「お兄さま」

「どうしました、サラ」


私と彼が敬語を使って会話をするようになったのはいつからだったか。嗚呼、確かシリウスがこの家から出ていった日からだった気がする。あの日から、レギュラスは誰の心からも離れて行ってしまったように思える。あの日以来私もレギュラスを「お兄さま」と呼ぶように心掛けた。壁を作られたことに酷く動揺もしたが、勘当された長男の騒ぎでお母さまの気が立っていたというのもあって、その事実を半ば無理矢理呑み込んだ。そして私もレギュラス同様に、ブラック家の人間として家内でも礼儀正しく振る舞った。昔は堅苦しい敬語も使わず、共に声を上げ、口も大きく開けて笑い合っていたのに、今ではそれも叶わない。


お母さまは、シリウスが居なくなってしまってからレギュラスに過度な期待を寄せるようになった。そしてそんな両親を悲しませまいとそれに必死に応えるべく頑張っているレギュラス。妹である私に不甲斐ない姿を見せまいと誰よりも努力しているレギュラス。その背中は時折見ていてすごく痛々しく寂しそうで、つい目を背けたくなる。


「お兄さま、どうか私の傍から居なくならないでください」


残酷だと思った。本当はレギュラスだってシリウスのように逃げてしまいたいと願ったこともあるはずだ。
私だったら堪えられない。日々重苦しくなってゆく重圧に塞ぎ込んでしまうだろう。
そうとわかっているのに、私はレギュラスに居て欲しいと縋る。傍に居たいと祈る。心の隅では辛い思いをして欲しくないと思っているのに、それとは真逆のことばかりを望む自分がいる。なんて薄情で我儘で出来の悪い妹なのでしょう。


それでもレギュラスはいつも優しく私に微笑んでくれる。だけどそれもきっと無理に強いられているものであって、心の底から笑っているのではないと思うと、心臓はナイフが刺さったみたいに痛くなり彼を苦しめているのは自分なんだと思うとどうしようもなく死にたくなる。
汚い感情と真っ赤な液体がぐちゃぐちゃに混ざってどろどろになり体内を巡っていった。



「当たり前です。可愛い妹のサラを置き去りになんて出来ません」


。私はレギュラスが死喰い人になろうとしていることを知っている。そのために難しそうな本をたくさん読んでいることも知っている。ヴォルデモートを盲目的に崇拝していることも知っている。この間も一日中自分の部屋に閉じ籠り闇の魔術を勉強してそのまま寝転けてしまったことだって、私は知っているのだ。


私はブラック家という純血主義の家柄の末子だけれど、レギュラスを何処かに連れていってしまう闇の魔術を疎ましく思っている。周りの人に恐れられているヴォルデモートなど、更に憎らしい。これはレギュラスにもお父さまからもらったお気に入りの梟にも言っていないことだ。シリウスのように、純血主義の名家であり王家とも謳われている血縁者である私までもがこんな思想を抱いていると知られたら、今度こそこの家は終わりだ。


それに加え、“あちら側”をいくら死ぬ程嫌っているといっても、私が兎や角出来るわけではなく。私ような小娘がヴォルデモートに反抗しても、死の呪いの“ア”の字も耳に届かぬ内に殺されてしまうだろう。いとも容易く、とはまさにこのこと。結局の所、サラという人間はブラック家という看板に守ってもらうことしか出来ない実に脆弱な子供なのだ。


「サラ」

「はい、お兄さま」


柔らかい声色で名前を呼ばれ、透き通るグレーの瞳を覗き込む。硝子で出来た、マグル製の珠を連想させるほど美しいその眼は私の姿だけを映していた。


「ずっと一緒ですよ」


レギュラスの薄くて上品な唇が永久を約束する言葉を紡いだ。そうしてゆるゆると口許を緩めて私の背中へと腕を回し、引き寄せる。私と同じ漆黒の髪から仄かな洗髪剤がふわりと辺りに香った。


ふふ、「ずっと一緒」なんてラブロマンスで使い古された台詞で私を宥めてくれる貴方は、本当に誰よりも優しくて宇宙で一番愛しい人ね。


20130925
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