ラヴィンナ=ミストス・ラマージュ


portrait

 楽団ラマージュの先代楽団長であり、ラフス=ククラトス・ラマージュの義父。現在は楽団ラマージュの会長を務め、ラマージュ・フィルハーモニーの公演活動やそれにまつわる作曲活動、楽団内の指揮者の育成、そしてラフスがすこぶる苦手で放置しがちな書類仕事を精力的に行っている。愛称はラナー。
 ラヴィンナは厳格なようでいてそのじつ奔放な人物である。そして、奔放なようでいて非常に鋭い洞察力をもつ。彼は辛抱強く待つことと同じくらい、脇目も振らず飛び込むことを苦としない。ラマージュ・フィルハーモニーの創立を立案したのは現役の指揮者としてラマージュで活動していた頃のラヴィンナであり、育児院で見出したラフスをその日の内に引き取ったのもラヴィンナであり、劇団ロワゾの筆頭演出家であるアルマンド・ダイヤモンドがかつて役者生命を断たれたとき、彼に演出家としての道を示したのもラヴィンナである。また、彼は相当な愛妻家であるが、その出会いというのも中々に鮮烈で、ラヴィンナはラマージュ・フィルハーモニーのコンサートを聴きに来ていた彼女に一目惚れし、公演後その場で口説き、その日の内にプロポーズまで行ったという。ラヴィンナの後先を考えているのか考えていないのか分からない思いつきは大抵良い方向に転ぶと言われているので、このプロポーズも見事成功を遂げた。現在は病弱であまり床を離れることのできない妻のため、自宅の一室にてラフスと共に小さなコンサートを定期的に開いているらしい。
 上述のようにラヴィンナは何ものにも囚われない性質をもち、寛大で公正だが、彼もまたラマージュ家という楽聖一家の一人息子であり、自分に対しても他人に対しても「音楽」その一点においては妥協することを一切許さない。彼は今は亡き両親から常に楽長たれと教え込まれ、ラヴィンナは「常に楽長らしく」すべての演奏を公正に判断し、自身もまた無数の楽器を演奏してきた。しかしながらその公正さが一種の仇となり、彼は自身には歴代楽長やラマージュに属する奏者ほど奏者としての才がないこと、そしてその差は努力で埋められる程度のものでないことを自覚することになった。そのときの彼にどのような逡巡があったかは語られていない。ただ、ラナーは取材で度々こう語っている。「ある朝、父の指揮棒を盗んでやったんだ──ちょっとした出来心でね、僕も若かったものだから。それで、なんとはなしに指揮台に立ってみたわけだ。すべてがよく見えたよ、ここなら聴こえると思った。そのとき分かったのさ、僕の楽器はこれだ──楽団そのものだってね。まあ、何はともあれ、僕も楽聖の一人だったというわけなのだよ」と。そこからの展開は早く、彼はフルート奏者である自分に見切りをつけ、ラマージュの指揮者として急速な開花を遂げ、今に至る。
 また、余談だが、ラヴィンナとアルマンドは年の差さえあれど古くからの親友同士である。ラヴィンナとアルマンドが自身の行く末に希望を見出せなかった時期、一度などは二人で夜な夜な団を飛び出し、ロックバンドでもやろうと画策したこともあった。ちなみにこの計画は二人の内どちらも良い詩を書ける者がいなかったためにたった一日で頓挫した。しかしながら、ラヴィンナには作曲の類稀なる才があり、奏者であった頃は「自分でもきちんと弾ける曲を」と無意識に嵌めていた枷から解放されたのだろう、指揮者となってからは表現の幅が目に見えて広がり、それに比例して演奏の難易度も年々増しているという。それゆえ、楽団員からはラヴィンナの新曲が上がるたび、「魔王の新曲が来たぞ」と震え上がるのだとか。
 ラヴィンナは焦らない。彼は心が砕けそうになっている楽団員に対して、よくこんなことを言う。「自分が愛するものに死ねと言われたとき──そう、感じるとき、我々はいつでもその愛するものから距離を置かなければならない。だってそれは、我々の心であるのだから。死んでまでしがみつくものなど、この世にはない。それはほとんど憎しみだし、愛するものを憎しみ続けるほど、悲しいこともないさ。休息は常に必要なものなのだよ。だって、息継ぎのない曲を、一体誰が弾けて、一体誰に歌えるというのだろう?」

- ナノ -