亜空の使者2
癒やし手の決意 [4/6]

荒廃した動物園から脱出したセルシュ達は、戦艦とレッドのリザードンが飛び去った東を目指して進む。
特に襲撃される事も無くスムーズな移動だが、荒野を北の方角に望む高台を歩むうちに日が暮れて来た。


「リュカ君、レッド君、あまり暗くならないうちに休む場所を確保しない? 休めるうちに休んでおかないと」
「そうだね。それにしても荒野を進まなくてよかった、休む場所とか水の確保とか、絶対難しかったよ」


今セルシュ達が居る高台の道は近くに森が続き、川や池などの水場も点在するという歩き易い道。
それに加えて打ち捨てられた民家や小屋などもあり、休む場所には事欠かない。
近くに小川の流れる小屋を見付け、宿に決めた。
休めるよう3人で室内を軽く掃除していると、不意にセルシュを襲う目眩。


「あれ……?」


ぐらり、と視界が歪み、足下がふらつく。
すぐさま近くの柱に掴まってバランスを取るが、それでも視界は戻らない。
耐えられなくなり、そのまま膝をついて柱へ寄り掛かるように倒れてしまった。
近くにあった木箱にぶつかり、ガタンと鳴った音にレッドとリュカが振り向く。


「え、セルシュさん!?」
「セルシュ姉ちゃん!」


呼び掛けても反応が無い。
慌てて駆け寄り体を揺するが、起きないどころか苦しそうに魘され始めてしまう。


「セルシュ姉ちゃん、しっかりして! どうしようレッド兄、起きない…!」
「と、取り敢えずセルシュさんをどっかに寝かせよう、手伝って!」


レッドがセルシュを脇から支えるように運び、
リュカが小屋の隅にあったベッドの埃を払い、そこにセルシュを横たえた。
汗をかきながら苦しげに歪められる表情は、見てるリュカ達の方が苦しくなりそうなほど。
こんな所に体温計も薬も無いし、そもそもセルシュが一体どうしてしまったかすら分からない。


「ぼくが、セルシュ姉ちゃんに付いて来てって言ったから……。無理させちゃった? だから倒れちゃったのかもしれない……」
「リュカ、落ち着いて。セルシュさんがそんな風に自分を責めてるリュカを見たらきっと悲しむよ。……でもどうしよう、置いて行くなんてとても出来ないし、一旦城に帰るのも時間が掛かり過ぎるし……」


そもそも、こんなに具合の悪そうなセルシュを抱えて連れ帰るなど出来ない。
リザードンが居れば乗せて素早く運べたかもしれないが、今ここには……。

……そうだ、リザードンが居れば素早く運べる。


「リュカ……やっぱりここは、セルシュさんを一旦置いて行こう」
「えっ……! どうして、そんなの無理だよ!」
「でもこのまま連れて行くなんてそれこそ無理だし、こんな具合の悪そうなセルシュさんを抱えて帰るのだって無理じゃないか。リザードンを見付けて、そしたらセルシュさんを運んで一旦城へ連れ帰ろう」
「で、でも……」
「どうしても心配ならオレ一人でリザードンを探しに行くから、リュカはセルシュさんの傍に居てやって」


まさかの事態に、ただ困惑しか出来ないリュカ。
セルシュの事は勿論レッドの事だって一人に出来ないのに、今はレッドの提案以外に方法が見付からない。

正直セルシュの具合が良くならない限りは、そうして二手に分かれるのが一番良い方法だろう。
しかし何故かリュカは、レッドを一人にするのがどうしても不安だった。
戦うのはポケモン達だとはいえ、彼だってファイターに登録されているのだから過剰な心配は無用の筈。
どちらかと言えば具合の悪いセルシュの傍に付いているべきだとも思う。
それでもどうしても、レッドを一人で行かせてしまったら、良くない事が起こりそうな気がしてならない。
自意識過剰かもしれないが、絶対に自分も付いて行かなければならない、と。

セルシュなら、どうして欲しいと言うだろう。
どういう選択をすれば納得してくれるだろう。

そうやってリュカが考えを巡らせた結果導き出されたのは、セルシュを置いてレッドに付いて行くという事。
リュカの嫌な予感は、時間が経つにつれどんどん膨れ上がって行く。
レッドを一人にしてはいけない、自意識過剰だと思われたっていい。
きっとセルシュだって、レッドを一人にして彼に何かあったら後悔するだろう。
悔やんで悔やんで、二人して自責の念に囚われてしまう事は容易に想像できた。

