まどかな夜籠り

たわいの無い日常はいつも唐突に壊れてしまう。
陽に当てず風に当てず腕の中で守っていても端から崩れていく。
これ以上変わらないでとわたしは縋ることしか出来ない。



ビクリ、と足元が抜け落ちる感覚で目を覚ました。
急激に覚醒した視界にはソファの布地とくしゃりと歪んだ本のページ。読んでる途中で寝てしまったらしく下敷きにされた本の端がよれてる。あぁ…またやっちゃったなぁ アルファロに怒られちゃう。寝ぼけたままシワをなでてるとちょうど革靴の音が廊下に反響し聞こえてくる。無駄な抵抗はやめてソファから起きだすとここの部屋の主――アルファロが帰ってきた。

「また勝手に入りましたねコカロ」
「おかえりなさい 帰ってくるの待とうと思って」
「それはいいですが本は汚さず元の場所に戻してくださいよ」

はーいと何事もなかったかのように本を閉じて本棚に戻す。元の場所がここだったか背表紙を眺めてそのまま視線を上げると天井まである本棚に特殊調理食材の捕獲方法や調理の本がジャンル・名前ごとに規則正しく並んでいてる。私が戻した本は微妙に飛び出してて違和感があった。少し見ない間に知らない本も増えてる。アルファロは勉強家ね。
本棚を眺めてるとアルファロはマントと上着を脱いで深くソファに腰を下ろした。

「お疲れ様 アイスヘルは寒かった?」
「グルメ界ほどではありませんね。こちらは変わりありませんか?」
「ええ ボスはいつも通り」

アルファロはボス三虎様の傍に控え、無尽蔵の食欲に応えるため料理の要望から配膳・バッシングを行っているギャルソン。でも今日はボス直々に任務を預かり人間界にあるアイスヘルへ向かっていた。元々アイスヘルへ行くのは副料理長トミーロッドを筆頭に支部長が2人。人間界での捕獲なら十分な人員を選んだつもりだったけど、想定外の動きが見えてアルファロが迎えに行くことに。…わざわざアルファロを行かせるなんて不甲斐ない連中。
話を聞くと四天王一人に随分と苦戦してどいつもこいつも重症になって帰ってきたらしい。そこから制裁食らったらボギーウッズあたり死ぬんじゃないかな?

「トリコを始末するつもりが節乃が出てきましてね」
「節乃!? あのババアが?」
「奴等を回収するために来たようですが…フフ 気で皿を割られてしまいましたよ」

身体は鈍っていないようですね、と笑うアルファロを見るけど怪我はなさそう。きっと牽制として皿だけ割りやがったんだろう。あのクソババア。窘められるだろうから心の中だけで毒づくが、まさか四天王トリコを手助けするほど密に関わってるとは思わなかった。これは報告対象だろう。

「報告は明日にする?」
「いえ 一息ついてから今日中に仕上げます」
「なら珈琲でもどう? すぐ用意出来るよ」

とっておきのブレンドコーヒーに最高級の黒糖とナッツも用意してある。アルファロはどちらかというと紅茶派だけどいつも私が淹れた珈琲を褒めてくれるから悪い味ではないと思うんだ。尋ねるとアルファロの表情が僅かに和らぐ。

「お願いします 気が利きますね」
「もっと褒めてくれてもいいんだよ?」
「給仕服のまま横にならなければもっと素敵なんですが」
「これはボスにいつ呼ばれてもいいように…」

それなら尚更ですとやっぱり窘められて居住まいを正す。ちぇ さっきまで見逃してたくせに。でも素敵なんて言われたら悪い気はしない。クラシカルでフリルの少ない給仕服はエプロンを外しているとパフスリーブの可愛いただのワンピース。でもお茶とはいえ食に向かうとなると自然とエプロンに手が伸びいつもの給仕スタイルに戻っていた。王道こてこてな白黒メイド服じゃなくてエプロンは灰色なのがお気に入り。
キッチンに向かいあらかじめ中細挽きにしていた粉を手順通りに抽出する。私は抽出時間が長い苦くて重いほうが好きだけどアルファロはまるくフラットな味の方が好きだから今日は少し短めにしよう。上品な白のカップとソーサーを温めて用意してこれまたシンプルなミルクホワイトのプレートにチョコとナッツを並べる。うんうんいい感じ。
お待たせしましたと給仕らしく音もなく並べるとアルファロは優雅に口元に運び「今日もとても美味しいですね」と言ってくれる。その言葉が大好きで嬉しくて、ようやく今日の自分の時間が始まった気がした。





