あなたは一人ですか?

 五時間目が始まったばかりの頃、レイとハックモンはネットの海に浮かぶある場所へと足を踏み入れていた。黒い柱が幾つも並んでそびえ立つ広大な空間では、ひんやりと冷たい空気が肌を刺す。見上げるほど高い天井に照明はなかったが、柱のあちこちに灯された緑と黄色の光が、この場所全体をぼんやりと照らし出していた。

「レイ」

 林立する柱の間を通る細い通路に、一歩を踏み出しかけた時だった。ハックモンの声で、レイは素早くその場から飛び退った。次の一瞬、爆発かと思うような強い衝撃が空気を揺らす。振動が収まったあとに目を開けてみれば、ついさっきまでレイの立っていた地面が三日月の形に抉り取られていた。



「このベガスモンの攻撃がかわされるなんて、超アンラッキー!」

 レイが攻撃の飛んできた方向を睨みつけたのとほとんど同時に、はるか高くから声が降り注いだ。通路の左右に位置する柱の上に、二体のアプモンが門番のように立ちはだかっている。たった今の攻撃は、左側の柱の上、カジノのディーラーのような姿のアプモンが放ったもののようだった。

 その反対側で、仮面越しの冷たい眼差しがレイたちを見下ろしていた。

「私の名はサクシモン。『サクシモン 権謀術数 お手の物』……セブンコードアプモンの存在をちらつかせれば、必ず姿を見せると思っていましたよ、桂レイ。貴方の噂は、我々の耳にも届いています。最近、リヴァイアサンのことをコソコソ嗅ぎ回っているネズミがいると」
「……なるほどね。今までのことは全部、お前が裏で糸を引いてたってわけか」

 サクシモンの明らかに自分たちを見下した態度に、レイは顔をしかめた。その口ぶりからするに、ロアモンを使って外部からのアクセスを妨害し、レイが直接学校に来るよう仕向けたのも、その口からセブンコードアプモンの存在をほのめかしたのも、全てはこのアプモンが仕組んだことのようだった。昼休みに校内を調べていた時、サクシモンたちはそれとわかるような足跡をわざと残し、レイをこの場所に誘い出したのだ。

「ま、いいさ。俺もお前らに聞きたいことがあったんだ」

 こんな奴の掌の上で踊らされていたと思うと虫唾が走るほどに不愉快だったが、レイはそれを呑み込んで口の端を吊り上げた。リヴァイアサンの手先である奴らが、レイの“探しもの”について何かを知っている可能性は高かった。

「弟は――はじめはどこにいる?」
「『問われても 答えられない こともある』……これから始末される人間が、知る必要はないでしょう」
「おびき出されてノコノコやって来たのが、運のツキよ!」

 サクシモン達に答える気がないとわかった時、ハックモンはすぐさま地面にその爪を突き立てた。周囲一帯に紫電が走り、サクシモンたちが足場にしていた柱が一瞬のうちに崩れていく。しかし、二体のアプモンは少しも慌てた様子を見せず、身軽に次の柱へと飛び移った。

「おや? そういえば、お仲間のアプリドライヴァーはどうしました?」

 サクシモンは手にしていた扇で口元を覆い、わざとらしい笑い声を立てた。

「あの子は来ないわ。だって、コイツがそうなるように仕向けたんだから」
「彼女を危険から遠ざけるため、ひとり敵地へと赴く……泣かせる話ではないですか」
「アンタたちを始末したあとで、あの子にも消えてもらうけどね!」

 その言葉を耳に入れないように、レイはただ指先を動かすことだけに神経を集中させていた。レイは奴らの次の手を割り出そうとキーボードを叩いたが、あと一歩のところでハックモンの攻撃は届かない。反対にハックモンの側にはかわしきれなかった傷跡が少しずつ、だが確実に増えていく。二対一という数の不利を差し置いても、力の差は歴然としていた。

 だから、レイはそれに気付くのが遅れた。ハックモンがベガスモンの攻撃に気を取られた隙に、サクシモンがレイの元へ近づいていることに。そして、彼自身を攻撃の射程に捉えていることに。ハックモンに名前を呼ばれたと思った時には、サクシモンが扇を地面に向かって振り下ろすのが見えた。次の瞬間には、レイは立っていることさえ難しくなり、並び立つ柱のどれかか、固い地面の上に容赦なく叩きつけられていた――はずだった。

 そうなる前に、誰かがレイの手を取って引き寄せた。そして、どこからともなく高速で飛来した白い球体が、とどめを刺そうと迫り来るサクシモンを、その攻撃ごと体当たりで吹っ飛ばしていた。

「だいたい思った通りだったね。『桂レイ 罠にかかって 大ピンチ』ってとこ?」

 霞んだ視界の中で聞こえた声は、ハックモンのものではなかった。場違いなほどに明るく、聞き慣れた響き。その声が自分の名前を呼ぶことは、もう二度とないと思っていた。自分から離れた方がきっと、彼女は幸せになれると思ったから。これ以上、何も失いたくはなかったから。だからレイは一人で戦うことを選んだ。

 その覚悟を全部台無しにするのが、月森ルカという人間だった。



「どうしてお前がここにいるんだよ」
「なんでって、えーっと、ルカたち、レイを探してて……でもどのARフィールドにいるのかわかんなかったから、とりあえず学校のメインサーバーに……って、まあ、そういう説明は後回しでいいよね」

 ルカの視線が、まっすぐにレイの両眼を捉える。その間、レイはどういうわけか、繋がれたままのルカの手を振りほどくことができずにいた。レイの手より少し小さく、暖かい手だった。ずっと昔にこの手を握り返したような記憶が、頭の隅でおぼろげに蘇った。

「ルカがここにいる理由は――」

 そして、その先に続けられたルカの言葉に、レイは今度こそどういう顔をすればいいのかわからなくなった。

「レイのことが好きだからだよ」
「……………………は?」

2019/09/21

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