The Dreamillions
ザ・ドリミオンズ
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- 指揮 ..... ダリア・ダックブルー
演出 ..... ダリア・ダックブルー
..... レッドアップル・レグホーン
脚本 ..... ダリア・ダックブルー
脚本補佐 ..... イーゼル・クルーゼル及びエグレット生一同
作曲 ..... ソナタ・ソレントゴールド及び楽団ラマージュ
衣装 ..... ファイン・ストロベリーフィールド及びルニ・トワゾ衣装制作部
出演 ..... オペラ・オパールグレイ
..... ダリア・ダックブルー
..... フィルバート・フォン・ヘブンリィ
..... ファイン・ストロベリーフィールド
..... イレイザ・メテオブライト
..... ソリドュ・ソレユンヌ
..... ロータス・ロンサール
..... ソナタ・ソレントゴールド
..... ヴェスタ・ヴェローナ
..... イーゼル・クルーゼル
..... 他アンサンブルキャスト
上映時間 ..... 2時間35分(休憩1回) 主な配役
デイヴィッド・リームズ:少年期〜青年期(R) ..... オペラ・オパールグレイ
デイヴィッド・リームズ:壮年期(R) ..... ダリア・ダックブルー
エンゼル:少年期〜青年期(S) ..... フィルバート・フォン・ヘブンリィ
エンゼル:壮年期(S) ..... 非公開
テイラー(C) ..... ファイン・ストロベリーフィールド
ウルフ(C) ..... イレイザ・メテオブライト
フォッグ(C) ..... ソリドュ・ソレユンヌ
ハリー(D) ..... ロータス・ロンサール
ペット(C) ..... ソナタ・ソレントゴールド
シックス(C) ..... ヴェスタ・ヴェローナ
プライド(D) ..... イーゼル・クルーゼル
ここでは、どんなことでも叶う。僕らを信じて。君は、何にでもなれる
エグレットクラス第一期生の卒業公演。レイヴンをオペラ・オパールグレイ及びダリア・ダックブルー、スワンをフィルバート・フォン・ヘブンリィが務めており、ルニ・トワゾ史上で初めてクラスの担任教師を卒業公演の主演に起用した公演。
さあ、今夜もショーが始まる。
そこに在るのはいつか誰もが夢想した世界。そして、そこで描かれるのはいつも、そんな観客たちの想像を遥かに超える世界だった。
真っ赤な緞帳が開かれた先、舞台上に存在する世界には、溢れんばかりの色彩が無数に広がっていた。劇場に満ちる観客たちの香水の香りさえも、舞台上に立つ者たちの息遣いや起こす風に上書きされる。騒音だらけの街で誰かが歌えば、しかしその歌声は別の誰かを呼び覚まして、人々は声を揃えて歌を響き渡らせながら轟きのように踊り出す。少女が歌えば小鳥が舞い、少年が歌えば馬は駆け、それらは世界に新しい風を吹かせはじめる。誰かが絶望すれば空は翳って雨が降り出し、希望を見つけて天に手を伸ばせば雲間に光が差す。美しい愛の前では陽光は七色に光り輝き、悲しい恋の前では水はどこまでも透き通って掴めない月を映し、昂る野心の前には風は嵐となって障壁を砕き、子どもの夢の前では星明かりはその夢の数だけちかちかと瞬いてみせる。
舞台の上では、すべてが何もかも少しずつ、倍、三倍、五倍、十倍ほど大袈裟だった。たとえば春は私たちが普段過ごしているそれよりも朗らかで色とりどりの花が咲き誇り、夏は冷水さえも茹だるように暑く、しかし木々は青々とし、秋は辺りに紅葉のシャワーが舞って朱く、冬は湖一面が凍りついて、たとえ百人がその上でタップダンスを踊ろうがまるでびくともしない。いつもの十倍! 或る者はこう言うだろう、「物語は嘘つきだ」と。「歴史への冒涜」「ここには事実など一つも在りはしない」「空想に金メッキを塗っただけだ」と。確かに、そうかもしれない。そうなのだ。そんなことはこの劇場にいる誰もが分かっている。分かっている。観客はもちろん、役者や裏方──そして、舞台の中心に立って物語を先導する座長の男が、誰よりも。
