ひまわりな君と天使な私


階段をのぼる音がする
扉を叩く音がする
それだけなのに心はずっしり重くなって悲鳴を上げる。手足が麻痺したようにしびれて動かない動けない。

「名前、出てきてちょうだい」

母さんの心配そうな声が部屋に響き鼓膜を震わせる。今日もご飯を食べないの?と聞かれる。でも駄目なんだ。ごめんなさい。体の中が空っぽになったみたいに何も感じなくてやる気も起きない。言葉さえも喉から出ようとしてすぐ消えてしまう。私は、もう、なにもしたくない。

「名前……」

自分のスイッチが壊れた日のことは覚えてる。
いつも行くスーパーのレジにおばさんが割り込んできた。ううん、おばさんじゃない。もっと若い人。可愛くない赤ん坊をカートに乗せていた。なんだか嫌だった。割り込んできた事だけじゃなくて、もっといろいろなことが…

平たい腰
うねった髪
似合わない派手な化粧も

なんだか嫌だった

それからその人はいきなり私の方を振り向いて睨んできた。まるで私の考えてることは何でも見透かしてると言うように…。
それだけ。たったそれだけの事なのに、吐き気がした。急いで走って帰り部屋の鍵をかけて小さくなって眠った。目が覚めても吐き気は止まってくれなかった。手足が冷たくて心が凍てついてしまった。もうここから動くまいと思った。

そしたら本当に動けなくなったの。


でも朝は訪れる。お母さんは必ず扉を叩き呼びかけるし外は笑い声と車の騒音で溢れている。夜は無音の世界だけど、おばさんの目を思い出すと引き裂かれるように心臓が暴れ出した。そして再び朝が巡る。

机の上にあるカミソリを手にとるとカーテンの隙間からもれる光に反射してキラキラ煌めいた。この連鎖から抜け出すには死ぬしかない。ひどく疲れてしまった。けど…この部屋を血で汚すわけにはいかない。もっと別の場所を探さないと。

「………。」

私は薄い羽織を持って外へ出た。


* * * *


外は軽く霧がかっていて緑の葉たちを濡らしていた。葉をチョンと触ると水滴が転がる。このパブリックスペースはあまり人が来ない私のお気に入りの場所でもあった。最近はまったく来てなかったけど、やっぱりここに来ると少し落ち着く。

「はぁ…」

自然とこぼれる溜め息。
ご飯を食べていないからか歩いただけでもう疲れてしまったし…どこかに座りたい。ベンチもない空間を見渡すと一本の木に目が止まった。大きく傾いた幹は太くて座ることが出来そうだ。人がいないことを確認して私は木に登り寄りかかった。ひんやりする幹が気持ちいい。
目を瞑って落ち着こうとしたとき…

「姉ちゃん姉ちゃん!!」

下から元気な声がした。
ハッと目を開けると豹柄のタンクトップを着て赤い髪をつんつんと立てている男の子がいる。笑顔がまぶしい子で瞳が好奇心で輝いている気がする。何だろう…木に登ってるのが珍しいのかな?


「姉ちゃんは天使やろ!」

「へ…?」
「一目で分かったで!漫画で見た天使様そっくりや」

元気に語る少年の言葉で幹からずり落ちそうになった。天使?私が?こんな格好悪い私が天使だなんて…お笑い草だよ。

「ワイは遠山金太郎っちゅうんや。よろしゅうよろしゅう!」
「遠山君?あのね、私は…」
「ランニングして正解やったわー!」
「だから私は…!」

ああ、もう!この子まったく人の話聞かない!でも悪気を感じないのは屈託ない笑顔でいるからだろう。本当に、私なんかとは違うまるでひまわりのような笑顔だ。

「なぁ天使の姉ちゃん。姉ちゃんに会えたからワイ幸せになれるやろか?」

…否定するの簡単。私は天使じゃないから分かんないって。でもそれはタブーだと思う。サンタクロースのプレゼントを心待ちにしている子供にサンタはいない、サンタはパパだと言うようなもの。いずれ知る現実を無闇に早まらせる行為。だから私は笑って頷いた。この子のようには笑えてないだろうけど。

「きっと…必ず幸せになるよ」
「やったー!!」

飛び上がって喜んだ。自然と遠山君を見てると笑ってしまう。でも遠山君はすぐ困った顔になって帰らないと言った。どこか名残惜しそうに「また会えるやろか…?」と言われ私は頷いていた。太陽に向かって大輪の花を咲かせているひまわりに元気をもらえたから。

嵐のように去っていた遠山君を見送り、霧も消えてきた頃に私も家に戻った。廊下を裸足で歩くとお母さんが驚いて出てきた。心配そうで泣きそうで何を言おうか迷っている。私も言葉が出てこなかったから足早に隣を抜けて二階に行こうとした。

「待って名前!どこ行ってたの?」
「気晴らしに、外」
「そんな格好で…心配したのよ…心配してるのよ」
「……ごめんなさい」

心配かけて、ごめんなさい。それが私の言える精一杯の言葉だった。逃げるように部屋に戻り鏡の前に立ってみた。…溜め息が零れる。
ひどい格好にひどい髪。これが天使?ずいぶんみすぼらしい姿ね。

机の上に転がったカミソリを見つけ…引き出しの中に仕舞った。だって、遠山君と約束したんだもん。

『また会おうね』って。

思い込みの激しそうな子だから毎日来そう。笑えちゃうけど。しばらくあの子の前では天使として生きなくちゃ。…あれ?なんだか気持ちが晴れたみたい。そうだね、ゆっくりでいいから遠山君のように笑えるようになろう。なりたい。


私は『天使』なんだから。


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