フィルバート・フォン・ヘブンリィ


 ルニ・トワゾ歌劇学園三年。
 独創性に富んだクラス、エグレットに所属し、主にスワン或いはダッキーを担当する。
 役への共感力の高さを武器にした演技が持ち味であり、彼の演じるスワンは観る者に「彼女はまさに今この場所で生きているのだ」という実感を与える。
 フィルバートは政治家や官僚を多く輩出する名家のヘブンリィ家に生まれ、親戚一同から娘のようにかわいがられて育った生粋のお嬢様である。そう、お嬢様なのだ。肉体以外のすべての性は女性であるフィルバートは、男子校であるルニ・トワゾに入学することに迷いもあったが、しかし考えうる最高の環境で演劇を学ぶために身一つで飛び込んでくる辺り、彼──便宜上、ここでは彼と呼ばせてもらうが──というのは中々に短力のある人物なのである。「やるからにはトップを目指しますの!」とは本人の弁だ。
 そんなフィルバートについて語る際、まず特筆すべきはその勤勉さだろう。彼は入学し、エグレットに組分けられてからのこの二年間、一度の欠席も遅刻もなく、数える程度の学友の気まぐれを抜きにすれば、毎日一番乗りで教室へ入る。窓を開け換気をし、花瓶の水を換え、場合によっては季節の花を差し替え、紅茶のストックを確認し、チョークの数と位置を揃え、黒板の端に端正な文字でほとんど形骸化している日直の名前を書き込む。そして、陽がすっかり沈むまで練習に明け暮れた後、最後に掃除をし施錠をするのもまた彼だ。
 エグレットはルニ・トワゾにおいて最も浪漫や革命を探究するクラスである。彼らはいつでもその有意義な迷走を愛する。そんなクラスの中にいて、彼は一度もその勤勉さを曇らせることはなかった。そう、ただの一度も、である。
 フィルバートのその或る種の頑固さをはらんだ勤勉さというものは、一方で彼のコンプレックスでもあった。彼はその人生の中で自分がどこまでも不自由で、閉塞的で、つまらない人間だと痛感していた。ルニ・トワゾへの入学を志した際も、エグレットクラスだけは初めから意識もしなかったほどである。どんなに憧れようとも、彼は愛する少女小説の中のヒロインのようには振る舞えない。無論、彼曰く、の話である。
 当然のことながら、彼の思想とは異なって、フィルバートはつまらない人間ではありえない。そも、フィルバートは名家の生まれであり、この国で「ヘブンリィ家」と聞けば誰しもが少なからずその背筋を伸ばすものだろう。そんなヘブンリィ家の末に生まれながらも、幼い頃から少女趣味を持つ彼を、親戚一同はついぞ生まれなかった娘のようにたいせつに守り育てた。彼は旧時代的とも呼べる淑女教育を受け、完ぺきなレディとなるよう育てられた。
 性別に囚われず、世界の在り方に囚われず、スポットライトを浴びて輝くフィルバートは、厳粛なヘブンリィ家の人々の元に突然降り注いだ「革命の光」そのものだったのだ。
 上述した通り、フィルバートの演技というものは役への共感力が非常に高く、彼の演じるスワンは舞台上で輝き、いつでも観客の心をあたため、そして照らす。さながら太陽のごとく、当たり前に。それこそ、物語のヒロインのように。
 ヒロインというものは、得てして自らの魅力というものに気が付くのが遅いものである。それもまたヒロインの魅力であり、美点でもあるが──しかしあえて言わせてもらうならば、きっと、そろそろ自身の魅力に気が付いてもいい頃合いだ。そして、彼のブロマイドを真剣に選ぶ観客があんなにも列を作っていることにも。


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