「物語は嘘つきだ!」投げかけられる罵声に、彼は答える。「そうとも」「歴史への冒涜!」「そうとも」「ここには事実など一つも在りはしない」「そうとも」「空想に金メッキを塗っただけだ」「その通り!」彼はすべてが大袈裟に輝く世界の中で笑う。「けれども、ここに在るのは人々の夢だ。観客たちの夢。そして、我らの夢だ。人が夢を見る限り、我らは去らない。物語は死なないのだ。それが、ここに在るたった一つの真実なのだよ」それから男は、観客席に座る一人の少年に自らが被っていたシルクハットを投げ、唖然としている少年に向かって「そうだろう?」と微笑み、手にしていたステッキで板上を叩く。
ダン! 夢の中で響いたその音に驚いて、路上の階段で居眠りをしていた少年──デイヴィッド・リームズは目を覚ます。彼は売れ残った今朝の分の新聞を片手にしながら、足元に何者かの上等そうなシルクハットが転がっているのに気付き、それを手にして辺りを見回した。そうして彼は通りを歩いていく人たちの中にシルクハットの持ち主らしい紳士を見つけると、そちらへ向かって駆け出す。
「ミスタ、もし、すみません!」デイヴィッドの呼びかけに紳士は振り返るが、お世辞にも小綺麗とは言い難いデイヴィッドの身なりを見るなり顔を顰める。「少年、悪いが君に渡せるチップはないよ。こちらも不況でね」デイヴィッドの持っているハットを見て、紳士は少年が何か興行師の真似事でもしている物乞いにでも見えたのだろう、それだけ言うと足早に立ち去ってしまう。しかし、そんな紳士のすぐ後ろを歩いていた彼の娘らしき少女は父親の背中とデイヴィッドを交互に見やり、こそこそとデイヴィッドに駆け寄る。「新聞、買いますわ。今日のニュースは何かしら?」少女の問いかけに驚きつつも、デイヴィッドは答える。「フェアリー・フィルズに住む最高裁判所長官邸宅が大炎上。僕らを感化院に送り込むやつさ」少女はぱらぱらと新聞を捲り、
少女とのそんな出会いを果たしてからというもの、デイヴィッドは自身が身を置いている孤児院の窓辺でうっとりとする時間が普段の三倍ほど増えた。「ドリーマー! デイ・ドリーマー! 今日の分が刷り上がった。仕事の時間だぞ、おい!」何かと世話を焼いてくれる松葉杖の少年、テイラー──戦後孤児が数名暮らしている小さな孤児院の面々は、けれど互いに本当の名前を知らない。そのため、互いに互いを印象から名付けた愛称で呼んでいる。それは過去を詮索されたくなかったからかもしれないし、何か後ろめたいことを行うときに警察に居所を割れにくくするためだったかもしれない──がそう声を掛けない限り、デイ・ドリーマーことデイヴィッドは街のゴミ捨て場から拾ってきた様々なガラクタを使い、おおよそガラクタと呼ばれるものを作っては空想に耽っていた。
生返事をするデイヴィッドの首根っこを掴み、部屋から引きずり出しながら同じく孤児院の子どもである右目に眼帯をしたウルフが言う。「行くぞ、法螺吹きドリーマー。結局のところ、お前の新聞が一番売れるんだ。百部は売れ。この家がなくなってもいいのか?」ウルフの言葉にデイヴィッドはかぶりを振る。「なんだよ、僕はちょっとばかし脚色してるだけさ。今日の記事や、戦争で自分が失ったものについてね。みんなもやればいい。シックスみたいに」デイヴィッドが視線を向けた先では、シックスと呼ばれる少年が咳き込む練習をしていたが、彼は顔を上げてにっこりとデイヴィッドを見た。「おや、僕は意識してこれを行ってるんですよ。ぺらぺらと中身のないあんたの脚色と一緒にしないでください、デイ・ドリーマー」そんなシックスの言葉に肩をすくめるデイヴィッドの頭に笑いながら肘を置いたのは、廊下の向こうから歩いてきた隻腕のフォッグだった。「お前が戦争で失ったものってなんだよ。家族や友だち以外で?」デイヴィッドは軽く笑い返した。「頭が変になったよ。見れば分かるだろう?」
