掴みかけた手

 レイが突然学校から姿を消したのも、普通の中学校生活を送るだけなら深刻な被害をもたらすわけではない“学校の七不思議”の真相を必死に解き明かそうとしているのも、すべてはリヴァイアサンに連れ去られた弟のはじめを助け出すため。ハックモンから真実を聞かされたルカは、いても立ってもいられなくなって屋上を飛び出した。それから学校中を探し回ったが、レイの姿はなかなか見つからなかった。ほんの少し目を離した隙に、ハックモンまでどこかへ行ってしまったようだ。

 今になって考えてみれば、かすかな違和感を覚えた瞬間がないとは言い切れなかった。レイたち兄弟の住む部屋の前まで行ってみても、話し声ひとつ聞こえないマンションの廊下。夜遅くに近所を通りかかっても、明かりの灯っていない窓辺。おそらく、あの時すでにあの家にはじめの姿はなく、ルカが何も知らずに学校に通ったり普通に生活している間、レイはずっとひとりでいたのだ――ハックモンと出会うまでは。

 今、レイに会って自分はどうするべきなのか、具体的なことは何も思いついていなかった。ただ、掴みかけた手を離してはいけないという衝動だけが、ルカを突き動かしていた。



「ルカちゃん、次理科室だよ。一緒に行こ」

 ひょっとしたらレイが先に戻っているかもしれないと思って教室を覗き込んだところで、さっきの子たちがルカに声をかけてきた。長い髪をサイドで一つにまとめた子と、ショートカットの小柄な子の二人組だ。

「ごめん。私ちょっと用事あるから、先行っててくれる?」

 よりによってこんな時に、と考えたのを悟られないように、ルカはにこやかな笑顔を顔に張り付けて答えた。ひと気のまばらになった教室の中を見渡したが、ここにもレイはいない。そのまま立ち去ろうとしたルカに、髪の長い方の子が遠慮がちに尋ねてきた。

「あ……もしかして、誰か探してるの? ……桂くん?」
「うん、どっかで見かけなかった?」

 ルカがそう尋ねた途端、二人組は互いにばつの悪そうな顔を見合わせた。そして、教室から離れようとするルカの行く手を阻むように立ち塞がった。

「あの……別にルカちゃんが気を遣わなくても良いんじゃない?」
「え、なんの話?」

 ルカは、彼女の遠回しな言い方にわざと知らないふりをした。その様子を見たもうひとりが呆れたように肩をすくめ、低い声で囁く。

「桂レイのことだよ」

 ――そういえばさー、桂レイってなんで学校来なくなったの?
 ――月森さんってあの人と仲良いの? いつもプリントとか持ってってあげてる・・・・よね
 ――へぇ、あれが噂の“天才くん”?

 ルカの頭の中で、今まで聞いてきたクラスメートの声が次々に蘇った。クラスのみんなが“桂レイ”のことをどういう目で見ているか、ルカも気づいていないわけではなかった。

「今朝、遅刻して田中先生に怒られてたのだって、ほんとは桂くんのせいなんでしょ? ルカちゃんがちゃんと正門に間に合ってるとこ、教室の窓から見えてたよ」
「あれは別にレイのせいってわけじゃ……」
「とにかく、あいつのことはもう放っておきなよ。でないと、あんたまで――」

 二人組は不自然に言葉を途切れさせ、焦った様子で顔を見合わせた。ルカたちがいるのと反対側の扉から、レイが教室に入ってくるところだった。

「あ、じゃあ、私たち……先に行ってるね」

 二人組が気まずそうに言う声が、遠くに聞こえた。



 次の時間も授業に出るつもりがあるならそろそろ理科室へ向かった方がいい時間だったが、レイは一向に教室から動き出す気配がなかった。教室に置いてあるクラス共有の端末を使って、何かを調べているようだ。他のクラスメートが全員出て行ったことを確認して、何度か呼吸を整えてから、ルカは意を決して口を開いた。

「あの……聞きたいことがあるんだけど」
「……何」

、ルカが近づくと、レイはタブレットを置いて顔を上げた。

「……本当なの? はじめのこと」
「どうしてお前がそれを知ってる!?」

 普段は滅多に声を荒らげることのないレイが突然激昂したので、ルカは思わず身を縮ませた。今にもルカに詰め寄ろうとするレイを制したのは、実体化せずに空中を漂うハックモンのアプモンチップだった。自分の鼻先でぴたりと止まった相棒の姿に、レイは眉を寄せて尋ねた。

「ハックモン……お前が喋ったのか?」

 ハックモンは何も言わなかったが、今の行動がすでにその答えになっていた。諦めて、先に視線を逸らしたのはレイの方だった。レイは近くの壁に背中を預けてため息をつき、余計なことしやがって、と吐き捨てるように呟いた。

「そんなことになってるなんて、全然知らなかった……」
「お前に話したところで、何ができた訳でもないだろ」

 何を言っていいのかさえわからず、ただこぼれ落ちたルカの言葉を、レイは冷たくはね退けた。レイの言うことは、きっと正しい。今の自分が何を言っても、それは根拠のない、安易な同情にしかならない。レイが必要としているのは、そういうものではないとわかっていた。それでもルカは、必死に次の言葉を探そうとした。今まで自分だけが何も知らず、教室での立場ばかりを気にしてのうのうと過ごしていたことが悔しかった。

「……だから、お前とは関わりたくなかったんだ」

 レイは、そんなルカの姿を視界に入れまいとするように背を向けた。

「お前は昔から、大した考えもないくせに、俺のすることに何でも首を突っ込みたがる……そういう奴を、役立たずの足手まといって呼ぶんだよ。俺にはそんな仲間ともだちなんて必要ない」

 その口調はさっきまでと変わって静かなものだったが、だからこそより鋭くルカの心に突き刺さった。勢いにまかせた発言ではなく、レイが本気でルカを拒絶していることが伝わってきたからだ。ルカにとってレイは友達で、だから彼の助けになりたいと思っていた。だけど、その気持ち自体がルカの一方通行の思い上がりに過ぎなかったのだと、真正面から突き付けられてしまったからだ。

「……わかったら、とっとと“お友達”のところへ戻れよ。お前の顔なんか見たくもないね」

 その言葉を最後に、レイの姿は一瞬にしてルカの前からかき消えた。おそらくARフィールドへ移動したのだろうと予想はついたが、ルカにはその背中を追いかけることができなかった。

 一度は掴みかけた手を、離してはいけないと思った。しかしその手は、他でもないレイによって、たやすく振りほどかれてしまった。

2019/06/30

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