夜更けのヴェール

それ以来私はボスと眠るようになっていた。
いやらしい意味ではなく、本当にただ同じベッドで眠るだけ。ボスはなにも言わず私もなにを聞けばいいか分からなくなりこの状況に甘んじている。ただもう恐ろしい悪夢はみなくなっていた。魘されることも眩暈と耳鳴りに襲われることもない。身体もずっと楽な気がする。

日中は今までと変わらない。ボスより早く起きて身支度して朝食の準備をしてボスにお仕えして、隙間時間に掃除したり支部に顔を出して進捗を確認したり…。普段から仕事は多いのに今は本格的にグルメ界へ進出する準備・料理人1000人誘拐計画・クッキングフェスティバル襲撃計画と重なり大忙しだ。悪の組織も楽じゃない。
そうして一日が終わると、私は自分の部屋でもボスの部屋でもない、例の寝室へ向かう。ボスの部屋で眠ったのは初日だけでそれからはお互い例の寝室に行って夜を過ごしてる。今日も二重扉のドアを叩くとボスの声が聞こえた。

「ボス戻りました」
「あぁ」

自分のすらりと出た言葉にも当然のように返ってきた返事にも苦笑してしまう。
ボスはすでに口寂しくなっていたのかキッチンに準備していたスパークリングワインを開けていらした。興味が惹かれないと手にしないのにご自分で召し上がっていたなら満足していただけたみたい。グルメ界のメラルド水郷の湧き酒をセドルが隠し持ってるのをクロマドが没収してそれを奪取したかいがあった。ただテーブルに並んでるのがワインボトルとグラスだけと気付く。

「ボス少々お待ちください!軽食を準備します」

何てこと。せっかくグリンパーチが食べずに持ち帰ってきた食材があるというのにお出ししない訳にはいかない!といってもすでに料理人が調理したものだけど。簡易キッチンの冷蔵庫を開け用意していたものを綺麗に盛り付けボスの前にお出しする。

「マンガリッツァ白金豚のプロシュットです」

桃とクリームチーズを金箔をまぶしたように輝くハムで軽く巻く。泡立つスパークリングと並べても美しい。基本ボスにお出しする料理はクロマドやアルファロに相談するのだけど、最近は自分で考えたものも出している。料理人ほどではないけど私だって300年料理を運び続けて勉強だってしてる。火が苦手で調理は出来なくてもおつまみ系で作れるものはいくらでもある。自分だけの力でボスに奉仕できるのは誇らしい喜びだった。

「お味はいかがでしょうか?」
「悪くない」

悪くない。それだけで嬉しくなってしまう。その後もワインを注ぎプロシュットを作り足しボスの周りをくるくると動き回り、ボス御髪がしっとりと濡れているのに気付いた。
こうして生活してる間に気付いたけどボスは入浴後髪は放っておく派らしい。こんなに長くて量が多いのに。そういうのを見るとやっぱり女性としては気になってしまう。乾かしたい。梳かしたい。あわよくばオイルとか塗りたい。

「ボス 乾かしましょう」
「……またか」
「またです!」
「お前も飽きないな」
「はい!全然飽きません」

すちゃっとドライヤーとヘアブラシを取り出す。ボスの御髪に触れてみたくて始まったこれはもはや日課になってしまった。ボスからの呆れた視線を感じながら意気揚々と後ろに回り毛先から梳かしていく。太くて硬めの蓬髪。でもこうして毎日梳いていると指通りがよくなってきた気がする。私の身長ほどある髪は手入れが大変だけどとっても楽しい。

…でもこういうのアルファロにもしたかったな。少し前に触れた髪の感触を思い出す。
アルファロはこういう事は絶対させてくれなかった。料理中だって絶対キッチンに近づけさせなかった。確かに火も熱も怖いけど私達の部屋はアイエイチだし手伝えることはあるのに。アルファロは強くて賢くて何でも出来て、私の兄さんで、きっと自分がやらなければと思ってたんだと思う。だから過保護になるし世話も焼くし心配もしてくれる。いい兄さんだとは思う。でも…それはきっとアルファロが望んだ事ではなくて…。どろりと心に嫌なものが溢れてくる。