そのような日々の中、件の少女はたびたびデイヴィッドの新聞を買い求めにやってきた。「玉の輿が狙えるんじゃない?」と茶化して笑うテイラーに、「いやいや、ニュースを訊きたいだけでしょ。デイ・ドリーム紙の」とフォッグは苦笑する。デイヴィッドとしては、正直なところなんでもよかった。彼は少女──デイヴィッドはエンジェルと呼んでいたが、フォッグに
貧しいが愉快でそれなりに幸福と呼べるこんな毎日がこれからも続いていくのだろうと孤児院の誰もが思っていた矢先、しかし問題は起こる。ある日突然、孤児院の元に差し押さえ予告通知書を手にした弁護士が現れたのだ。不安になった子どもたちが孤児院長のハリー──本名はハリエットだったが、彼女はその名で呼ばれることを嫌がった──に話を聞くと、かつて彼女の父親が主だった個人経営のこの孤児院は銀行に多額の借金を抱えていることや差し押さえまでもう一ヶ月も時間がないことなどを話した。「女画家の絵が売れないことは知っているでしょう。ましてやこの時世に! お父さんが亡くなって半年。どうしたらいいかてんで分からないけれど、でも、あなたたちの家を失わせるわけにはいかない……」頭を抱えるハリーに、子どもたちは顔を見合わせる。「どうする?」「新聞売りだけじゃ到底返せない額だ」「家がなくなるのは困る」「飛ぶように新聞が売れる出来事があればいい」「大火事や大規模なストライキ?」「いっそ俺たちで何か事件を起こすか。下町の
街で唯一の質屋には、無数の上質なガラクタ≠ェ店の外まで転がり出ていた。それを見つめるデイヴィッドの様子を見ていた店の店主は、「まるで夢の貸金庫だよ。皆、かつての自分の宝物をここに置いていく。そのほとんどが、引き出しはもちろん返済期間の延長にも来ない。金と引き換えに、夢や想い出が死んでいく」と呟く。デイヴィッドは美しい卵型のオルゴールを見て、「寂しいね」と言い、店主も「ああ、寂しい時代だ」と返した。「特に夜だ。夢見るはずの夜が、今は寂しい……」デイヴィッドは質流れの品たちの上で丸まっているポスターを広げて、そこに描かれた星空の下のサーカステントと、自身が手に持っているシルクハットとを交互に見やった。「おじさんは夢にお金を払う?」デイヴィッドがそう問うと店主はくつくつと笑った。「現に今だって払ってるじゃあないか」
それを聞いたデイヴィッドはシルクハットを質入れするのはやめて、孤児院へと駆け戻る。「みんな、夢を売ろう!」扉を開けるなりシルクハットをひっくり返してそう言うデイヴィッドに仲間たちは顔を見合わせたが、下町の新聞売りたちは新聞がよく売れるからという理由を差し引いても尚、一か八かの賭け事が好きだった。何か≠しなければ、どうせ家は差し押さえられてしまう。「だが、こんな時代に不謹慎だって反感を買うんじゃないか?」「なに、生きてるだけで反感を買うさ」「そうとも。そんな俺たちなんか、屋根裏で寝ればいいんだ」そう言って、彼らは自分たちが眠っている二段ベッドをウルフを筆頭にすべて解体してデイヴィッドの指示のもと小さな舞台を作り、テイラーを筆頭に家中の布という布をかき集めて縫い合わせ緞帳を仕立て、五体満足のシックスは街を駆け回って打ち捨てられていた使い古しの椅子を舞台の前に並べ、ハリーを筆頭に壁や床に絵を描き、孤児院の一階をごくごく小さな劇場へと改造した。気さくで甘いマスクをしているフォッグはもっぱら観客の呼び込み役を当てられたが、そんな彼の巧みな話術によって、半信半疑ながらも小劇場には幾らかの客が入った。そこには、エンゼルの姿もあった。
