そのまま暫く成されるがままになっていたが、雨匣縞さんが「さて…」と声を漏らした所で、捺忌さんの手はゆっくりと離れてしまう

それを何だか少しだけ名残惜しく感じつつも、正面の椅子を引いて腰掛ける彼の姿が目に入って、顔を僅かに上げて視線を合わせる

瞬間、ピリリとした緊張感が空間に流れた



「ちょっと打ち解けた所で先ずは、この町で過ごす際の注意事項…な。色んな奴らが集まるからさ、一応決まり事があるんだ」



柔らかい、しかし少し苦笑を交えた様な笑みが浮かんでいる

でも僅かに張り詰めた空気はしっかりと肌で感じ取れ、知らず知らずの内、ゴクリと一度だけ喉を鳴らした


……きっと、それを守れないのならば此処には居られない。そんな類いのルールだろう

言われてみればそうだ、此処は自分だけが力を持ってる訳じゃない。出会う人は全員が、そういったモノを持っている
俺はまだ自分の持つ力しか知らないから、他の人がどんな能力があるのか……なんて知らないし予想もつかない

けど…今まで生きてきた場所での常識と此処での常識は、きっと違う


……今朝までずっと、頭の中をグルグル回っていた悪い思考が再び脳内に蔓延り出して、それをなんとか一呼吸でやり過ごした

大丈夫。この人達は、きっと信用出来る

俺は言葉を発っさないまま、小さく頷いて先を促す
すると、そんなに固くならなくても大丈夫だぞ、と薄く笑って、雨匣縞さんは話し始めた



「先ず一つ目に、不用意に町の者を痛め付けない事。まあ私闘を禁じてる訳じゃないから、ちょっとした喧嘩なら大丈夫だ」

「は、い…」

「ま、喧嘩っ早そうにも好戦的にも見えないから、君の場合は売られた喧嘩は余程の事がない限り買わない事、な。力を誇示したくて喧嘩売って来る馬鹿が居るから気をつけろ?」

「は、はい…」



何でもない事の様にヘラリと笑いながら言って、「ほら、肩の力抜け抜け」とポンと右肩を叩かれる


……悪い予感は、当たらずとも遠からず…って所か
でもこの人達の雰囲気から察するに殺伐とした様子はないし、本当にただの喧嘩…能力を使われるのなら、それの延長線みたいなものだろう

雨匣縞さんのそれには謝罪と曖昧な二つ返事で応え、続きを促す様に目で訴えた

すぐに汲み取ってくれた様子の彼は、ニッと笑って淡々と話していく



「二つ目に、許可なく町の外に出ない事。つーか申請がなかったら電車も呼べねぇし、他に外に行く手段は無いしで先ず出られないから、これはまあ、頭の片隅にでも置いといてくれたら良い」

「はい」

「で、三つ目は自分の持つ能力に慣れる事。…もし、今自分が自らの持つ能力が嫌いだったとしたら、尚更だ。制御出来るようになっとかないと、後々危ない能力もあるしな」

「…はい」



……少しだけ、返事が遅れてしまったが、彼は気にした様子もなく「最初は日常で小忠実に使う程度で良いから」とにこやかに告げる

やはり、抵抗とか不安とか、そんなものはある訳だが、雨匣縞さんが言ってる事には納得した
不明瞭な力ほど、恐ろしくて不安定なものはない


ただ、どんな場面で使えば良いのだろうか……なんてボンヤリと考えていたら、「四つ目」と、先程よりも少し固い声が聞こえた
慌てて視線を合わせようとして…そこで、彼の表情が剥がれている事に気付く

此処に来て、未だ一時間も経っていないだろうけど、それでも大体の人柄は掴めていた筈のその人の無表情に、俺は酷く驚いた

何かした覚えもない為、怖じけづきながらもジッと見つめていたら、不意に唇が言葉を紡いだ



「……この町に、君の存在が浸透するまで、西の洋館と南の森には絶対に近付かない事。これが、一番重要だな」



強い眼差しで射抜かれて、また微かに、身体が強張った気がした



「(一番、重要……)」



町に浸透するまで、とは、どう言う事だろうか?
ただ単に、町に慣れるまでと言う意味合いでは無さそうだ

それと…今言われた場所に…そこに何かあるんだろうか?


