▼ 2018 01.23「朝陽を望めば」

 
冷たい風が頬に当たる感覚がする。
頬だけではない、髪が巻き上がり身体にも容赦なく当たる風に身震いし少女は薄らと目を開けた。目にも突風が吹き思わず目を瞑るが一瞬見えた青色に疑問を持ち、意を決して両のまなこを開いた。
視界に広がるのは晴天の青空。青い空と白い雲のコントラストがあまりに鮮やかで少女は見とれてしまうがやはり不思議に思う。自分の眼前に広がるべきは狭い岩と木目の部屋であってこんな目が潰れそうな鮮やかな場所ではない。身体に当たる風と急速に流れる雲に自分の身体はなにかとてつもない速さで動いているらしい。もちろん自らの意思で動いているわけではない。

──ここは何処だろう?

上半身を持ち上げようとしたが身体は鉛のように重く呻き声が漏れただけでぴくりとも動かなかった。諦めた溜め息を吐くと風にもかき消されぬ声が耳に飛び込んだ。

「やぁ 目が覚めたかい?さっきは急に倒れたから驚いたよ」

快活とした声に漠然と若い男性だと思う。
なんとか右側を向くと肩越しに振り返りこちらを見ている男性が笑みを作った。手元では何かを動かしていてその通りに風の向きが変わる気がした。そこでようやく少女は男性が動かす乗り物に乗っているのだと気付いた。全くの未知の乗り物に思いを馳せていると話し続けている男性は自己紹介をしていたようだった。少女は聞き逃してしまったが声を出すこともままならない。

「もうすぐで着くぞ!あそこが私の洞府!青峰山・紫陽洞だ!」

男性の向こうに浮かんだ岩山が見える。目的地はあそこのようで男はまた手元のものを動かし乗り物を降下させた。
少女には何故自分がここにいるか男性の名すら分からなかったが、シヨードーという場所だけは理解し再び眠りにつこうとしていた。重い瞼は青空を覆っていきやがて暗闇へと帰す。

少女は懇々と眠りにつき、目覚めるのは丸二日後となる。


***


少女が眠ったことに気付かない男は上機嫌だった。男──少女が聞き逃した名は清虚道徳真君という──は崑崙山をまとめる十二仙の一人である。
彼は人間界で思いがけずして見つけた仙人骨を持つ少女をスカウトでき、喜び勇んで自らの洞府に帰ってきていた。本来ならばすぐさま教主である元始天尊の元へ連れていくべきだが、人間界から持ち出した荷物を置き、ついでに眠ってしまった少女が起きてからでも遅くないだろうと思った。少女も今起きたようだし手早くすませようと乗り物──黄巾力士を洞府に着陸させて荷物をまとめ上げる。少女にも来るよう声をかけるが返事は返ってこない。起き上がる様子もない。

「おーい、また寝たのか?」

後部座席を覗き込みと最初に寝かせた体勢のまま深く瞼を落としていた。道徳真君は仕方なく荷物を一度置き少女の肩を揺する。それでも起きない。不思議に思い頬を軽く叩くが反応は返ってこなかった。
そこで、ようやく、少々鈍い仙人は少女の異変に気付いた。華奢ではすまない体躯は貧しい農村では珍しいものでなかったが加えてこの状態である。慌ててグローブを外し鼻の下に手をかざすとごく浅い息があたった。脈を確認すると今度こそ明白な状態異常を感じ取れる。

「た、大変だーー!?」

眠たいのだと思った少女は「虫の息」だったのである。
遅れた優しさだが風で冷えたらしい身体に上着を被せ清虚道徳真君は再び黄巾力士を発進させた。今度向かう先は己の同期であり生物学を勤しむ友人──雲中子の元まで最高速度で飛ばした。


***


「まぁ命は助かるよ」

虫の息だった少女に適切な処置を施した雲中子は簡潔に述べた。それを聞いた道徳は安堵から深く息を吐き出しその場に崩れた。連れてきた仙人骨の少女をその日に死なせたとあっては一生罪を感じていただろう。

「あと半日遅かったら死んでただろうねぇ」
「ぞっとすること言うなよ!」
「事実だよ。ところでこの子はどこにいたって?」
「うん?山奥の小さな小屋だったが?里から離れていたが両親はいたんだろうか…」

急に連れてきて探していまいかと心配をしている道徳を無視しもう一度機械に繋がれた少女を見下ろす。それがただの小屋だったらどんなにいいか。
雲中子が気付いたのは少女の胸にあった焼き印。なにを示した印かまでは分からなかったが禍々しい印に良い印象はない。そもそも身体に焼き印を押す意味など限られている。これから起こるだろう問題、もしくは既に起きている問題を考え雲中子はうんざりしたように顔をしかめた。


***


懇々と眠り続ける少女が目を覚ましたのはそれから丸二日後のこと。


大量の食事を前にして少女は困惑していた。
眠りから覚めるとそばにいた医者風の人に言葉少なげに診察され、いくつか質問されたが声が出ないことに気付くと「後ででいいや」と他の男性に預けられる。確か風の中で見た男性だと思い出すと何故両手を挙げて泣いて喜んでいるのだろうと首を傾げた。

「私は清虚道徳真君!これからの君の師となる者だ。ぜひコーチと呼んでくれ!」

尊い字名に師?コーチ?疑問を持ったが声が出なくては質問も出来ず、少女は師となる者に肩を押され料理を並べられた机へと連れて行かれた。そして再び困惑するのである。

村で出される質素なご飯とは量も調理法も異なる。だが香ばしく炒められた野菜に湯気を立てている汁物に瑞々しい果実、どれも美味しそうな物ばかりで少女は密かに溢れる唾を飲み込んだ。だが同時に強烈な支配が少女を巣食い混乱させる。

「どうした食べないのか?」

優しげな声とともに隣から道徳が心配そうに顔を覗き込む。目の前の食事を促していることは明白で返事を返せないもどかしさを感じながらただただ困惑の冷や汗を流した。

「それとも嫌いな物があるのか?好き嫌いをしては大きくなれないぞ!」

見当違いの質問に少女は軋むように小さく首を振った。貧しい生活で好き嫌いなどする訳がない。道徳から視線を外し自分の反対側に座っている男──雲中子を見たが、彼は興味がないようで半身背を向けるようにして手元の紙束を凝視している。どうしようもなく少女はもう一度道徳に向き直り「食べていいの?」と口を動かす。道徳は口の動きでそれを読み取り、「もちろんだ!」と大きく頷いた。温かな空気に押され恐る恐る手を伸ばし料理を口に運ぶ。その瞬間にぱっと表情は華やぎ二口、三口と慌てるように手を動かした。
道徳は満足げに笑い、「美味いか?」と声をかけると汁物を飲んでいたお椀を下げ今までに見たことのない明るい表情で少女は何度も頷いた。

しばらくして、少女は時間をかけて全ての料理を食べ尽くした。道徳は食べきれると思っていなかったため驚いたが満腹そうに椅子に寄りかかる少女をみて良かったと呟く。

そもそも食べて生きるか拒否して死ぬかという選択で、食事を目の前にして自ら絶食を選び取れるほどの強靭な精神力は持ち合わせていなかった。少女は見た目通りの十も生きていない子供である。
───画して、少女の生涯を縛る呪いが完成した。
 

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