恋心を殺す薬

漫画「失恋日記」に登場する薬のパロディです。



私とアルファロの間には透明な壁がある。
向こう側は見えるしすぐ近くまで行く事はできる。だけど手を添えても壁は冷たくて触れ合う事はできない。こっちを見てれば意思疎通は出来るのに背中を向けられたらもう声すら届かない。あちらに行きたくて、この隔たりが邪魔で、もしかして力づくで割ったら向こうに行けるかもしれない。でもそれには私もアルファロも酷く傷付くことになる。今までずっとこの壁をどうにかしたくて悩んで叩いて声を上げ続けていたけど―――

「もう 疲れちゃった」


灯りも付けず暗い部屋で茶色い小瓶を握りしめる。
なんでも、愛情をコントロールする薬が開発されたという。ストーカー対策のために開発された「過剰な恋愛感情を抑制する」薬。私はこれを飲んで、アルファロへの思いを消す。この普通ではない恋愛感情を。どこから湧き上がってくるのかこのとめどない思いを。手を開くと体温でぬるくなった小瓶の中の錠剤が見える。

「  ふ 」

私はいつまでこうしてるんだろう。とっくに日も暮れてる。これを手にするまでも沢山悩んできたのに、今更、あとは水で流し込むだけでしょ。もう考えるのも疲れたのにこの期に及んでまだアルファロへの思いを捨てきれずにいる。捨てられなかった結果が私というモンスターを生んだ。
気持ちがすれ違うたびに荒れて、他の女性と話してるだけで癇癪を起して。泣いて 縋って 怒って 壊して 傷付けて 傷付けて 傷付いて。本当に散々な事ばかりした。

「また 考え事 もう いい加減に」

だから今度は捨てるんじゃなくて消す。自分ひとりではこの感情を殺しきることは出来ないから。
やっとの思いで小さな蓋をひねり狭い瓶の中から解放した。たった一粒の錠剤を手の平で転がしてまたもためらってしまう。

「……アルファロ」

今どうしようもなくアルファロに会いたい。この気持ちがなくなる前に一目だけ。
そんな考えが浮かんで振り払うように頭を振った。その拍子に潤んだ瞳から涙が散る。だから、だからそういう所が駄目なんだってば!もう決めた!諦めることを覚悟した! 錠剤を握りしめながら泣き出して本当はこんなもの投げ出してしまいたかった。ぐずぐずに鼻を鳴らして切なさと諦観と未練でごちゃ混ぜになり、またうじうじと考えてようやく妥協点を見つけた。
一言、アルファロに言葉を残すだけなら許されるよね。それだけ。もうそれで今度こそ飲むから。でも、やっぱり

「忘れたくなんてない…!」


◇◇◇


その言葉に胸が騒いだ。
たった一言だけの録音はまるですべての終わりを告げるようで悲痛に震えていた。恐らく深夜に残したと思われるメッセージを早朝に受け取り、間に合わない予感がしながら扉を強く叩いた。返答はない。もう一度焦りをにじませながら叩くも扉の向こうに気配はなく、存在を忘れていた合鍵を使った。解錠した扉を勢いよく開き彼女の姿を探す。
名前を呼ぼうとしたがその瞬間視界に映ったコカロに息が止まった。

「コカロ!」

ソファに横たわり胸の上に両手を組み瞼を閉ざした姿はまるで棺に納められる姿。心臓が嫌な音を立て頭にはあのメッセージがよぎった。まさか、そんな。脳を揺さぶられるような衝撃に呼吸や脈を確認する余裕もなく肩を揺すぶっていた。「コカロ!」両肩を強く掴み揺すると「う、」と僅かに表情が変わる。反応があった。一瞬身が強張り、遅れて呼吸を確認すると浅いが穏やかな吐息が手の平に当たり、ようやく生きている実感を得た。なんとも紛らわしい格好だが眠っているだけのようだった。深く安堵の息を吐き、今度は起こすために肩を揺らし名前を呼ぶ。
すると急に意識が覚醒したのか目をカッと見開きコカロは飛び起きた。

「えっうそ!何時?いま何時!?」
「4時ですが、コカロ、」
「うわ、どうしよお風呂入ってない!アルファロ起こしてくれてありがとう!今準備するから!」
「コカロ、大丈夫なんですか?」
「超急いでも遅れそう!」
「そうではなくて」

慌てて動き出すコカロの前に立ちふさがり引き留める。確かに遅れてしまえばボスの朝食に支障をきたすかもしれませんが、今こちらの問題を放置することも出来ない。コカロは時折想像も出来ない突拍子もないことをするから。目を覚ました瞬間に気付いた真っ赤に腫れた瞼と充血した瞳を見つめそっと触れる。

「泣いたんですか?真っ赤ですよ」
「あ、……」
「…昨晩のメッセージは覚えてますね?あれはどうしたんですか?」

きっと大泣きした事とあのメッセージは無関係ではない。昨晩何があったのか、また酷い事を言われたのか、答えを待つとコカロは思い出した表情になり、でも首を傾げて考えわたしを見上げてはまた首を捻った。答えが出るまで辛抱強く待っているとコカロは悩ましい表情から次第に笑顔に変わっていく。

「なんか身体が軽い!憑きものが落ちたみたい!」
「それはどういう…」
「あはは!深刻に考えちゃったけど案外普通の薬だったのかも。なんだっけ、プラシーボ効果?」
「薬?なんの薬ですか?」
「…ナイショ!」

何かがあったはずなのに、コカロは不思議なほど晴れやかに笑っていた。こんなに無邪気に翳りもなく笑っているのは久しぶりな気がして問い詰めようとした気持ちが緩やかに鎮まっていく。するりと自分の手からすり抜けていったコカロはてきぱきと朝の準備を始め荷物をまとめるとバスルームに消えようとする。何ともないなら。あんなに輝かしく笑っているなら大丈夫なのでは。疑問にそう答えを出すと「なんかね、」とコカロは振り向いた。

「生まれ変わった気分。てっきり全部忘れちゃうのかと思ったけど違うみたい。なんて言うか…アルファロが素敵な恋人を見つけたとしても笑って送り出せる、そんな感じ」
「コカロ……」

じゃあ後でね、とコカロは消えていく。
その後ろ姿さえも清々しくとても良い事のようで、小さなわだかまりを残した。

(壁を叩くのはもう終わり。わたしはもう壁を気にせずに済む方法を選ぶ)


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