「コカロ」
「っはい?何でしょう?」
「…それは使うな」
「…何でわかるんですか?」

ドライヤーの音に紛れて用意した椿油をそっと降ろす。残念 ボスの御髪サラツヤ計画が。きっと後ろにも目があるに違いない。
ボスの声により中断された思考は霧散していく。そういえば、最近まともにアルファロと会話してない気がする。日中は会ってるけど忙しくて仕事の話しかしてないし。でも不思議と寂しくない。今までじゃ五日も離れてたらアルファロ不足で恋しくて寂しくて退屈だったのに…ボスといるから? アルファロとの決別から入れ替わるように生活してる。そう思うとまたボスに救われてしまった。やっぱりボスは私の――…

「よし、終わりましたボス!」
「…あぁ」
「段々指通りが良くなってきましたね」
「こんな事の何が楽しいのか分からん」

ドライ後の指通りと艶に満足しているとボスは眠たげに欠伸をされた。
そして私も休むよう仰せつかり空になった皿とグラスを下げて入浴する。最初はボスがいる部屋で入浴するなんて気恥ずかしかったけど、まあ何が起きるという事もないので慣れてしまった。エプロンを取った恰好とそう変わらないゆったりした黒いロングワンピースで出るとボスはすでにベッドの上でくつろいでいらした。今日するべき事を終わらせたのを確認するとボスが「寝るぞ」と私を見る。…この瞬間はちょっと慣れない。

「はい ボス」

でも緊張は自分でベッドに乗り上がるところまで。布団に潜り込んで背中に大きな腕が回ればすぐ瞼が落ちてくる。ボスの体温と心音に包まれ腕の重さも心地いいくらい。緩やかにまどろみに落ちていく中で、ボスの指先が背中を撫でた気がした。
その日から、毎日少しずつボスとの交わりが増えていく。


◇◇◇


「わたしの話、ですか…?」

その翌日、今日も今日とて御髪の手入れをしているとボスは脈絡もなく話を求めた。私の話、私の過去の話なんて薄っぺらくて後味も悪くて、とても人に聞かせるようなものじゃない。ボスの硬い髪を撫でながら言葉に迷った。緩く波打つ豊かな髪は私がうずもれてしまうほどでこのまま黒い波に隠れてしまいたい。

「楽しい話は一つもないですよ」
「ああ」
「話も上手くないですし退屈になりますよ」
「それでもいい 話せ」

ボスは肯定すると立ち上がった。同時に私を取り巻く黒い波も引いてしまい目で追いかけるとボスの体躯について行ってしまった。
私の過去、嫌な記憶が蘇るだけで皮膚が粟立ち焼け焦げたような幻臭がまとわりつき縮こまるように肩を抱いた。ああ これだから嫌。もう300年も昔の事なのに。どうして身体が固まるの。腕を解き自ら動き出す前にボスが私の体を持ち上げた。ぱちくりと瞬きすると荷物のように抱えられベッドの上に降ろされる。

「ボス…?」

大きな体が覆いかぶさると梳いたばかりの蓬髪が垂れ下がってきた。黒いヴェールに空間を隔絶され手を伸ばせば触れられる距離から見つめられる。不思議と私は落ち着いた。ボスがいて怯えるものなんてない。火なんてない。悪夢だってボスがいれば遠のいていった。ボスの存在に幻臭すら追い払われ安堵とともに力が抜けた。

「ボス」
「……」
「私の話が終わったらボスのお話も聞かせて下さいね」

まるで寝物語をねだる子供のように言うとボスは頷き約束すると言って下さった。
スプリングが軋み肘をついたボスと距離が縮まる。きっとボスも寝物語を求めてるだけなんだと思う。
 

「#エロ」のBL小説を読む
BL小説 BLove
- ナノ -