泡沫に溺れる
ミルフィオーレが壊滅した。
その言葉通り、跡形もなく。
正しくは、ホワイトスペルが、なのだけれども。
ホワイトスペルをまとめ上げていた“神”と称えられた彼の人が消えたことにより、後を継ぐ者もおらず散り散りになってしまった。
消えた、というのはそのままの意味ではなく消された、と言った方が正しいのか。
マーレリングの覇者が不在になり、世界の均衡が崩れてしまうから、とボンゴレリングの隣指に輝く指輪。
彼の代わりに世界の二角を支えるのが俺なんて。
「……白蘭」
マーレリングを通して彼を思い出す。
優しく、笑う彼も。
ふざけて俺に怒られてしょげてる彼も。
俺のために怒る彼も。
もう、全て過去のこと。
愛しい愛しい大切な思い出になってしまった。
窓から覗く風景のひとつひとつに、彼との日々を思い出す。
ながれる雲の形にも、木陰の移り変わりにも。
彼との日々が、優しく煌めいて俺の胸を焦がす。
幸せ、幸せだよ。
さみしいけれど、お前のことばかり考えて過ごす日々は悲しくはないよ。
「綱吉兄さま」
あぁまたほら、この幸せを崩す奴が来た。
「もう黄昏るのは止めてください、皆心配しています」
心配?心配だって?
俺をこの状況に陥らせた奴らが何を言うの!
「心配しなくても二角はちゃあんと守ってるよ」
「そういうことじゃありません……もう白蘭のことは忘れてください」
その言葉に苛立ちを覚えて、俺は窓から視線を外して彼女の方へ向き合った。
「ユニ、本気で言ってるの?」
俺の視線にたじろいで、ブラックスペルボス、ユニはそっと視線を外した。
「…本気です、何故綱吉兄さまが彼を引きずるのか未だに分かりかねます」
だって、彼はボンゴレを潰し、世界を手中に治めようとしたのだから!
「綱吉兄さまだって命を狙われたんですよ」
なのに、どうして!
「だから何度も言ってるだろ、白蘭は世界を手に入れようとはしてなかったし、俺の命も狙ってはいなかった」
守護者に裏切られた俺を助けてくれたのは彼だった。
財産と、力と、女と。
何でも自分の思うがままの権力に、守護者達は目が眩み。
諫める俺を邪魔に思ったのかでっちあげの罪をなすりつけて、俺を名ばかりのボスにしたまま地下牢へ閉じ込めた。
夜会やボスの会合に姿を現さないことに不信感を覚えた白蘭はボンゴレを突き詰めたらしく。
裏社会の要人達の前でボンゴレの悪事とボスに対する背反を唱え、ボンゴレを頂から引きずり下ろした。
そしてあとは言わずもがな。
散ったボンゴレが座していた頂点にはミルフィオーレが君臨した。
一時は、平和だった。
事態が急変したのはブラックスペルとホワイトスペルの対立だった。
何かを悟った白蘭は、殺される前日に俺の元へ来て、マーレリングを手渡した。
絶対に、手放さないでね、と真剣な顔をされたら頷くことしか出来なくて。
何かあっても僕のあとを追っちゃダメだよ、この指輪が導いてくれるから。
そう言って優しく俺を抱きしめたのが最後。
彼は逝ってしまった。
意味が分からなくても、もっと問い詰めればよかった。
それでも約束をしてしまったものだから俺は死ねない。
「綱吉兄さまは騙されているんです、綱吉兄さまを助けたのだってボンゴレリングを手元に置くため」
「それは違う」
「違いません、彼はあなたの前ではいい人ぶっていただけ」
「…ユニ、俺は超直感の持ち主だって分かってる?彼がどんな人物かなんて分かりきったことなんだよ」
守護者達にはその警告を無視してしまったけれど。
「ユニ、お前には感謝してるんだよ、白蘭がいない今、俺を保護してくれていることは」
だけどね、だけど。
「お前が守りたいのは世界の調和であって、俺は白蘭だった」
それを、お前の勝手な妄想で、壊された俺の気持ちが分かる?
「俺の命の恩人を、俺の片割れを、簡単に消した気分はどう?」
ねぇ、分かってる?
俺は怒ってるんだよ、恨んでる。
彼奴達とは比べられないほどお前を憎んでる。
世界にひとりきりの孤独をお前が分かるというの!
「…責めるつもりはないよ」
ちらり、ユニの姿を見れば、可哀想に震えてる。
世界のことを考えれば彼女が真の大空とも言える人物なのだろう。
けれど、だからと言って世界のために彼を失うなんてそんな馬鹿げたこと許しはしない!
