分と心地好い……――



「…っ…咸、斗…?」



……すっかり陶酔していた俺の耳に、突如届いた声にハッとする

と同時に自分の今の状況を瞬時に理解し、急いで首に巻き付けついた腕を自ら剥がして、身体を反射的に離した


視界に映った貴壱は、心底驚いたと表情に出してポカンとしていた



「…へ…、あ…?」



お、れ…俺、今…

一体…何、を?



自分から為出かした癖に混乱して、グチャグチャに混線していく頭の中を必死に整えた

俺は、いま…
コイツに…貴壱、に…



「っ、咸斗っ?!」



自分が今した事を、間を置いて再認識する
と、全身の熱にも気付けない位頭の中が真っ白になって、その場に居られず貴壱が俺を呼ぶ声も無視して部屋を飛び出した

周りではまだ、蝉の耳障りな程の鳴き声が響いてる
勢いよく家から出て来た俺の目に、抜けるような青い空と綿飴みたいな入道雲が飛び込んでくる



「(ああ、チクショ…)」



今更気付いた、早鐘を打つ心臓の音と、さっき迄では有り得ない位の唇の熱


それらに、必死になって収まれ収まれと心の中で叫びながら
どこに行くでもなく、狭い世界の中を走った






Blue kiss
(それは青い夏の、青春の一コマ)




.

[ 3/6 ]

[*prev] [next#]
[mokuji]
[しおりを挟む]



「#ファンタジー」のBL小説を読む
BL小説 BLove
- ナノ -