薄暗い劇場の中で小さな舞台の幕が上がり、そこに現れたのはデイヴィッドだった。彼は穴を開けた空き缶の内側をライトで照らし、劇場中に人工の星空を作り出すと、背景幕に描かれた夜明け前の水平線に向かって、戦前に流行ったオーバードを歌った。シーツを用いてテイラーの仕立てた白い衣装を着るデイヴィッドは舞台上で月であり、共に舞台で歌う彼らは夜明けが近いことを告げる星々だった。月は水平線の向こうで眠っている太陽に恋焦がれていた。舞台の劇は子どもの遊戯に毛が生えた程度の拙く荒削りな出来であったが、けれどもデイヴィッドを初めとする子どもたちの純粋な歌声やデイヴィッドの持つどこか夢見るようなまなざしはほんのひと時、訪れた観客たちを夢中にさせた。公演が終わると、最前列で観劇していたエンゼルは惜しみない拍手を彼らへと送り、彼女を筆頭とする観客たちからの予想以上の投げ銭でシルクハットはいっぱいになった。「毎回これだけ稼げればひとまず利子は返せる」「一座の名前は?」「そりゃドミニオンズだろう。下町はずっと俺たちのものだった」「もっと上演回数を増やそう」「ところで芸名はどうする?」「普段が芸名みたいなものだろ」「座長は?」「もちろん、言い出しっぺのデイ・ドリーマーだ」「名前がだめだな。もっと謎めいていた方がいい」「なら、デイ・ドリーマーのイニシャルでD・Dだ。ミステリアスだろう」「D・D!」仲間たちは口々に笑い合いデイヴィッドもといD・Dの背中を叩いたが、彼は少しぼんやりした表情で背景幕を眺めていた。何かが足りないような気が彼にはしていた。
そして、投げ銭式を廃止してチケット制に切り替えたドミニオンズは数度の公演を重ね、彼らは借金の利子を返済してひとまず差し押さえ期限を一年半延長することに成功した。けれども、次の差し押さえ期限が近付くにつれて、劇場の客足は伸び辛くなっていった。どこかで聞いたことのある物語や少し前に流行った歌、そういった目新しいもののない内容の公演に、同じ歌の繰り返し。最初は物珍しさや子どもたちへの同情心もあっただろう観客たちの心に飽きが芽生えはじめたのだ。更にはD・Dたちの身体が成長し、およそか弱い少年たちには見えない、青年と呼ばれる年頃になりつつあったことも要因の一つだった。エンゼルしか観客として席に座っていない日すらあった。
売り上げが見込めないのなら、まだ新聞を売った方が確実だろうと仲間たちが舞台から降りて新聞売りへと戻るのを見て、D・Dは「何が足りないんだろう? いや、何もかもか……」と呟きながら夜の街を歩く。しかし、「その言葉は嫌いだな。終わりのない歌みたいだ」と発された声に足を止め、彼はその方向を見た。「まず、音楽が最悪だと思うね。目標のために、問題はひとつひとつ解決しないと」そう言う声の主は、D・Dと同じほどの青年だった。D・Dは巨大な楽器ケースを背負った青年に向かって怪訝な顔をする。「君は?」「関係者さ」「誰の?」「お前たちの」「会ったことがない」「だけど、俺の曲を使ってる。……まさか、知らない? お前が歌った、一番最初のオーバードの作曲者は四歳のときの俺だよ。この前の公演は十歳のときの俺。お前たちのオリジナリティのなさには腹が立つね。自分が誰のどんな曲を使っているのかも知ろうとしない向上心のなさにも。だから、今日は今までの楽曲使用料を請求しに来たんだ」青年が突き付けた請求書を見て、けれどもD・Dは一縷の望みを求めるようにそっと顔を上げた。「力を貸してくれないか。やめたくないんだ。楽しいんだ、みんなと舞台に立つのが……」青年は顔を顰める。「俺になんのメリットがある?」「僕らはもっと良くなれるはずだ。もっといろんなものを演じて、もっとたくさんの夢を見ることができる。そうしたら、きっと君に利子付きで金が返せる。それに、君の曲はもっといろんな人に聴いてもらえるようになる」「脚色が得意だと聞いたけど?」「時には真実も口にするよ」
