page to top

Paradise Roast

パラダイス・ロウスト






この曲が終わったら、あなたは死ぬのだ



 サファイア・サイアンとルビー・ルージュが初共演し、ルニ・トワゾ時代からレイヴンないしスワンとして人気を博していたサファイアはもちろんのこと、当時ほとんど無名であったルビー・ルージュの名を大いに高めた公演。


 幕開けは、一人の青年が磔にされ、火刑にかけられるところから始まる。彼は自分が火あぶりにされるところを眺めているもう一人の青年のことを焦点の合わない瞳で見つめながら笑い、笑っていたと思えば泣き、それから怒り、また笑いをくり返している。「あなたのことを愛しています。これは私なりの愛情だったのです」と言った次の瞬間、「いいや違う! 私は出会ったときからあなたのことがいけ好かなかった。私はあなたを憎んでいるのだ!」と大声を発し、「おまえなど見目が良いだけのがきじゃあないか! 周りを見てみろ。おまえを手のひらで踊らせたい、臭い、汚い、芋虫のようなじじい共しかこの世には残らなかった! だから私は言ったのに! 愛を禁ずるなど。恋を禁ずるなど! 神などではない、悪魔の言葉に他ならぬと! 神? 神……? おまえは悪魔の甘言に騙されて、こんなところまで、こ、こんな、私を殺すというのか!」と気の触れた様子で何度もくり返す彼の足元に火がくべられ、炎は燃え盛る。
 あるところにノウズ≠ニいう名の一人の青年がいた。ノウズは後継ぎに恵まれなかった王国の王妃が、憔悴しきった様子で毎日毎日教会に祈りを捧げていたある日、ふと、彼女が顔を上げた先で──聖書台の上で、小さなかごに入れられてすやすやと眠っていた。これは神様からの贈り物だわ、と大喜びした王妃は、彼を城まで連れ帰り、ノウズと名付けては王と共にそれはそれはたいせつに育て上げた。神の贈り物から神の子≠ニ錯覚をするほどに。
 「僕には人の考えていることが分かるんだ」とは、そんなノウズの口癖であった。物心ついたときから博愛的で慈悲深かったノウズは、十八になる年に国を一周して病める人々に手を差し伸べる巡礼の旅に旅立った。そして、その傍らには、幼い頃から彼の侍従を務めている自分と同年代のアポル≠ニいう青年を引き連れていた。
 アポルは侍従である自分にも分け隔てなく親切で、常に優しいノウズに対して密かに恋心を寄せていたが、いずれ相応しい人物と婚約を結ぶであろうノウズのために自分の恋心は長い間ひた隠しにしていた。
 しかし、あるとき、王と妃が病に崩れ、ノウズは突然にその冠を戴くことになる。様々な町を巡って王子としての名声を高め、国民のほとんどを信徒として手中に収めていたノウズは、期は満ちたとでも言うように、王として君臨した途端このようなお触れを出した。
 「恋は悪魔が人々の心に植え付けた罪深い禁忌である。それ行う即ち悪魔に魅入られたも同然。恋心を植え付けられた者は皆、思想犯として火刑とする」。
 その宣言に、アポルは冠の重みに耐えかねたノウズの気が狂ったのではと疑うが、けれども国民の誰もが彼の言葉の一言一句を有り難がって、彼の勅命に逆らう者どころか疑念を抱く者すら一人たりとて存在しない。はじめこそノウズの言葉に疑問と気味悪さを感じていたアポルだったが、日々が過ぎ去るごとに恋は禁忌≠ェ当たり前になっていく世の中に囲まれ、彼は気が触れているのは自分自身なのではないか、という思いに囚われはじめる。そんな彼にノウズはたびたび「アポル、僕には人の考えていることが分かるんだ」と囁いた。それはアポルにとって最も愛しい主人から向けられる、「裏切り者はお前だね」という告発に他ならなかった。
 このままではいずれノウズに殺される。そう思ったアポルの心に、主人に対する恋慕を押し退けて激しい怒りと深い憎しみが湧き上がった。そもそも自分の気が可笑しくなったのはノウズのせいだ。恋などという罪深いものに自分を突き落としたのはノウズなのだ。ならば、私は、あの思想犯を裁かなければ。
 アポルは幼い頃よりノウズから無数の贈り物を渡されていたが、彼はそれを身に着けることも売って生活の足しにすることもなく、ただ自分の宝物として自室に仕舞い込んでいた。アポルはたった一個で町一つをひっくり返せる高価な贈り物たちをノウズの信徒にばらまき、彼らを買収し、来たる日に行われる舞踏会にてノウズの暗殺を企てる。
 舞踏会当日、ノウズに招かれた客人の全員はすべてアポルに買収された共犯者であった。舞踏会にて、ノウズは一番はじめに共に踊る人間を指名する予定だったが、アポルとしては、彼が誰を選ぼうが問題はなかった。誰を選んでも、ノウズは二番目には会場に紛れ込んでいる暗殺者と踊ることになる。誰を選ぼうが、ノウズは暗殺者の元に引き渡される。そう、いつも通りを装い自分の傍らで佇んでいるアポルに対してノウズはこう言った。「僕と踊ってくれ、アポル」
 言われるままに、アポルは踊った。おそろしい緊張で心臓を破れんばかりに鳴らしながら、冷や汗が背を伝うのを感じながら、彼はノウズと踊った。一曲目の終わりに「僕には人の考えていることが分かるんだ」とノウズはいつもの口癖を囁き、アポルはひどく震える指先で、それでもノウズの手を客人に扮する暗殺者へと引き渡す。
 アポルはほとんど過呼吸状態になりながらバルコニーへと飛び出し、そこから何も知らないままに暗殺者と楽しげに踊るノウズを見つめ、呟く。「この曲が終わったら、あなたは死ぬのだ」彼は目を見開き、踊るノウズを見ていた。そして、曲が終わる直前、バルコニーから地面に向かって身を投げる。
 しかし、アポルは死ななかった。また、ノウズも生きていた。アポルはいつの間にかノウズの信徒たちに囲まれ、拘束される。ノウズの信徒たちはアポルから金品を受け取るだけ受け取り、けれど誰一人としてアポルに寝返ってはいなかったのだ。やはり、この世界の中でアポルだけが異端であった。
 場面は冒頭へと戻り、アポルは火にくべられ、泣き声のような笑い声を上げていた。それをノウズはぼんやりと眺めている。そして燃えゆくアポルを見ながら、ノウズは言う。「僕には人の考えていることが分かるんだ」
 それから、舞踏会の場面に再び時が巻き戻り、暗殺者に扮した信徒と踊るノウズがバルコニーに立つアポルを見てうっそり微笑んで、幕は下りる。
 「この曲が終わったら、あなたは死ぬのだ」と。