セルシュに何かあったらリュカやレッドも自責の念に囚われるかもしれないが、セルシュにまで背負わせてしまうよりマシだ。


「レッド兄ちゃん、ぼくも一緒に行くよ」
「いいのか? 別にオレは一人でも大丈夫だよ、セルシュさんに付いてた方が……」
「セルシュ姉ちゃんならきっと、レッド兄に付いて行って欲しがると思うから」
「……そっか。じゃあ取り敢えず、何か容器を見付けて近くの小川へ水を汲みに行こう。森で何か食べられる物も探して置いておけば、少しはセルシュさんも安心できるだろうし」


レッドの提案にリュカも頷いて、壊れていない容器を探し出し小屋を後にする。
勿論二人とも、セルシュを一人にして心配にならない訳など無い。
それでも大事な仲間が危機に陥り、亜空軍なんて危険な連中が闊歩している現状、こうするしかないだけ。
それに、きっとセルシュなら分かってくれる、納得してくれると確信があった。
セルシュの優しさを、献身的な心を、リュカもレッドも重々承知だから。

状況は、刻一刻と悪くなりつつあった。


++++++++


目が覚めた。

いや、それはきっと正確な表現ではないだろう。
何故なら今セルシュは、真っ黒な空間に居るから。
どこまでも続く暗闇の中、何故か自分の体だけは はっきり目視できる。
具合が悪くなって倒れた所までは覚えている。

自分が居たのは打ち捨てられた小屋、間違いなくこんな所に居なかった。
自分は目が覚めたのではなく夢でも見ているのだろうとセルシュは思ったが、にしては感覚がハッキリしていて、まるで現実のよう。


「ここ、どこ……? リュカ君、レッド君、二人とも居ないの!?」


出来るだけ大きな声を上げても、何も無い空間に反響し消えて行くだけ。
恐くなってしまい、思わずその場にしゃがみ込んだ。
……その瞬間、セルシュに降って来る声。


「いらっしゃーい」
「!?」


意外なほど近くから聞こえた声にハッとして視線を上げると、そこには人が。
流れるような銀の長髪に金の瞳、黒のスーツを纏い、容姿や声は美しいが中性的で性別の判断がつかない。
セルシュは腰を抜かしたように尻餅をついた。
間違いなく声が降って来る今の今まで、セルシュの周りには誰も居なかったのに。
この人物がいつ、どこから来たのかさっぱり分からず、更に恐怖が湧き上がる。

……が、改めて考えれば見た目は人だし、この何も無い黒い空間に一人ぼっちよりは遥かにマシだ。
この人物はにこにこと笑んでおり、少なくとも敵意は感じない。
セルシュは姿勢を正すと、その人物に話し掛ける。


「あの、あなたは……。あ、初めまして、わたしはセルシュといいます。自分がどうしてここに居るのか、分からないんです」
「おお! 出会ってまず挨拶してくれたのは、キミが初めてかもしれないよ。礼儀正しいんだねぇ」
「え、え? ……どうも」
「僕はセレナーデ。セレナって呼んでくれていいよ。で、ここがどこかは気にしなくていい。それより重大な事をキミに教えたいんだけど」
「重大な事……?」


いきなり現れて、セルシュの反応を気にせず一方的に喋るセレナーデ。
しかしこの人にしてみれば、セルシュの方がいきなり現れたのかもしれない。
そう思うと強気に出れず、どうにも戸惑いが浮かんで上手く対応できなかった。
それにしても重大な事とは一体 何なのだろうか。
この空間についてか、セレナーデについてか、まさかセルシュ自身の事か。


「何ですか、重大な事って……わたしについてですか?」
「うん、キミについて。まず話す前に意思確認をしておきたいんだけど」


セレナーデがそう言った次の瞬間、いきなりセルシュの視界が変化した。
真っ黒な空間ではない、緑あふれる中の、遺跡の入り口のような場所。
セレナーデも居なくなっており、今までの事が現実だったのか分からない。
……いや、そもそも。


