異変

「えー、では、まず、出席をとります。朝井さん」
「はい」

 いつ見てもよれよれの白衣を着た理科の先生は、どこもかしこもハイテク化されたこの学校に未だ馴染めないでいるらしい。他の教科のようにカードリーダーで生徒証を読み込むのではなく、ひとりひとり名前を呼んで出席を取るやり方を採用していた。その時、自分の名前が呼ばれるまでに教室に入っていればセーフの扱いになる。ルカは校舎のどこをどう歩いたのかもよく思い出せないまま、ギリギリで理科室に滑り込んだ。

 伊藤、上原、江本、緒川……いつも通りのんびりした口調で出席番号順に名前が呼ばれていく。しかし、最初の十人を超えるか超えないかのうちに先生の顔色が変わった。

「桂くん。……桂レイくんは? いませんか?」

 今日は出席しているはずのレイの姿が見当たらないので、先生は困った顔で白髪頭を掻いた。その時、教室の何人かがちらちらと自分の方を振り返る気配を感じたルカは、仕方なく手をあげて発言した。

「先生。桂くんは体調が悪いので早退するそうです」
「はいはい、早退ね、わかりました。……ええと……次は……誰まで呼んだかな」
「あ、俺です、子島です」

 午前中に一度保健室に行った記録が残っているおかげか、先生はルカが咄嗟についた嘘を全く疑わなかった。だが、それでごまかすことができたのは、先生が授業中以外の教室の様子をよく知らないからだ。黙って出欠を取り終えるのを待っていたルカの耳に、隣の班の無遠慮な話し声が漏れ聞こえてきた。

「早退とか、絶対仮病に決まってるし。ってか桂レイアイツ、結局何しに学校来たわけ?」
「自分が頭イイって見せつけたかったんだろ? さっきの数学の時間とかヤバかったよな」
「ああいうの、本当やめてほしいよね。テストの問題難しくなったらどーしてくれんのって感じ」

 その会話を聞くともなしに耳にしながら、ルカは何気なく教科書とノートの角を揃えようとして、つい“手が滑って”それらを思いっきり机の上に叩きつけてしまった。その音を聞いた隣の班は一瞬にして静まり返り、白けた眼差しをルカに向けた。

 ルカはその視線を真正面から受け止めると、フッと鼻で笑って見せた。

「自分が頭悪いからって人のせいにするの、やめたら?」

 声に出してから、ルカは急に空しい気持ちになった。言い返すのも、ルカが今までそうしてきたように鈍感なふりでやり過ごすのも、根本的な解決にならないという点では同じことだ。

「……なにあれ? 別に月森さんのこと言ってるわけじゃないんですけど」

 隣の班の、一番大きな声で話していた女子はまだ続けて何か言おうとしたが、彼女は――正確には、その時理科室にいた全員は一瞬にして別のことに気を取られた。突然理科室じゅうの蛍光灯がすべて消え、暗幕カーテンの締め切られた教室が真っ暗になったのだ。

 「え、何?」「停電?」とりあえず窓の近くの席に座っていた生徒が手動でカーテンを開けていると、今度はただの停電にしてはおかしなことが次々に起こり始めた。エアコンから突然生ぬるい暴風が吹き出す。電源の入っていなかった電子黒板が急に立ち上がり、見たこともないエラーを表示したまま固まる。ただでさえ機械に弱い先生は手当たり次第にあちこちのスイッチを触ってみるものの何の解決にもならず、やがて困り果てた様子で言った。

「ちょっと、職員室に行って様子を見てきます。みなさんは、しばらく自習しててください」

 皺だらけの白衣姿が理科室を出て行った途端、溜まっていたものを爆発させたように、クラスの空気はどっと騒がしくなった。先生の目がなくなったせいでもあるが、今までに例のない状況だということもクラスの興奮度合いに拍車をかけているようだ。

 ルカはその騒ぎに加わる気はなかったが、かといって真面目に自習をする気分にもなれなかった。自分の席でただぼんやり時間が過ぎるのを待っていると、キラキラ光る、でも他の人には見えない奇妙な飛行物体がふいにルカの目の前をよぎった。ポケットの中に入れっぱなしにしていたデジタマモンのチップだ。

「……デジタマモン?」

 ルカは近くの席の子に気づかれないように小声で呼びかけたが、チップはルカの手元へ戻ってくる気配を見せない。デジタマモンは、ついてこい、と言いたげに空中で体を揺らし、わずかに開いたドアの隙間からそのまま理科室の外へ飛び去っていった。

2019/07/26

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