青年は溜め息を吐いてその場を去ったが、翌日になると数名の演奏家を引き連れてドミニオンズの小劇場へと現れた。「作曲家の最高傑作はいつだって最新の曲なんだ。過去の曲を何回も流されちゃたまったもんじゃない。使用料のことも忘れるな。一月ごとに利子を計算しておく。そうだ、俺のことはストラディバリウス──ストラトさんと呼んでくれ」そう早口に捲し立てる青年だったが、一心不乱に背景幕を描いているハリーを目に映すと、「ミス・ハリー!? 驚いた、彼女の絵のファンなんだ。サロンで何枚か買ったよ。創作意欲が掻き立てられるんだ。D・D! 無利子で構わないよ!」とそう叫んで、自分の唯一にも等しい客が仲間入りしたことに驚いているハリーの元へと駆け出していった。そんな青年の様子を見て、ウルフが「どこがストラディバリウスだ、トランペットだろ。呼び名はペットだな」と苦笑した。
作曲家のペットと彼が率いた演奏家たちの力によってドミニオンズの小劇場は多少持ち直し、銀行からの差し押さえをなんとか逃れたD・Dたちだったが、半年も経つとそれもまた下火になりはじめる。それどころか、ドミニオンズに所属する者の身体に見られる不自由やそれに反する行動の突飛さは人々にとって最早「不憫な少年たち」というよりも「異常な青年たち」という色で映りがちになり、かつて彼らが売っていた新聞にも悪意ある記事がたびたび書かれるようになっていった。公演中に空き缶や紙屑が投げ込まれることも少なくなかった。一度などはシックスに向かって投げられた石が彼の額を切り裂き、多量の血が流れた。その出来事があってからというもの、D・Dは仲間を傷付けないためにほとんどの舞台に一人で立つようになった。そんな彼に対して仲間たちが何かを口にしようとしても、D・Dは忙しそうに駆け回るばかりで聞く耳を持とうとしなかった。
客足は下がり、批判は増える一方だった。一度は部屋がぎゅう詰めになるほどに満杯になったこともある小劇場には、今日も観客はまばらにしか存在しない。その中で、いつも難しい顔をして、舞台を睨むように見つめながら何か書き取りをしている少女がいた。D・Dは自分たちドミニオンズのゴシップが一面に載っている新聞をその少女が片手にしているのを数度見かけたことがあったため、彼女のこともまたゴシップ記者の一味であり、この一座に対するおそろしい批評家なのだろうと思っていた。けれどもその日、他の記者たちが席を立っても尚、少女はそこに座っていた。そして、一日の内に行われるドミニオンズの公演をすべて観劇した後、D・D以外誰もいなくなった劇場で少女はメモを床に叩き付け、つかつかとD・Dに詰め寄った。「プライドがない」狼狽するD・Dに、しかし彼女は続ける。「あなた方はいつも誰かが書いた昔の物語をいじくって遊んでいるだけ。そこには敬意も誇りもない。自分たちが何を売り物にして、客から金を取っているのかも分かっていないんでしょう? つまらない。薄い。あなた方が薄っぺらいから、こんな薄っぺらい新聞にこんな薄っぺらい記事を書かれる。自業自得です。あなた方は一体、何がしたいの?」厳しい顔つきでそう言う少女に、D・Dは力なく首を振る。「分からない」「分からない? お話になりませんね。ドミニオンズなんて、お笑いもいいところ。あなた方はこの劇場のこんな小さな舞台すら支配することができていない」「最初は……最初は、単純に金が欲しかったんだ。家を失いたくなかった。それよりきっと、僕はみんながばらばらになるのが嫌だったんだ」D・Dは言う。「僕らはあの孤児院で出会うまで、互いに辛い毎日を生きてきた。家族や友人を失い、自分の身体や心の一部を失ったやつもいる。僕らだけじゃない。この街に生きる人たちはみんなそうだ。君だって、そうだろう? だから僕は、僕らみんなで……欠けた一部を満たすことができるような夢を見たかった。誰かのすすり泣きが聞こえる夜を、ちょっとした笑い声が上がるものに変えてみせたかった。僕は発明家で……デイ・ドリーマーだから」その言葉に、少女は頷く。「大きな発明ね。一人ではできません」そして少女は舞台を指差し、「仲間を信じてみたらどう?」とそう呟く。