「(もし夢だったとしても、一体どこから?)」


打ち捨てられた小屋で倒れた筈なのに、またも全く違う場所に居る自分。
まさか倒れた所から夢だったのか……にしても、こんな場所に覚えは無い。
自分の身に何が起きているのかサッパリ分からず混乱していると、背後から聞き慣れた少年達の声。


「え、セルシュさん!?」
「どうしてここに……」


レッドとリュカだ。
セルシュも二人も驚いた顔をしていて、互いの状況説明が不可欠なよう。
セルシュは、夢かどうか分からない不思議な空間とセレナーデの事、気付いたらここに居たと話す。
対して二人は事情を説明し、悪いと思ったが置いて来たと説明した。


「セルシュ姉ちゃん、ごめんなさい。どうしても他に方法が思い付かなくて…」
「気にしないで。むしろ、その決断をしてくれて良かったよ。ところで、ここって一体どこなの?」
「昨日休んだ小屋から更に北東だよ。オレのリザードンが、この遺跡へ飛んで行ったのを見たんだ」
「じゃあレッド君のリザードンは中に居るのね。早速行きましょう」
「待ってセルシュさん、具合は大丈夫?」


レッドもリュカも心配そうだが、セルシュは昨日の事が嘘のように体調が良い。
気分も晴々し、むしろ倒れる前より調子が良いほど。
だから心配無いと笑って言うと、その笑顔に無理を感じなかったのだろう、二人とも受け入れてくれた。


「セルシュ姉ちゃんの回復、助かるもんね。ぼく達も頑張ってセルシュ姉ちゃんを守るから」
「うん、よろしく!」


セルシュを置いて行く決断が響いたのか、リュカの瞳が以前より強く感じる。
頼もしくなって行くリュカを見ていると、嬉しいような寂しいような複雑な気持ちにさせられたけれど。
とにかくさあ進もうとセルシュが遺跡の入り口へ一歩足を進めた瞬間、ふっと影が一つ、セルシュを覆う。
え? と思いながらセルシュが見上げたのと、レッドがセルシュを突き飛ばしたのはほぼ同時だった。


「セルシュさんっ!」
「わっ!」


勢い良くつんのめり、数歩先で倒れたセルシュ。
途端に背後から重い音、振り返ればそこには、ネスをフィギュアに変えた張本人が。


「ワリオ!?」
「ちっ、もうちょっとで邪魔なヤツを潰せたんだが!」
「冗談じゃないわ……! そんな事よりネス君を返して!」


強気な態度に苛ついたのか、ワリオはセルシュへ再び攻撃しようとする。
レッドやリュカはワリオから飛び退り、分断されてしまった……のだが、ワリオが再びセルシュを襲う前に、レッドとリュカが臨戦態勢に入った。
リュカは昨日の事を思い出したのか、手にPSIの光を宿すとワリオへ向ける。
レッドもゼニガメの入ったモンスターボールを同様に、ワリオへ。


「セルシュ姉ちゃんに手を出すな! ネス兄ちゃんだって返してもらうから!」
「調子に乗るなよガキ共、纏めてフィギュアにしてやる!」


ワリオがリュカ達に飛び掛かり、セルシュは慌てて立ち上がると少し離れた所に位置を取った。
戦えない自分がしゃしゃり出ても足手纏いなだけ。
荒廃した動物園で亜空軍と戦った時とは違う、相手は歴戦のファイターだ。
外野に甘んじながらも、大きな怪我を見逃さないよう彼らの戦いを注視する。
自分に出来るのはダメージの回復なのだから、それで役に立たなければ。


「(……あ、ゼニガメ!)」


ふと、ゼニガメがワリオの大技をもろに受け、吹っ飛ばされてしまった。
ワリオは体格の割に意外と素早い所がある。
セルシュは夢中で駆け出し、ゼニガメの元を目指した。

……が。
瞬間、レッドの焦った声が辺りに響き渡る。


「来ちゃ駄目だ!!」
「えっ……」


振り返った瞬間、大きな衝撃がセルシュを襲った。
レッドに突き飛ばされた時の比ではない、目が眩む程の強力なもの。
勢い良く吹き飛んだセルシュは、遺跡の柱に叩き付けられて脱力する。
勝ち誇った笑みのワリオが目に入り、ダメージを負ったゼニガメに気を取られていた所を狙われたのだと分かったが、遅い。