僅かに汗ばんだ手の平をギュッと握り締めて、言葉の意味を聞き返そうとゆっくり口を開く

が、丁度同じくして「伝えとかなくちゃならないのは、こんくらいかねー」と、雨匣縞さんがヘラッと笑ったもので、結局何も聞けず、俺も微妙に開いた口で曖昧に返答を返すだけとなった

何だかはぐらかされた様な気分で、心の内に靄は残ったが……知らなくて良い事、もしくは知る必要のない事、なのかも知れない
必要があれば、きっとまた知らされるだろう


そう思い込んで、注意事項はもう終わったのだろうかと、もう一度目を合わせた

途端ニッコリ笑われて、ほんの少しだけ戸惑ったのだが



「さて、んじゃあ…ちょっと妙な質問するが、良いか?」

「…?、はい」

「身体の何処かに、微かに色の付いた、もしくは色が抜けたような痣は無いか?」

「痣……」



また少し真摯な表情を浮かべた彼の言葉に、ふと、自らの右手首へ視線を落とす

暫し躊躇したものの、服の袖で見えなくなっているそこを捲って、僅かに腕を傾けて現れた薄い水色の模様を向こうへ見せた



「……こんな感じの…ですか…?」



そこにあるのは、水流のようにも風が流れているようにも見える痣で、手首を一周して繋がっている

タトゥーを入れた訳では無く生まれつきあるもので、普通ならば気味が悪いと思うのだろうし周りも皆気持ち悪がっていたけど、俺自身は割と気に入っていた

何だかいつも、護られている様な気がして



「…?、…あの…」



手首を前方に見えるよう捻ったまま痣を見つめて言葉を待つが、沈黙が続くだけで一向に返答がない

もしかしてこう言うのじゃなかったんだろうかとか、気味悪がられただろうかとか不安になって、恐る恐る視線を送った

……が、その表情を見て、思わず息を詰めた



「?、どーしたのよ怜。そんな心底驚きましたー、みたいな顔。珍しいじゃない」

「…え、あぁ…そんな顔してたか?」

「してたわよ、目ぇ真ん丸にしちゃって。それにしても綺麗な紋様ね、やっぱり御印付きかしら?」



どれどれ〜、と捺忌さんが身を乗り出して来たのが視界の端にチラついたが、それよりも雨匣縞さんの、その表情に目が釘付けだった

引っ込める機会を失った腕はそのままに、彼の物思いに耽る様な神妙な顔付きを正面から見つめる



「(……さっきの、)」



信じられない物を見たかのような、目

こうもハッキリ模様になって浮き出ている痣が珍しかったんだろうか?

いや、きっと違う
捺忌さんは特に驚いた素振りは見せなかったし、何だか痣が模様になってて当たり前の様な口ぶりでもあった

"みしるしつき"と言う単語も引っ掛かったが、やっぱりと口にしているし、確証がある訳ではないが特段珍しくもないんだろう


――じゃあ、何故あんな表情を?

今だって、声を掛けるのが憚れる程に何だか考え込んでいる


答えの見えない疑問に、訳も解らないまま、ただただ思考を巡らせた



「……なぁ、もう一つ聞いて良いか?」



グルグルと延々ループになりそうだと、俯き溜息をつきかけた時、前からふと声が上がる

急いで顔を上げて目を合わせれば、真剣な眼差しと搗ち合った



「左の足首に、同じ様に一周巻いた痣はあるか?」



……問われた内容に、ドキリとする

刹那、どうするべきかと逡巡するが、尚も向けられている強い視線に射竦められ、迷いながらも口を開いた



「…あり、ます。腕のと違って黄色がかってて、ギザギザした感じのですけど」



……左の足首が、その存在を表すかの様に、痣の部分だけジクリと疼いた

雨匣縞さんは、やっぱりと言うような、それでいて何処か不安そうな様子で「そうか」とだけ呟くと、目を伏せてまた何やら考え込み始めてしまった


……二つ痣があると何か悪いのだろうか…?

捺忌さんや玄羽さんにも視線を向けてみると、何故か一様に瞠目していて……この場に自分だけが取り残された気分で、心許無い空気に小さくなって俯いた



「……風と雷、は…風深と花牋…ね…」

「…え?」



すると、隣からポツリと呟きが聞こえ、弾かれた様にそちらに視線を向ける


……そんな時、だった

かなり荒々しく、バァンッと激しい音を立てて、店の扉が開いたのは



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