D・Dが振り向けば、そこにはいつの間にかドミニオンズの仲間たちが立っていた。「D・D。タイが曲がってる」そう言って足早にD・Dに近付いたのはテイラーだった。「D・D。指示をしろ。結局お前の考えるものが一番面白い」そう言うウルフはD・Dの肩を叩き、「じつは僕の恋人がライターなんです。僕の額と一座に対する観客の暴挙を書いてもらった新聞があります。この記事を持ち込んだ客はチケットを半額にしましょう」と強かに笑うのはシックスだった。「そろそろ新曲を披露する場が欲しいよな」と肩をすくめるペットのヴァイオリンに絵を描きながら、「それもそうね。最近暇が過ぎて、天井にまで絵を描いちゃったわ」とハリーも笑う。そして不意に「ところでお嬢さん、あんたは何者?」フォッグが少女に近付いてそう問う。「見習い」短く答えて少女は手にしていた新聞記事を叩く。フォッグはそこに書かれたゴシップに苦笑した。「記者の? こんなふうに俺らのことを書くのかい?」「目が付いていないの? 私の仕事はそこじゃない。ここよ」そう言って、少女は新聞の隅を指差した。連載小説の欄だった。「作家の見習い。でもここじゃあ、こんなつまらない話しか書かせてもらえない。ドミニオンズの最初の公演を観て、私はどうしてか涙が出たの。もっと夢を追いたいと思った。だから、今ここにいます」少女は右手をD・Dに差し出した。「私が物語を書きます。対価は夢を見させてくれればいい。もちろん、お金もだけど」D・Dが差し出された手を握り返すと歓声が起こり、フォッグが「プライドと呼んでも?」と少女に問う。それを聞いて少女は「変な呼び名。でも、見習いよりはマシ」と笑った。
その中でD・Dは、何かはっとしたように仲間たちの顔を見渡した。「……やっと気付いたよ。夢は見るだけのものじゃないんだ」D・Dは劇場を歩き回る。「みんな、なりたいものがあるんじゃないか? やってみたいこと。現実にはならないようなもの。欲しいものだってあるだろう。着たい服、ピカピカのアクセサリー、大きな家、ふかふかのベッド、火を吹くドラゴン、家族、友人、恋人……」D・Dの言葉に、ドミニオンズは顔を見合わせて頷いた。D・Dは笑う。「すべてなろう。すべてやろう。すべて手に入れよう。夢を、叶えよう」D・Dは舞台の上に飛び乗った。「どんなことでも叶える。何にでもなる。想像できる不可能は可能だ。僕らには、それができる。下町のドミニオンズは卒業しよう。僕らと観客たちにある、百万の夢を叶えよう。これからは、ドリミオンズとして!」両手を広げるD・Dにテイラーが悪戯っぽく口角を上げ、「いつから?」と問う。「今から!」迷いなく答えたD・Dに向かって、ウルフが一番最初の公演で星空を作り出したあの空き缶とライトを投げ付ける。「特別公演だな。最後のキャストを連れてこい。太陽を」