痛い、体に力が入らない。
立とうとしても膝がガクガクと震えて、体を支える役目など果たせそうにない。
回復しようにも、意識を集中しようとする度に痛みに中断され、叶わなかった。
ワリオはリュカとレッドが引き受けてくれているが、ゼニガメの動きが鈍い。
リュカもダメージを負っているようで、2vs1にも拘わらず押されている。


「(動いてよ……回復してよ、このままじゃ負けちゃう! お願いだからっ!)」


セルシュは泣きそうになりながら、何度も何度も回復の力を発動した。
痛みと衝撃に邪魔をされながらも、じわじわと体が回復して行く。

ある程度まで回復した時、ワリオの「しまった!」という声が聴こえて来た。
ハッとしてそちらを見れば、吹っ飛ばされたらしいリュカとゼニガメが、セルシュの近くへ。
しめた、と思うが早いか、セルシュはまだ回復し切ってない体を無理に立ち上がらせ、ふたりの元へ。
足が軋むような痛みと感覚、圧迫される肺は吐きそうな不快感を齎すけれど、それでも体に鞭打って進む。


「リュカ君、ゼニガメ! しっかりして!」


セルシュが二人の体に手を翳すと、暖かな光が溢れてダメージを回復する。
焦ったワリオがセルシュへ向かって来るが、間一髪、回復が終わった。
ぎりぎりで立ち上がり、セルシュに降り下ろされた拳を弾き返すリュカ。


「ゼニガメ、“たきのぼり”だ!」


怯んだワリオを見逃さず、レッドはゼニガメに指示を出す。
勢いの良い水流に打ち上げられた巨体へ、リュカが更に追撃をかました。


「PKフラッシュ!!」


リュカの体から放たれる眩い閃光。
まともに受けたワリオは凄まじい勢いで吹っ飛び、フィギュアとなって遺跡の石畳へ落下したのだった。

しん、と静まり返る。
セルシュは再び脱力してへたり込み、リュカとレッドが慌てて駆け寄った。


「セルシュ姉、大丈夫!?」
「う、うん、なんとか。逆に迷惑かけちゃったみたいだね、ごめん」
「無事で良かった……。回復してくれるのは有り難いけど、セルシュさんはまず自分の身を守ってよ。オレ達も出来る限り守るけど、今回みたいに余裕が無い事だってあるかもしれないからさ」
「そうだね……」


セルシュは戦う力が無いながらも、体力や足の速さ、ジャンプ力などはファイター達に劣らない。
しかし一方で、戦いのセンスなどは無いに等しい。
こればかりは身体能力では補えない。知識と経験がものを言うのだから。

自分が足手纏いになる事ばかりを気にしていたのは反省点だ。
リュカやレッドが無事に戦いを乗り越える確率を上げるには、セルシュの存在が必要不可欠だろう。
自分の意地や矜持、世間体などは二の次にして、リュカやレッドの無事を第一に考えなければ。


「セルシュ姉ちゃん、ひとまず完全に回復しなよ。凄い衝撃で柱にぶつかってたじゃない」
「そうさせて貰うわね。少しだけ時間ちょうだい」


今度こそ、意識を集中させて自分を回復する。
ワリオは倒れ、傍にリュカ達が居る安心から、今度は上手く全回復できた。

セルシュがダメージを回復し切った頃、遺跡の奥から何かの音が響いて来た。
それを耳にした瞬間、レッドが目の色を変える。


「今の、リザードンの鳴き声じゃないか! やっぱり遺跡の中なんだ、早く迎えに行かなくちゃ!」
「ネス兄ちゃんも、ここには居ないみたいだし……先にリザードンだね」
「そしたらフシギソウも早く探し出してあげないと。じゃあ行こうか」
「セルシュ姉ちゃん、もう大丈夫なの?」
「ええ、さっきは痛みと衝撃で回復が遅れちゃったけど、もう平気。わたしの回復能力は知ってるでしょ?」
「次は無茶しないで、自分の身を守ってね」
「はい、肝に銘じておきます」


ふざけた調子ではないものの、丁寧語ながら軽めに言って大丈夫だと示す。
レッドのリザードンを迎えに、セルシュ達は遺跡へと足を踏み入れた。


 戻る 
- ナノ -