ディム・デカルト


portrait

 ルニ・トワゾ歌劇学園二年。
 空間を利用した舞台づくりを得意とするクラス、アトモスに所属し、主にスワンおよび名前付きのダッキーを演じる。
 ディムはこの世界でその名前を聞いたことのない者は存在しないであろう非常に著名な映画監督、デルフォイ・デカルトの一人息子であり、彼もまた父のつくり上げる映画の世界で主演俳優として輝くことを夢としていたが、十三の頃に憧れの父その本人から映画俳優の才がないことを告げられる。彼はそんな父の言葉が深く突き刺さり、十七となった今現在でも当時告げられた台詞をありありと、臨場感溢れる素晴らしい演技で諳んじることができる。「お前には映画人の才能がない。全く。ひと匙たりとも。お前は地続きの人間だ、跳ぶことができない」それがデルフォイに告げられた言葉であり、彼はこの言葉を真正面から受け、それからしばらくののちに舞台俳優志望へと転身した。ディムは明確には口にしなかったが、彼にとってこの出来事は紛れもない挫折の一つであろう。だが、役者自体を諦めなかったディムは、「けれど、父はおれのことを大根役者とも、役者そのものに向いていないとも言いませんでしたから。父は、思ったことはなんでも口にする方なので」とも口にしている。
 今でこそじっくりと自分で役について考え、物語の中の人物と向き合い、舞台役者ディム・デカルトとして深みのある演技をする彼であるが、しかしながら、入学当初のディムにはおよそ自分自身の考えというものが存在していなかった。彼は教師に指示されたように演じ、脚本に「右を向く」と書いてあったから右を向き、その口からはいつも「父の考え」を発した。彼は扱いやすい役者であったが、些か扱い易すぎた。アトモスは確かに大気を象徴するクラスであるが、透明すぎる空気は、空と同じ色をした鳥は存在する意味がない。ディムの担任教師であるアンチックはそんな彼の思考停止とも言える思考をひたすら指摘し、ひたすら矯正した。彼が一年次だったときのアンチックとディムとの演技指導もとい静かなる攻防は、他の者たちの胃の方が痛くなるようなものだったという。
 また、今までも、そしてこれからも様々な紆余曲折があるだろうが、ディムと父デルフォイの中は決して悪いものではない。二年次の冬公演にてスワンを演じたディムは、観劇に訪れていた父に向かってこう発している。「確かにおれは地続きでしか物を考えられません。だから映画のように場面から場面へ瞬間移動することはできない。跳べない。だけれど、飛ぶことはできるようになったと思います。ご存じでしょう? 飛ぶにはいつだって地続きの助走が必要だ」
 余談だが、ディムは無類の犬好きであり、いつか運命の犬と出会えると信じて疑わず、将来飼う犬との散歩のイメージトレーニングとして早朝にジョギングをするのが日課である。犬を撫でるのを目的として、よく学園長室にも顔を出すものだ。

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