そうして夜の街を駆け出したD・Dは、彼がかつてよく新聞を売っていた教会の階段に腰掛けるエンゼルのことを見付けた。彼女は、太陽に焦がれる月の歌を薄暗い街灯の下で口ずさんでいた。D・Dは考えるよりも先に、言葉よりも先に、彼女に合わせて歌を歌った。エンゼルは驚かなかった。まるでそれが当然の形であるように二人は歌い、そして微笑み合った。「エンゼル、君のお父さんは銀行の頭取だ。できれば、僕らの劇場を差し押さえたいだろう。だから、あんまり僕らと関わるとろくなことにならないかもしれない」言いたいこととは全く裏腹の言葉が口を突いてしまうD・Dに、けれどエンゼルは笑った。「舞台ではあんなに堂々としているのに、あなたっておかしな人ね。不器用な人」D・Dはかぶりを振る。「でも、僕は君に幸せになってほしいんだ」「私を幸せにしたいなら、いい方法があるわ」「どんな?」「私にあなたの本当の名前を教えて。それだけでいいの」D・Dはエンゼルの目を見つめた。「デイヴィッド。デイヴィッド・リームズ」エンゼルは笑む。「驚いた。ほんとにデイ・ドリーマーなのね」「君は? 君の名前……」「アンジェラよ。アンジェラ・エステイル」「君こそ本当にエンジェルじゃないか」「エンゼルじゃなくて?」「そ、そうとも言うけど」エンゼルは音を立てて笑い、D・Dの手から空き缶とライトを取ると、それをくるくると回して辺りに星空を作った。そうして彼女はD・Dの手を取ると、劇場まで駆けて行き、ドリミオンズの歓声に包まれながら二人は仲間たちと舞台に立って公演を始めた。彼らが一番初めに行った、あの夜明け前の星空と海、そして月と太陽の物語を。
劇場の扉を開け放ったまま行われたそれは、夜中であるというのに人が人を呼んで大変な騒ぎとなった。劇場は久しぶりに満杯となり、いつかのシルクハットもまた投げ銭でいっぱいになった。その様子を見たテイラーは「正真正銘の
翌日、大きなトランクを持ってエンゼルがドリミオンズの劇場に現れる。「公演に出ていたことがお父様に気付かれて、そのまま勘当されたわ」あっけらかんと言い放つエンゼルにドリミオンズたちは呆然とするが、彼女は気にせずにトランクを開けてその中身を仲間たちに見せた。「でも、投資はしてくださるそうよ。今は投資をしたことにも気付いていないでしょうけど、でも、それが間違いじゃなかったってすぐに気付くことになるわ」トランクの中にはエンゼルが家から持ち出したのだろう金品がぎっしりと詰まっていた。ついでに彼女のポケットや上着の袖にも。「エンジェルって呼んだ方がいいかな?」そう言うテイラーをよそに、エンゼルはその資金でドリミオンズの狭い劇場を広々と立派なものへと改装して、「ね? これでたくさんの夢が詰め込める」と笑うのだった。
それから何年もの時が過ぎ去る。ドリミオンズはプライドの書き上げた脚本とその世界を紡ぎ出すハリーの絵とペットの音楽、そしてテイラーが縫い上げた衣装を掲げては、D・Dの口上を合図に、無数の確かな夢を描き出しては舞台上で叶え続けた。それらは彼ら自身の夢であり、観客たちにとってもまた叶えたい夢だった。幾度も公演を重ねる内に劇団として強固な地位を築き上げたドリミオンズは、いつしか街の名物となり、下町の人々だけでなく世界中から観客が彼らの舞台を観に来るようになった。夢は広がり、また新たな夢を呼んだ。劇団員が増え、公演回数が増え、観客席が増え、演目の数、音楽の数、美術の数、夢の数が増えた。そんなドリミオンズの勢いを見て、ちゃっかりとスポンサー席に腰掛けるエンゼルの父親を見て、「ほらね? 私の言った通り」と彼女はウインクをし、ドリミオンズたちは声を上げて笑った。
さあ、今夜もショーが始まる。
そこに在るのはいつか誰もが夢想した世界。そして、そこで描かれるのはいつも、そんな観客たちの想像を遥かに超える世界だった。
真っ赤な緞帳が開かれた先、舞台上に存在する世界には、溢れんばかりの色彩が無数に広がっていた。劇場に満ちる観客たちの香水の香りさえも、舞台上に立つ者たちの息遣いや起こす風に上書きされる。騒音だらけの街で誰かが歌えば、しかしその歌声は別の誰かを呼び覚まして、人々は声を揃えて歌を響き渡らせながら轟きのように踊り出す。少女が歌えば小鳥が舞い、少年が歌えば馬は駆け、それらは世界に新しい風を吹かせはじめる。誰かが絶望すれば空は翳って雨が降り出し、希望を見つけて天に手を伸ばせば雲間に光が差す。美しい愛の前では陽光は七色に光り輝き、悲しい恋の前では水はどこまでも透き通って掴めない月を映し、昂る野心の前には風は嵐となって障壁を砕き、子どもの夢の前では星明かりはその夢の数だけちかちかと瞬いてみせる。
