データでできた偽物の太陽が穏やかに凪いだ海面をきらめかせ、その向こうにはどこまでも続く水平線が広がっていた。浜辺には、現実世界のそれを模した海の家が一軒だけ建っている。アプモンの店主が店番をしている姿を何度か見かけたことがあったが、今は休業中のようでシャッターが降りていた。砂浜を歩く二人分の足音と、打ち寄せる波の音のほかに、聴覚を刺激するものは何もなかった。ついさっきまでうっとうしい喧騒の中に身を置いていたことを思うと、その静寂は耳に心地が良かった。

 学校というあの絶えず騒がしい空間の中で、レイはずっと一人だった。神はレイに人より優れた頭脳を与えはしたが、それが子どもの社会の中で役に立つものだとは限らなかった。並外れて突出した才能は周囲に理解されず、同年代の子どもたちからは何を考えているのかわからないと言われて仲間はずれに遭い、大人たちは揃って「非常に優秀なお子さんなんですけど、ね」と苦笑いを浮かべるだけだった。だからレイは家にあったパソコンを遊び相手の代わりに使うことを覚え、それにのめり込んでいった。

 そうしてパソコンの画面のみを相手にし続け、教室では孤立していたレイのことを、輪の中に溶け込ませようとするおせっかいな人間――それは熱血気取りの教師だったり、優等生ぶったクラスメートだったりした――が、現れることもあった。でも、そういう人間に限って、レイを自分の思い通りに動かすことができないとわかると、すぐに目の前から去っていった。彼らは、彼ら自身の身勝手な正義感を満足させるために自分を利用したがるだけであって、誰もレイの姿を正面から見ようとはしなかったのだ。

(桂くんっていうの? わたし、月森ルカ。よろしくね)

 月森ルカも、最初はそういう連中の一人だと思った。小学校三年のときレイのクラスにやって来た、季節外れの転入生。デザイン性を重視するあまり実用性に乏しいキラキラした文房具を持ち歩き、休み時間のたびに似たようなクラスメートとの中身のないお喋りに一喜一憂するような、どこにでもいる女の子。そういう普通の人間こそ、レイとは正反対で、できれば関わりたくない人種だった。

 その認識が間違っていることに気づいたのは、いつ頃だっただろうか。覚えているのは、レイに話しかけてくる人間の中でルカが一番しつこかったということと、彼女はそこにいるレイに気まぐれに声をかけるだけで、集団の中に取り込もうとするような無駄な努力は一切しなかったということだ。

 変な奴、だと思った。でも、気がついた時には、その変な奴が隣にいることが当たり前になっていた。そういう相手のことを、友達と呼んでもいいと思った。ルカはレイの初めての友達で、弟とは少し違った意味で、レイにとっての特別だった。だから、いつまでも一緒にいられたらいいと思っていた。

 それが叶わないと悟ったのは、“あの日”のことだった。

(お兄ちゃん……助けて!)

 手を伸ばしても届かない何処かへと連れ去られた弟――はじめを救い出すためなら、どんなことでもすると誓った。それは、光の届かない場所へ沈んでいくことと同じ行為だ。伸ばした指の先すら見えないような暗闇に、ルカを連れて行くことはできない。

 だから遠ざけようとした。そうして後に残ったものは、吐き気のするような気分の悪さだ。

 ネットの海は、その外見が現実世界の海に似ていることからそう呼ばれているが、その海水は細かなデータの粒子でできている。だから、中に入っても制服が濡れる心配をする必要はない。でも、たとえこれが本物の海の水だったとしても、レイはそこに足を踏み入れることを躊躇しなかっただろう。再びこれを着る日のことは、今は考えられなかったからだ。

「レイ」

 レイがデータの粒子の中に片足を沈めかけた時、ふいに、隣を歩くハックモンが口を開いた。

「これで良かったのか?」
「……何が」

 レイは振り返ることはせず、もう一方の足を進めた。ネットの海の水は、もうすでにレイの膝のあたりまで届こうとしていた。

「落ち込んでいるように見えた」
「俺が? 冗談だろ」

 ハックモンが何を思ってそんなことを言ってきたのか、レイはその意味を考えないようにしながら答えた。ハックモンは、それきり何も言わずについてきた。ハックモンとは、リヴァイアサンを追うという目的が一致したから一緒にいる。それで十分だった。

 大事なものほど、レイの手から零れ落ちていく。はじめも――レイたち兄弟の、母親もそうだった。最初から何も持っていなければ、失うこともない。ただそれだけのことだ。レイは自分に言い聞かせるようにして、電脳の海の奥深くへと潜っていった。

2019/07/13

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