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Helter skelter

ヘルタースケルター






わたしの地獄だ、おまえのじゃない



 ガーネット・カーディナルがレイヴンを務め、スワンを若手メルルのアンバー・アンカが担当し、ガーネット・カーディナルが踊らない、という異色の公演として話題を集めた一作。


 世界的ダンサーのルロは、ある日の練習中、ステージの奈落から転落し、大怪我の末に下半身不全となる。この世界で知らぬ者がない有名ダンサーの突然の引退に、一時期メディアや民衆は騒然となったが、様々なエンターテインメントが秒単位で消費されていく世界では、そんなルロの存在も次第に、本人の想像よりもずっと早い速度で忘れ去られていく。
 それでもルロは、ステージ上で浴びる輝きを、あのまばゆい光の中で生きる喜びを諦めきれななかった。彼は、「回復は絶望的であり、もし立てるようになることがあるとするならば、それこそ奇跡です」と断じた医師の言葉にさえ絶望することなく、ただひたすらに毎日リハビリに励み、ステージにまた立てるのならと、今まで触れたことのなかった歌唱の練習も行っていた。
 無論、やつれきって、ぼろぼろになった彼をかつてのダンススター・ルロだと気付く者がいるわけもなく、彼はひとり孤独にステージの光を求め続けていた。音楽に愛された星、スター・ルロ!=B街角に未だ佇んでいるいつかのポスターに書かれたそんなキャッチコピーを目に映して、彼は自分を奮い立たせていた。いつかまた、あの光の下に立つ。美しい、命の輝きそのものであるライトの下に。そんな彼の横顔は、凛々しく、美しいものだった。
 月日は流れる。一年。二年。三年。
 ある朝のことである。公園の広場で駆け回る子どもたちを眺める彼の前に、一人の幼い少女が現れる。車いすに座り、子どもたち越しにどこか遠くを見つめているルロに向かって、ララと名乗った彼女は突然こう言った。
 「あなた、ルロでしょ? 大ファンなの。踊って! わたし、歌ってあげるから」
 そう言うとララは、ルロの返事も待たずに歌い出す。少女の拙い歌声を聞いて、しかし彼女の持つ才能を鋭敏に感じ取ったルロは、彼女といつか一緒にステージへ立てたなら、彼女の歌を纏って踊れたなら、それはどんなに素晴らしいものになるだろうと、どこの誰かも分からない少女・ララに一縷の希望を見ることになる。
 「ララ、いつかわたしと一緒に歌おう」「もちろん! ルロ、いつかわたしと一緒に踊りましょう!」そうしてルロとララは、未来で共にステージに立とうと固い約束を交わし合い、それからというもの、ララはルロのリハビリに、ルロはララの歌の練習を手伝うといった日々が続いていった。夢のためにひたむきに励む二人の表情は、ステージ上にいるときのように華やいでいた。
 月日は流れる。一年。二年。三年。
 少女だったララは、見目麗しい可憐な女性となっていた。彼女は早い段階で人々から見出され、すでにこの国で人気歌手としての地位を確立させており、自分の脚でしっかりと舞台を踏みしめながら、力強く歌を歌っている。反して、ルロの脚は動かない。
 ララは、そんな彼のリハビリを手伝いながら言う。「いつまでも待っているわ。踊って!」彼女はステージの上からも言う。「わたし、その人のために歌いたいの。いつまでも待っているわ。踊って!」
 ルロの頭には、耳の中には、常に彼女の声がこだまするようになっていた。「踊って!」けれど、ルロの脚は動かない。テレビの中に映るララと自分の脚を見比べる彼の表情は、落ち窪んで、影が差していた。
 月日は流れる。一年。二年。三年。
 踊って。脚は動かない。踊って。脚は動かない。踊って。脚は動かない。踊って。脚は動かない。動かない。動かない。動かない。踊って。踊って。踊って。踊って。踊って。踊って。踊って。
 踊って!
 ある夜だ。すべての音がきんと研ぎ澄まされるような、静かな夜だった。ルロは退化して、すっかり衰えてしまった自分の脚を暗やみの中で見下ろす。脚は動かない。脚は、動かなかった。昨日も、今日も、一昨日も、一週間前も、一か月前も、半年前も、三、四、五年前も、それより前も、明日も、明後日も、それから先も、この脚は動かない。自分の脚だけが。動かない。
 ルロは車いすから転がり落ち、地を這った。地を這って、彼女の元へと向かった。自分たちが使っている、いつもの練習場へ。「踊って!」辺りに声がこだまする。
 ララはいた。ルロに気付いた彼女は「ルロ! 待っていたわ。さあ……」と言いかけ、しかし相手が車いすではないことに気が付くと、心配そうに顔を歪める。彼女が地面に膝を突き、ルロの方へと手を伸ばす。彼もまたララへと手を伸ばし、それから言った。
 「歌って」と。
 「歌って。歌って。歌って」とくり返しながら、ルロはララの首を絞める。ララの脚がばたばたと踊り、声も出せなくなっていくさまを見て、ルロはまた「歌って」とくり返した。何度も、何度も、彼はくり返した。ララのように、歌えないララに向かって「歌って」と。
 歌って。歌って。歌って。歌って。
 ついに、ほとんど抵抗らしい抵抗もできないままにララはルロに殺される。そうしてこと切れたララを目の前にして、彼はまた呟くのだ。今度は「踊って。踊って。踊って。踊って……」と。
 それを最後に、物語の幕は下りる。


 『ヘルタースケルター』は文字通りにステージの奈落から落ち、下半身が動かせなくなってしまったダンサーの物語である。
 時期にして、ルニ・トワゾ公演の冬公演にてガーネット・カーディナルが脚本原案を初めて担当し、当時二年生だったオリーブ・オーカーが初主演を務めた作品『アンチ・コケティック』の公演後、その一週間後に行われた劇団ロワゾの冬期公演にて上演されたこの表題作は、公演に向けて教え子の指導を行う内に火がついてしまったガーネットの要望により、ダリア・ダックブルーが三日で書き下ろした作品である。そのときのダリアに対するガーネットの要望はこうだった。「俺には到底演れそうもないものを寄越せ」。
 そんな問題作『ヘルタースケルター』の評価は、賛否がぱっくりと半分に分かれている。人生が変わるほど好きだと言う者があれば、それと同じ数だけ二度と観たくないほどに嫌いだと言う者もあった。
 しかし、この舞台に対し、「分からなかった」という感想を持つ人間はほとんどいない。ルロを演じたガーネットは、踊らずに踊ったのだ。絶望、諦念、希望、期待、羨望、焦燥、嫉妬、憎悪、狂気、それから、果てしのない欲求を。
 ガーネットを好まない役者たちの中には、「これは彼の成れの果てだ」と評する者もいたが、彼はその話を聞いてもにっこり微笑んで「それでも踊るさ」と言うだけだったという。




劇中曲 / 一部抜粋


Dance-Star Helter-Skelter
Want to Dance
I still? I still? I still?


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