Long Journey





2022/04/29


 花の定期便で届いた青いカーネーション。人工的な着色も綺麗なものだよな、と目に入るたび思う。
 なんだか今週(と言ってもまだ二日あるけれど)は自分の内側にある歯車があまり噛み合っていないような心地で、何があったというわけでもないのにふんわりと落ち込んでいました。
 自分をまるごと肯定する必要はないと思うけど、だからといって、つど否定する必要もないと思ってはいるけれど、こうして自分の何もかもがなんだかゆるせなくなる日というのも、やっぱり生きている中では少なからず、比率的にはやや多めにあるわけで。いっそのこと何も考えられなくくらい忙しければいいのかもしれないのだけれど、きっと、選択した環境に慣れてしまった今では、目が回るみたいに忙しくたって頭の片隅でこんなことを考えるのだろうから、まあ、ある種の余裕、なのかもしれない。それが良い傾向かそうでないのかは分からないけれど。
 こういう、生きている上でのなんというか必然的な憂鬱を、私は人に自分の口から話すのがものすごく苦手だなあ、と年々強く感じるようになりました。どんなに些細な憂鬱でも自分の心に相当な負荷を掛けないと話せない私の弱音は、たぶん、聞いている側にとってもものすごく負荷が掛かる行為な気がして、それを想像するだけでまたちょっと、悲しい。
 ので、こういうときに頼るのはいつも、やっぱりこうして文章を書くことと、音楽、だなと思う。好きな音楽。
 私はGalileo Galileiというバンドがとても好きで、ほんとうに大好きで、心が錆びているときもそうでないときも彼らの音楽を聴いています。もうあんまり覚えていないけれど、高校生のときから好きなのかな? 初めて自分でCDを買ったアーティストも、初めてライブに行ったのも、活動終了というものを目の当たりにしたのもGalileo Galileiが初めてでした。
 Galileo GalileiがBBHFに転身してからも彼らのつくる音楽がずっと好きで、生ける花が変わったから花瓶を別のものに変えるような、乗せるものが増えたから車を新しくするような、いわば物を入れる「器」のことをとても大事に思っている彼らのことを、私はとても尊敬しています。
 それに彼らは、彼らの詩や音楽が「欲しい」と思う私の浅ましさを、私自身が「くだらねえしクソだ」と言っていいということを教えてくれたような気もするから。
 だから今日も私は彼らの音楽に頼り、感情を押し付け、浅ましいままでペンを握る。

(鳥と鳥)




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