昔、犬を飼いたいと駄々をこねたわたしに、優しい兄は真っ白な子犬のぬいぐるみをわたしにくれました。「こんにちは、サラちゃん!」裏声を使ってそう言った兄に、わたしはそれ以上なにかを求める気にもなれず、「わんちゃん、こんにちは」と兄の優しさを素直に受け入れました。それからというもの、兄はわたしが泣く度に子犬のぬいぐるみを取り出して「泣かないで、サラちゃん」「元気出して」「大丈夫だよ」と慰めてくれるのです。そんな兄のことを、たとえ実の兄妹であろうとも、好きにならないはずがありませんでした。


 兄、ジェームズとわたしは双子でしたが、明るくて人気者のジェームズと引っ込み思案で友達の少ないわたしは本当に双子なのかと疑われるほど似ていませんでした。わたしも、本当は兄妹じゃなかったらいいのにと、何度も何度も願いました。しかし一つだけ、瞳だけはわたしとジェームズはそっくりで、鏡を見る度に兄に見つめられているようで、うれしさとかなしさの両方で感情がぐちゃぐちゃになりました。
 ホグワーツに入学したあとも、ジェームズはわたしを慰めるときにあのぬいぐるみを使いました。「もうおねえさんだろ、泣くな、サラ!」もう裏声は使ってません。この犬だって成長するんだから、とジェームズは言っていました。わたしがこうやって慰めてもらうために、ジェームズに見つかる場所でしくしくと泣いていることを、彼は知りません。
 時が経ち、わたしたちが六年生になったころ、ジェームズはわたしにある相談をしてきました。


「エバンズのことを本気で好きになってしまったんだ。女の子って、どんなことをしたら喜んでくれるんだろう」


 恥ずかしそうに少し頬を赤らめる、こんなジェームズをわたしは知りません。だってわたしは、彼にとってはただの妹だから。こんな表情、兄が妹に向けてするものじゃない。好きな人を想って自然とそうなってしまうような、すてきな表情。リリーが羨ましい。ううん、妬ましい。いつかこうなることをわたしは分かっていました。きっといつか、ジェームズはリリーのことを本気で好きになってしまう。


「子犬の、ぬいぐるみ」
「え?ああ、あれがどうしたの?」
「裏声使って『ジェームズくんはリリーちゃんのことが大好きでたまらないんだ』なんて言ってみたら……女の子って、そういうのがすきでしょ?」
「さすがに、喜ぶ歳じゃないだろ」


 わたしの精一杯の答えは笑われてしまいました。そう、これでいい。わたしの答えなんかあてにならないんだから、ろくな返事をしてあげられないのだから、もうわたしにそんな相談なんてしないで。シリウスでも、リーマスでも、ピーターでもいい。ほかの仲のいい人に相談して。わたしにそんなあなたを見せないで。


「でも、わたしは好きだよ」
「あのぬいぐるみ?」
「うん。ジェームズがああやって慰めてくれたから、わたしは泣き虫になったんだ」


 こっそり。ふざけるように、本当の話をした。


 それから。七年に上がって、ジェームズはリリーと付き合うことになって、毎日毎日、わたしにリリーの話を聞かせてくれて。十七年間、わたしとずっと一緒にいたのにわたしの話をするときはそんな表情一度もしてくれなかったのに、どうしてリリーの話をするときだけそんなに幸せそうなの?どうしてわたしじゃだめなの?妹じゃなかかったらわたしを好きになってくれたの?考えても、どうせ無駄なこと。
 卒業してすぐに二人は結婚することになりました。もちろんわたしも式に呼ばれます。嫌で嫌で、たまりませんでした。大好きなジェームズがわたし以外の人と一緒に歩くところを見るなんて正気でいられる気がしませんでした。でも、ジェームズを悲しませるわけにもいかなくて、わたしに行く以外の選択肢は用意されていませんでした。バッグの中にあのぬいぐるみを入れて、いつも以上に素敵な笑顔を浮かべる兄のもとへ向かいました。


「ジェームズ、おめでとう」
「ありがとう!サラに祝ってもらえて、本当にうれしいよ」
「わたしも、ジェームズの幸せそうな顔が見れて、とっても嬉しい」
「はは……照れるな」
「にやけ顔。リリーにだらしないって怒られるよ。まぁ、今日はリリーもそんなかんじなんだろうけど」


 思った以上に上手く普通のサラを演じることができている。これならきっと、大丈夫。


「あ、それ……」
「ん?」
「ぬいぐるみ」
「ああ、出てきちゃってたんだね。子供っぽいなんて言われるかも」
「まだ、持ってたんだね」
「うん。だって、この子がいる限り、ジェームズはわたしを泣き止ませるために駆けつけてくれるでしょ?かわいいサラちゃん、泣き止んで、なんて言ってさ」
「もしかしてサラ、僕に子犬ごっこをやらせるために泣いていたのかい!?」
「そうだって、前にも言ったでしょ」
「あーあ。僕の妹はいつからこんな子に……」
「優しいお兄ちゃんがこのぬいぐるみをわたしにくれたあの日から、わたしはずっと――」


 ずっと、ずっと、ずっと。あなたのことが


「わたしはずっと、悪い子だったよ」


 好きでした、なんてやっぱり言えないよ。


「あはは。全部嘘泣きだったのか。僕を騙すなんてなかなか演技派じゃないか」
「そうでしょ。今からでも泣けるよ」
「やめてくれよ」
「……ねえ。これで最後にするからさ」
「なに?」
「最後にもう一度だけ、わたしだけのお兄ちゃんをリリーだけのジェームズにされちゃう妹のために、もう一度だけ、慰めてよ」


 じゃないと今から大泣きするよと脅すと、ジェームズは一瞬だけ、真面目な顔をしてからまたいつものように笑みを浮かべて「仕方ないなあ」と一言。そしてわたしのバッグからぬいぐるみを取り出した。


「サラちゃん、ありがとう」


 喉になにかつまったように息ができなくなった。目に涙が浮かぶのを、俯いて隠した。ジェームズには見えてるかもしれないけど、きっと、優しい兄は見なかったことにしてくれる。


「ありがとう、ジェームズ!」


 きっとわたし、ひどい顔をしてる。涙を流してる。それでもジェームズに負けないくらい素敵な笑顔を見せたくて、無理して笑顔を作ってる。ごめんなさい。ジェームズの、人生で一番素敵な日を、わたしの涙で汚してしまったかもしれない。だけどこれで全部終わりだから。
 ぬいぐるみを返してもらわないまま、わたしはジェームズに背を向け歩き出した。



20130914
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