アルファロは珈琲を飲み熱いシャワーを浴びてから報告書に取り掛かった。
使い終わった珈琲セットを片付けて戻ると部屋は明かりを一つ落とされていてデスクのランプがぼんやりと灯されている。普段フォーマルな黒服ばかり着ているアルファロは湯上りにシンプルなシャツ姿でデスクに向かってた。オールバックに固めている髪も今はほどけてる。耳にかけている髪が顔に落ちると無造作にかきあげる。その仕草に、真面目な横顔に、どうしようもなく心が掻き乱される。

飾り気がないのにアルファロはさきほど並べた食器達のように上品で格調高く芸術品のように美しい。端整な横顔に思わず魅入ってしまう。

「アルファロ…結ぼうか?」

もう一度髪をかき上げたのを見て、私は自分の編み込みを解いてアルファロの髪に触れていた。結び痕がつかないよう襟足を残して邪魔なところだけを緩くしばる。男の人らしいしっかりした髪質に清潔な香りがして指通りがいい。「ありがとう」と目を細められるだけで胸が苦しくなる。

アルファロは私がこんなに溢れ返りそうになるのを知らない。
溺れそうな衝動のまま覗き込むようにチェアに寄ってみる。

「終わりそう?」
「コカロ、邪魔しないでください」
「……はぁい」

ワントーン下がった堅い声にすぐさま離れる。失敗したなあ。感傷と同時にさきほどまでの澄んだ柔らかい気持ちに暗澹たる影が差す。ドロドロした澱みがわたしの一番綺麗な場所を喰らいつくす。

「………」

報告書を綴るアルファロを虚ろに見つめる。いつも窮屈そうに六本の腕を折り畳んでデスクに向かい紙面に丁寧で几帳面な文字を綴る。そんな真面目で正しく物堅い後ろ姿にさえも心が揺さぶられるというのに。この気持ちを指す言葉は揺るぎないのに。アルファロの良識さがこの思いを撥ね付けたとしても諦めるなんて出来ない、はずだったのに。
私がせめて心の一番清らかなところで抱いていかった感情が薄汚れていく。温かで清らかで真っすぐな気持ちこそが■でしょう? こんな醜い不純物が混じってしまった気持ちなんて■と呼べないでしょう?そもそも私たちは…、

「邪魔しちゃいけないからもう戻るね!」

心が真っ黒になる前に無理やり視線を引きはがす。
今日はもう普段通りには振る舞えなくて背を向けるとコトンとペンが置かれた。

「送ります」
「へ!? い いいよ!すぐそこなんだから!」

マントを羽織ろうとするアルファロを制していいから!ドアまででいいから!と押しとどめた。送るなんて言っても私たちは隣同士で、ものの数十秒歩けばついてしまう。律儀というか過保護というか、人の気も知らずに…。

「おやすみなさい」
「おやすみ」
「また明日」
「うん また明日」

部屋から一歩出るといつものように言う。本当にもう、わざわざ送らなくても明日も明後日も会うのに。嬉しさと照れと素直になれない拗ねた声で返してアルファロがドアを閉めるのを見送る。カチャリと音が鳴ったのを確認して自室に歩き出して数秒、背後から「コカロ」と呼び止められ肩が跳ねた。

「忘れていました これありがとうございます」
「え、あぁ…いいのに別に」

手の平に乗せられたのはさきほどしばった髪ゴムだった。アルファロを見ると結びを解かれて軽く跳ねた髪が目に付いて何だか可愛かった。結局私の部屋の前まで送られると「では今度こそおやすみ」と閉められて革靴の足音は隣に移動していった。

心がしめやかに握られる感覚が次第にほどけていく。
髪ゴムを握るだけで胸がじんわりと温かくなるのに私は淡い感情と暗い諦念で揺れていた。一喜一憂に揺れたところでこれ以上何かが起きることはない。この関係が変わることはない。アルファロは変わらない。そして私も。絶え間ない努力の果て、何が起きようと私も変わらないから。

これからも「家族」であるために。

思考を遮るように0時を告げる音が響く。
早く寝ないと。私達は明日もボスに誠心誠意お仕えするのだから。
 

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