(ほんとうに?)


「先生、もうちょっとなので頑張ってください」
 ぐらぐらと不安定に揺れているガーネットの身体を支えながら、オリーブは慣れたように部屋のドアを開ける。そうしてすぐ目の前に現れた玄関の上り框に相手を座らせて、彼はガーネットの手前に片膝をついた。
「頑張るも何も俺は起きてるぞ。おめめぱっちりだ」
 とは、座らせてもらったガーネットの言である。
 酔っ払っても尚はっきりと物を言う舌に反して、弧を描いたまま開いているのか開いていないのか分からない彼の瞳は、ぼんやりとした温度をもってオリーブの方をまなざしていた。相手の大法螺を特に何も言わずに受け止めていたオリーブが、しかしガーネットの靴に手を伸ばしかけたところで止めたのは、上り框に腰掛けた彼の身体が段々と横に傾きはじめたからである。オリーブは眉を下げ、仕方なさそうに笑った。
「じゃあ、ちゃんと座りましょう」
 ガーネットは呻いた。その片頬はすでにフローリングにくっつけられている。
「座ってる」
「床で寝たらだめですよ」
「畳ならいいか?」
「タタミでもだめです。というか全部フローリングですよ」
 コツ、とヒールの音がオリーブのすぐ近くで鳴る。それはガーネットの異議によるものではない。彼はオリーブが靴を脱がすために触れている方の足先をぎゅうと丸めて、こそばゆそうにくつくつと肩を揺らした。はは、と洩れるように彼は笑う。
「返事ははいかイエス。違ったかな?」
「はい、脱いだ靴はここに置きますね」
 あっけらかんとそう言いながら、オリーブは靴箱の中にガーネットのパンプスを仕舞った。当の本人はといえば、あーあ、と、はーあ、の間の溜め息を吐きながら、脱がされかけのもう一足をつま先辺りでゆらゆらと揺らしている。床は硬いし冷たい。ガーネットはいい加減起き上がりたくて片手を伸ばした。すぐ近くにオリーブの首があったから、彼はそこに指先を引っ掛けて、思い出したようにその表面をなぞってみる。
「……先生」
「なんでしょう」
「悪戯しないでください」
 首を片手で抑えてもう一足のパンプスを仕舞いながら、オリーブがそう発する。靴を脱ぎ捨てた足が軽くなって非常によろしい。ガーネットは片足のつま先でもう片方のつま先を確かめながら、悪びれもせず首を傾げた。
「悪戯じゃなくて仕返し。お前が先にくすぐった」
「え、いつですか?」
「今」
「今?」
 ガーネットはくすりと小さく笑った。そうして伸ばしていた方の手を再び動かそうとして、けれどもそれをオリーブの手のひらに阻まれる。
「……だめです」
 困った表情をしてオリーブはそう呟いた。今度こそガーネットはあははと声に出して笑い、ぎゅうと握られた片手を引っ張って、ごろんと後ろに寝っ転がる。鼻歌まじりににっこりとして、ガーネットは冷たい床の上、空いている方の指先で床の上を踊ってみせた。目の前には緑色。
「俺が相手で命拾いしたな。ルビー先生だったらもっと酷いぞ」
「……想像したくないなあ」
「まず片手では済まない。先生が先生でよかったと言え」
「はい。先生が先生でよかったです」
「だろう? ふふふ……」


2021/06/03

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