楽園へ至る薬

 
「私はもうすぐ死ぬみたい」

蝋燭の灯がちらちらと揺らめく部屋に独り言が溶けていく。だだっ広い石と土壁の部屋は息が白くなるほど寒くて、もたれかかっている石の壁からも体の熱が奪われていく。でも痛みに朦朧とする意識が研ぎ澄まされていくようだった。

「心残りはあるけど……」

私の言葉に反応するものはいない。それでも吐き出さないと気が済まなかった。何故かあの薬を飲んでから感情のブレーキが利かなくて笑いだしたら止まらないし怒りだしたら部屋をめちゃくちゃにするまで止まれない。ついさっきも感情が溢れるままにガラスを叩き割り壁紙を引き裂きテーブルをひっくり返しソファに包丁を突き刺して、片付けもせず出てきてしまった。何故こんなに衝動的なのか。あの薬。「Au revoir」。

「これ以上間違わずに済むならそれでいい」

過剰な恋愛感情を抑制する。愛情をコントロールする薬。「Au revoir」はアルファロへの過剰で歪な愛情を抑えてくれる。あれを飲んだ瞬間は頭がすっきりして身体が軽くなって多幸感に包まれるのだけれど、多用するようになってからは酷い頭痛と記憶障害が起きていた。頭が割れるほど痛む時は立っていられないほどだし、頭痛が治まると決まって前後の記憶が抜け落ちている。次第に昔の事も数日前の記憶すら怪しくなり、……とうとう今日、ボスの食事の配膳をしている最中に目の前の二人が誰か分からなくなり、もう限界なんだと悟った。きっとあと少しでアルファロも三虎様も分からなくなる。それはいや。いっそ痛みで気が触れた方がいい。

「愛されたくて始まった恋だったけど……」

薬を飲むのをやめればまだ助かるかもしれしない。そもそも「Au revoir」はこんな毎日飲むものではない。恐らく劇薬並みに強くて一粒で10年の効き目があるらしい。でも何故か、アルファロを愛した記憶が過るだけで手が震える。気持ちが戻ったわけではないのに不安で恐ろしくて堪えられなくなる。記憶は確実に抜け落ちてきてるのに、どうして恋の記憶は忘れないんだろう。どうしよう、また手が震えてきた。きっと10年ぽっちの効果じゃ私の300年の恋心なんて抑えられないんだ。震える手でポケットの中を探ると冷たい小瓶に触れる。開けようと力を込めるも寒さと震えで上手く開かず、苦戦していると不意に手の中から小瓶が消えた。


「それでもお前は飲むのだな」
「ボ、ス…!?」

振り返ると私がもたれていた玉座にいたボスが小瓶を手にしていた。初めて返された反応にぽかんと見上げていると人差し指をクイと曲げられた。来いという意味に解釈して玉座の端によじ登る。隣に行くと小瓶はボスの手によって簡単に握り砕かれ茶色い欠片がパラパラと落ちていった。開かれた手の平には白い錠剤のみが残されている。ボスと目がある。

「それでも、飲むんです」

恋心を取り戻してしまうくらいなら気が触れて死んだほうがマシだった。
ひな鳥のように口を開く。ボス手ずから薬を与えられごくりと飲み込んだ。意識が晴れ渡り多幸感にしばし浸り、目を開けてもまだボスと目が合った。独り言も止まってしまい冷たい静寂につつまれる。もう何も言うことはない気がした。例え明日死ぬとしてもこれでいい気がする。最後に、瞼の裏にボスのお姿を残すようにゆっくりと瞬きをする。

「ここは冷えますので…もう戻りませんか?」
「……ああ」
「おやすみなさい、ボス」

玉座から降りて深く一礼する。そのまま玉座の階段を下りあと少しで部屋から出る、という時にボスの声が聞こえた。「おやすみ」と。思わず振り返るもすでにボスの姿はない。再び歩き出す足取りは軽かった。きっと安らかに眠れるに違いない。