舞台の上では、すべてが何もかも少しずつ、倍、三倍、五倍、十倍ほど大袈裟だった。たとえば春は私たちが普段過ごしているそれよりも朗らかで色とりどりの花が咲き誇り、夏は冷水さえも茹だるように暑く、しかし木々は青々とし、秋は辺りに紅葉のシャワーが舞って朱く、冬は湖一面が凍りついて、たとえ百人がその上でタップダンスを踊ろうがまるでびくともしない。いつもの十倍! 或る者はこう言うだろう、「物語は嘘つきだ」と。「歴史への冒涜」「ここには事実など一つも在りはしない」「空想に金メッキを塗っただけだ」と。確かに、そうかもしれない。そうなのだ。そんなことはこの劇場にいる誰もが分かっている。分かっている。観客はもちろん、役者や裏方──そして、舞台の中心に立って物語を先導する座長の男が、誰よりも。
「物語は嘘つきだ!」投げかけられる罵声に、D・Dは答える。「そうとも」「歴史への冒涜!」「そうとも」「ここには事実など一つも在りはしない」「そうとも」「空想に金メッキを塗っただけだ」「その通り!」彼はすべてが大袈裟に輝く世界の中で笑う。「けれども、ここに在るのは人々の夢だ。観客たちの夢。そして、我らの夢だ」、「人が夢を見る限り、我らは去らない。物語は死なないのだ。それが、ここに在るたった一つの真実なのだよ」それからD・Dは、観客席に座る一人の少年──デイヴィッドに自らが被っていたシルクハットを投げ、唖然としている彼に向かって「そうだろう?」と微笑み、手にしていたステッキで板上を叩く。
デイヴィッドは観客席から誘われるように舞台へと上がると、D・Dに向かってシルクハットを手渡す。そうするとD・Dは笑って、デイヴィッドにシルクハットを被せ、「君のものだよ。ここからは、君の舞台だ」と頷いた。「D・D。あなたは?」、そう問うデイヴィッドにD・Dは自信ありげに微笑むと、「これからやらなくちゃいけない役があるんだ。もちろん、
共に、夢を叶えるために。
前述した通り、『ザ・ドリミオンズ』はルニ・トワゾ歌劇学園の長い歴史の中で初めて、卒業公演の主演に担任教師を起用した公演である。
ダリア・ダックブルーはこの公演を言葉通りに生徒たちと共につくり上げた。ダリアはこの脚本を制作するに当たり、今までで最もつらい絶望的なスランプに陥り、数日間学園を不在にしたほどだったが、学園に戻るなり妙に吹っ切れた表情をしてエグレットクラスの生徒たちに助けを求めたという。そんなダリアの起用を卒業公演で強く望んだのは他でもないエグレットクラスの卒業生たちであった上、レイヴンの「D・D」という名も複数あった他の候補を差し置いて、卒業生からの満場一致で決定した名前である。脚本制作にはダリアはもちろん、プライド役のイーゼル・クルーゼルをはじめとするほとんどのエグレット生たちが関わっており、衣装制作ではテイラー役のファイン・ストロベリーフィールド、楽曲制作ではペット役のソナタ・ソレントゴールドが大いに活躍した。
『ザ・ドリミオンズ』のラストシーンで、ダリアはずっと空席のままであった観客席の一列目に文字通りに飛び降りて腰掛けるが、そのとき隣に座っていたエンゼルを誰が演じていたのかは公表されていない。この件については様々な憶測が飛び交っているが、ただ一つ事実として存在するのは、卒業公演から一か月後にダリア・ダックブルーがマリアンヌ・デュアメルとの婚約を発表したことだけである。
劇中歌 / 一部抜粋
Sun, Moon, Dawn
To Alive To Come True