静かな思い

「やーい!バケモノ!」

「見てみろよー、この耳と尻尾、気味わりぃー!」

「アハハハ!」

リッザオの城から程近い森の中。
少年達に囲まれ、からかわれ、すすり泣く少女ーー李花(リーファ)の姿があった。
麦色の髪ーーその頭には犬のような耳が生えていた。
ついには、その耳をぐいと引っ張られ無理矢理に立たされる。その痛みに悲鳴を上げると今度は突き飛ばされ、尻餅をつく。
けして豪華とは言えない服は泥に塗れた。
李花の頬は紅潮し、あまりの悔しさにその小さな身体は震える。しかし、ただただその場で泣くことしか出来ない。
そんな時、森中に響き渡るような大きな声がした。

「お前ら何やってんだよ!」

その声の主もまた、年端のいかない少女だった。
白銀の髪に、ぴんと立った狐のそれに似た耳。
よくよく見れば可愛らしい顔立ちなのだが、怒りの形相を浮かべ少年達を睨みつけている。
その手にはーー使い古された木刀を持って。

電光石火の如く少年達の元に駆け寄り、その木刀を振り回す。
あまりの痛みに少年達が悲鳴を上げる。

「あたしの大事な妹をいじめるなんて許さない!ボコボコにしてやる、覚悟しろ!」


見事なまでに打ちのめされた少年達は、捨て台詞を吐いて走り去った。

「二度と来んな、バーカ!」

その情けない姿を見て、白銀の髪の少女が叫ぶ。
そして、ふうとため息をつき、少し離れた場所でうずくまる李花に声を掛ける。

「李花、大丈夫?もう平気だよ、あいつら居なくなったからさ」

ゆっくりと顔を上げた李花は、白銀の髪の少女ーー姉である麗月(レイゲツ)に抱き着いた。
しゃくりあげながら大粒の涙を流す李花を、麗月は優しく撫でてやる。

「李花。可哀想に、酷い目にあったね。あたしがもっと早く駆けつけてれば」

麗月は悔しそうに唇を噛む。
李花はそんな麗月を見て首を振る。

「いいえ、お姉様が来てくれて嬉しかった…」

無理矢理に笑ってみせる妹の姿に、麗月はいたたまれなさを感じずに居られない。
尻餅をついた時にすりむいたのだろうか、李花の小さな手のひらが赤くなっていた。
手当てをしよう、と促し、城に戻ろうとした時ーー

ゴッ、と鈍い音がした。

そして、麗月が顔を歪める。
足元には拳大の岩が転がっていた。

「痛っ……」

遠くには、先程立ち去ったはずの少年達がニヤニヤと笑っている。

「れ…、麗月お姉様!」

少年達の内の一人が投げた岩が、麗月の肩に勢いよく命中したのだ。
青ざめる李花の傍らで、麗月は肩を抑える。その顔にまたしても怒りが浮かび、わなわなと震えながら木刀を手にしようとする。

「バケモノ!この国からさっさと出て行け!」

「出ーて行け!」

少年達が囃し立てる。

「あいつら……」

木刀を手にする麗月を、李花は必死で止めた。

「待って!お姉様!手当てをしないとダメ!」

「離してよ李花!あいつら、今度こそ許さない!」

「やめて!お姉様がこれ以上怪我したら、李花は、李花は…」

その後は言葉にならず、また泣きじゃくる。
そんな李花の様子を見て、麗月はとうとう諦めた。



城にやっと戻ると、李花の部屋でお互いの傷の手当てをした。
麗月と李花ーー二人はリッザオという小国の姫である。
母親が違うためか外見も性格もまるで正反対だった。彼女達の父親ーー国王は、気に入った魔物を「買って」は、妻として迎え入れた。
曰く、魔物には人間にはまるで無い格別な美しさがあるのだとーー。
リッザオは然しながら特段に何か名物がある訳でもなく、国民達は細々と農業で生計を立てていた。王族といえども財政難に喘ぐなか、麗月たちの父親は金で魔物をどんどん買い付け、妻として愛した。
そうした中で産まれた麗月と李花は、言わば人間と魔物の「ハーフ」である。
外見だけを見れば獣のような耳と尻尾が生えているという違いだけではあるのだが、国民たちからは酷く疎まれ、城の従者でさえも陰湿な嫌がらせをした。
気の弱い妹の李花は、ただ泣きじゃくるだけ。
そんな李花を守るのが姉の麗月だった。
自己流で武術を覚え、先の少年達のような輩との喧嘩はしょっちゅうだった。白い肌には生傷が絶えず、動きやすいようにと、姫でありながら男子用の服しか身に纏わないようにしていた。