 当初はレイヴンにサファイア、ナイチンゲール・スワンにロシェンナ・ロードナイトを据えて『パラダイス・ロスト』として上演をする予定であったが、本番二週間前の稽古中にロシェンナが全治一か月の怪我を負い、急遽サファイアの相手役としてルビー・ルージュが抜擢された。
 元々『パラダイス・ロスト』はアトモスクラスの考案者、グースグレイ・クリアスカイが執筆した脚本であり、劇団ロワゾでは長きに渡って愛され続けている男女の愛と憎しみが混ざり合った悲恋を描いた物語なのだが、ルビー・ルージュを起用するにあたって、その脚本内容は様々な変更が成された。大きな部分は、原作ではナイチンゲール・スワンに位置する「ポミエ」という名前のノウズの許嫁がナイチンゲール・レイヴンとして「アポル」という名の侍従に変更され、三十代半ばを想定されていたノウズが十八ほどの青年にまで年齢が引き下げられ、男女の悲恋物語から青年同士の悲恋とも言いがたい物語とされたことである。指揮監督や演出家ではなくルビー本人が「女だったらこんなヤツには惚れない」だの「アポルはこんな言い方はしない。コイツは臆病な人間だ」だのと恐れも知らず有無を言わさずあちこち脚本を弄ったため、サファイアを除いた公演関係者がルビーを戦犯として扱った。
 それでも誰も彼のことを止められなかったのは、ひとえにその弄られた物語が「面白かった」からであり、そこにおけるサファイアの演技もまた、まるで「はじめからこのような話であった」とでも言うかのようにごくごく自然なものであったからだろう。
 物語上、どう考えてもノウズの言っていることの方が支離滅裂であるのだが、彼のもつ生まれつきの神々しさや否定を許さない柔らかくも揺るがない、それでいて耳に心地好い声、そしてその人間が感じる最も安心する距離感など、ノウズが纏う神秘的な空気感をサファイアは歴代ノウズの中でも非常に巧みに描き出し、上演中は観客も含め信徒と化し、異端だったのは世界中でアポルたった一人であったという。
 余談だが、原作の『パラダイス・ロスト』は綴りがParadise Lost≠ネのに対し、改訂版のこちらは綴りがParadise Roast≠ニされている。敢えてこう綴ったものだと誰もが思い、特に問いもしなかったサファイア&ルビー版の『パラダイス・ロウスト』だが、名付け親のルビー曰く「間違えただけ。あの日、すっごい腹減ってたから」とのことである。




劇中歌 / 一部抜粋


ハレとケのアレルヤ
コンチータ~マリ~ヤシンタ~マリ
知恵の樹を植えたのは誰?


- ナノ -