「ねぇ、俺の記憶の中にいる白蘭に想いを馳せてはいけないの」
君達からしたら悪人の彼は、俺からしたら大切な欠けがえのない片割れだったんだよ。
「彼を、愛することはそんなに悪いこと?」
震えていた体を諫め、真一文字に閉じた唇を、そろりと開けて。
彼女は真っ直ぐに俺を見た。
「白蘭を消したのは世界のため、仕方ありません。けれど遺る大空が彼を想うのは世界を守ろうとした人々の混乱を招きます」
だから、許されないこと。
世界の調和を担う人が、世界の崩壊を願った罪人を愛すなんて。
その答えに興味を失くしたのか琥珀色の双眼は少女から視線を外し、再び窓の外を眺めた。
「…ユニ、お前も結局あの守護者達と一緒だよ」
「………ぇ」
「俺の言い分も聞かないで、自分の我ばかり突き通して。それを正義だと思ってる」
「そんな、つもりは!」
出て行ってよ、とひらひら手を振れば、戸惑いながらもユニは静かに部屋を後にした。
「お嬢?どうした?」
顔が暗いぜ?
「γ…」
私の、大切なひと。
世界のために犠牲になるとしたら、確かに私だって許せない。
けれど、重みが違いすぎる。
世界を支える存在を彼らは軽視している気がする。
「私は、間違っていたのかしら…」
もしも、綱吉兄さまの言うとおり、白蘭が世界を壊すつもりなんて無かったとしたら。
ホワイトスペルが崩壊した、あの日。
真っ赤に染まった白蘭が、息絶えるまで空を見上げていた光景が目蓋に焼き付いて離れない。
きっと、それが意味するのは。
「だけど、視てしまったんだもの…」
白蘭が、綱吉兄さまをどこか遠くに連れて行ってしまう未来を。
「今日は、シオンだよ」
静かな丘の上にひとつ、花を捧げる墓石。
ここからならお前が好きな海も、空も一望できる。
「確かこの花は出逢ってから三回目にくれた花だ」
逢いにくる度、保護されてからは家に帰ってくる度一輪だけ俺に花をくれた。
ひとつだけの方が、気持ちがこもるでしょ、と柔らかく笑う彼の言っていた意味が分かったような気がする。
紫色の、可愛い花。
お前の綺麗な瞳を思い出す。
「花言葉は、追悼…」
俺にこの花を贈ったとき彼は何の思い出に浸ったのだろうか。
この花にはもうひとつ花言葉があったはず。
なんだったかな…
「あなたを忘れない」
え、今の、声は。
聞き間違えるはずがない、声。
「……白、蘭?」
恐る恐る振り返れば彼はそこに立っていた。
生前変わらぬ姿かたちで。
「生きて、たの?」
動けない。
触って確かめたいのに、確かめてしまったら消えてしまいそうで動けない!
「ごめんね、綱吉クン」
僕は、君の『白蘭』ではないんだ。
「どう、いう意味…」
僕は別の世界の白蘭。
パラレルワールドのひとつから来たんだ。
ひとりがさみしくて。
「…ひ、とり?」
「僕の世界の君は僕を置いて逝っちゃったんだよ」
ひとりが、耐えきれなかった。
本当はいけないこと。
世の中の節理をねじ曲げることだけれども。
「君の面影だけで生きていけるほど僕は強くなくて」
だから、来てしまった。
白蘭が消滅した、ひとりきりの君の元へ。
「この世界の僕も、僕がこうして君を訪ねることが分かっていたんだろうね」
その証拠が君の指に光るマーレリング。
「僕はマーレリングの位置が分かるから」
君をひとりにさせないように。
「白蘭」
白蘭、白蘭。
だからあの時渡してくれたの。
自分がいなくなった後の俺を心配して。
ありがとう、ありがとう!
ごめんね、ごめん。
体にかかる影に、白蘭が俺のすぐ目の前に来ていることに気がついて、顔を上にあげた。
「白蘭」
なんて、顔をしているの!
「僕でも、いい?」
君と、生きた僕じゃないけれど。
「僕と、生きて」
泣きそうな、精一杯の勇気を振り絞った言葉は、白蘭の涙と共に零れた。
この世界にくるのだって勇気が要っただろうに、そんな言葉まで言わせるなんて!
「白蘭は白蘭だろ…」
消えてしまった白蘭は、俺の中に生きているし、お前の消えてしまった綱吉だってお前の中で生きてるでしょう!
そっと、手を握れば。
そっと、指を絡められて。
ぎゅっと、抱き締められた。
「お前こそ、俺でいいの」
「どこにいたって、どんな時を過ごしていたって僕が求めるのは君ひとりだけなんだよ」
一緒に、生きよう。
それは、傷を舐めあう愛にしかすぎないかもしれないけれど。
白蘭、俺の白蘭。
天国で、別の世界の俺を見つけてあげてよね。
きっと、さみしくて泣いてるよ。
ふたり、手を繋いで。
お互いの胸には大切な人の遺品を抱いて。
異次元の扉の中へ一歩踏み込んだ。
(ごめんね、ユニ)
(今度は俺が壊す番だ)
この世界がどうなったかは誰も知らない。
ただ、綺麗に綺麗に創られた世界で少年がふたり幸せそうに暮らしていることは、たしか。
はかないねがいのさき
(もう、見つけてくれた?)
パラレルワールドを行き来できる神設定。ごめんなさい。
後に出てきた白蘭は『黄昏を海に沈めて』の彼というどーでもいい裏設定。
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