「……ひどい」

岩をぶつけられた右肩は内出血を起こしていた。
魔物の血が流れていて、普通の人間よりは頑丈と言えるのだが……。
思わず声を無くす李花に、余計な心配は掛けまいと麗月は気丈に振舞って見せた。それが逆に痛々しく映ったのか、李花は酷く落ち込んでしまった。

「なぜ…李花たちがこんな目に遭わなければならないのでしょう?悪いことなんて何にもしていないのに」

そう言って俯き、肩を震わせる李花に何も言うことが出来なかった。
自室に戻った麗月は、そっと服を脱ぎ、鏡の前に立つ。右肩は青紫に変色し、動かそうとすると鈍い痛みが襲った。
鏡の中の自分が、いつの間にか泣いている。
どれだけ怪我をしても、酷い言葉を投げつけられてもいつも泣かなかった。
いや、無理矢理に涙を流さないようにしていた。
そうやって何年も溜め込んできた涙が、今一気に溢れ出たように思えた。
それでも、やはり無意識に声を押し殺していた。立ち尽くしたまま、大粒の涙が頬を伝っていく様を見ていた。


ーーそこで、はっと麗月は気が付いた。
座ったままいつの間にかうたた寝をしていたようだ。
辺りを見回すと、夫である宵紅(シャオフェイ)が、少し離れた席で調べ物をしていた。
随分と懐かしい夢を見ていた。
…宵紅は麗月がうたた寝をしてしまっていたことには気付いていないようだ。

小さくため息をついて、昔の自分に思いを巡らせるーーあの頃の自分はあまりにも幼かった。
今にして思えば、リッザオの民が不満を持つのは当然の話で、そんななかで産まれた自分も、仕返しという名の下に…言わば「逆ギレ」で他人に暴力を振るっていた訳である。
自分の稚拙さに思わず顔を覆いたくなるーー後悔は拭えない。

シャンナムカへと嫁いだ今、平穏をやっと手に入れたと思っていたが、やはり不安は襲う。

またしても宵紅を見やると、相変わらず書物を机に広げたまま何か考え事をしていた。表情も少々険しくなっている。

「あ、あのさ…宵紅」

声を掛けるも、反応がない。二度目にしてようやく気が付いたのか、宵紅が顔を上げた。

「ああ、すまん。麗月。何か言ったか?」

大した話では無いんだけど…と言い淀む麗月の様子に違和感を感じ取ったのか、宵紅が席を立ち、麗月の側へとやって来た。
心配そうに麗月を見つめている。

「どうした?」

宵紅が尋ねると、麗月は自身の耳に触れながら口を開いた。

「今、ちょっと眠ってしまっていたの。そこで昔の夢を見たわ。リッザオに居た頃の夢。あたしと妹の李花は、前にも言った通りこの見た目のせいでひどくいじめられていたわ」

それで、と麗月は続ける。

「ほら…人って、自分達とは違うものを中々受け入れられないじゃない?今は魔物と人間の子なんて珍しい話でも無くなってるけど……司家の人達は、…宵紅は。
あたしがここに嫁いできたことで司家に魔物の血が入ってしまうことに何も思わない?本当は嫌じゃない?」

誰も口にはしないが、もしそんなことを思われているのだとしたらーー、麗月は密かに震えた。
固く握られた麗月の手に、宵紅の手が重なった。

「そんな事を気にしていたのか?…いや、そんな事、と言ってはいけないな。お前はそれでずっと思い悩んで来たんだろうから…」

麗月は思わず下を向いた。

「怒るかも知れないが…俺は嬉しい。お前の気持ちを聞けたことが嬉しい。なあ、聞いてくれ、麗月」

麗月は下を向いたままだったが、構わず宵紅は続けた。

「俺はお前を妻に出来て本当に良かったと思っている。嘘じゃない…俺はお前のお陰でこうして生きる事が出来たんだからな。俺だけじゃない。ジン、リー、メイ、それから親父達も。お前に感謝しているし、皆お前の事が好きなんだ」

一言一言、噛み締めるように宵紅は続けた。
そして、ふっと笑う。

「それに…麗月。お前との子供なら、可愛いに決まっているさ」

そこで思わず顔を上げた麗月に、宵紅は優しく口付けた。
見る見るうちに赤くなっていく麗月の頬を撫で、何度も口付けを落としていく。

「お前以上に愛しいと思う奴は居ないよ」

出会ったばかりの頃には考えられないほどの甘い言葉。
麗月は思わず瞳を潤ませた。

ずっと、こうして欲しかった。

ただ誰かに自分を愛して貰いたかった……。
頬を伝うのは。
あの頃とは違う、幸せな涙だ。


「さあ、そろそろ寝よう、麗月」

笑顔で頷く。

もうきっと、あの頃の夢は見ないだろう。

prevnext

×
「#エロ」のBL小説を読む
BL小説 BLove
- ナノ -