◇◇◇


頭が割れるように痛い。
気付けば私は白い病室のベッドの上で窓を眺めていた。外は晴れているのにぱらぱらと雨が降っていて妙に懐かしい気持ちになる。ええっと…何してたんだっけ?ぼんやりとした思考する中で気配を感じて振り向けば色白の八本腕の人がいて、すごい大きい人だと目を丸めてしまう。

「…………あぁアルファロ びっくりしたぁ」

誰だろうと訝しんだ自分を殴りたくなる。でも今回も思い出せてよかった。私が笑うとアルファロも微笑み「そろそろ横になって下さい」と背中を支えられベッドの中に沈んだ。ええと…いつ起きたのか分からないけど頭痛いし、いいや。数刻前の記憶さえもあやふやだけれどもう思い出す必要はない。まるで神経がブチブチと千切れてるかのように痛み、もう終焉はそこまで来てるのだと悟る。
痛みにまどろみ布団を引き上げようとして、ふと手に握りしめてるものに気付き開いてみる。白い錠剤だった。自らの意図を汲む。最後の錠剤を飲み下すと意識が冴えわたった。最期の最後に、壊れていた記憶のピースが繋がる。


「ねぇ手繋いで?」

甘えた声でささやくとアルファロは大きな手で握ってくれた。温かくて優しい力強い手の平。あの時からずっとずっとこの手は繋がれてる。
でもこの繋がりももう終わり。あの日無様に生き残った燃え滓がようやく終われる。本当に…無様な300年だった。何かを成すことも残すものもなく、正しく愛すことも愛されることもなかった。本当に、本当に、本当に…。何故あの崖に一人で身を投げられなかったのかと悔やんでも悔やみきれない。アルファロを巻き添えにしてここまで付き合わせてしまった。あの崖で、いやあの炎で、いやもっとその前に。出来損ない!と女にぶたれる。お前なんか産まれてこなければという声に頷く。その通りだった。無様で無意味で無価値な生だった。許してなんて言えないけど、もうこの世からいなくなるんだから忘れて生きて欲しい。いっそ私のことなんて忘れて生きて。300年を無駄に消費させてしまってごめんなさい。これからはボスと、そして素敵な恋人とか見つけて幸せに生きて欲しい。

「あの日の約束は守れてますか?」

ぽつりと零された言葉に視線でアルファロをとらえる。ぎゅっと手を握られ、あの崖での約束だと察した。
人間界で生きてくことに絶望しグルメ界へ身を投げようとしたあの日、アルファロは追いかけて、引き留めて、抱きしめてくれた。「一人で逝かせない」と「この手を離さない」と「最期まで一緒にいる」と言ってくれた。この繋がれた手だけじゃないアルファロは全部を守ってくれた。

「この手はあの日からずっと繋がれててあたたかいよ」
「…良かった」
「とっくに忘れられてると思った」
「コカロの願いを忘れるはずありません」
「そう……」

なら もうなにも怖くないね。優しい嘘に手を握り返したかったけど指は動いてくれなかった。頭の神経が焼き切れるかのように痛み視界が霞む。四肢の末端から死の訪れを感じる。ああ、終わる。終わるのかぁ。不思議と嬉しいとも悲しいとも思わなかった。

「今までありがとう アルファロ」

アルファロとボスと過ごせた日々は幸せだったけど恋が叶わず何度も死を願っていた。美食會に来る前もこんな身体で生きたくないと思ってた。火事で無様に生き残った燃え滓がようやく終われる。焼け爛れ骨にも灰にもなれなかったこの身体が。

「私のことなんか忘れて 生きてね… 」

私は今きっと幸福に笑っている。だってアルファロの私がいない人生を空想するのはとても楽しい。強くて優しくて賢い素敵な人。きっと何でも出来るし何にでもなれる。私の空想以上に素敵な人生を歩むに違いない。

アルファロの幸せを描きながら目を瞑る。
全てが壊れる痛みさえ彼の幸せに繋がるのなら愛おしい。
 

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