短編夢小説
新緑に抱かれて



主人公設定:−−−−−
その他設定:オリジナルのゼル伝



++++++



ゆったりとした微睡みの最中、争いの騒音に起こされてしまうミコト。
うるさいなぁ、としぶしぶ目を開けると、緑衣を身に纏った青年が多数の魔物を相手にしている所だった。
その青年の姿に、ミコトは我が目を疑う。
彼女はかつて、あれと全く同じ格好をした青年に出会った事があるものだから。
普通なら同一人物かと思うだろうが、それは有り得ないとミコトは知っている。

青年の剣技はなかなか素晴らしいが、如何せん魔物が多い上に少し怪我を負っているようで押されている。
あのままでは危ないと思ったミコトは、青年の手助けをする事に。
精神を集中すると、己の宿る媒体に力が巡って行く。
次の瞬間、騒ぎの中心に太い木の根が飛び出して何匹もの魔物を打ち据えた。
突然の事に怯んだ魔物達の隙を逃さず、緑衣の青年が攻勢に転じる。

ミコトはもう一度精神を集中させ、青年を覆える程の光の球を発した。
その光に包まれた青年の怪我が癒え、体調が万全になった青年が更なる攻撃に転じ魔物達を圧倒。
やがて魔物達は一匹残らず消滅し、後には緑衣の青年だけが残される。


「危なかった……。でも何だったんだ? 木の根が出て来たり傷が癒えたり」
『やれやれ、助けても認識されないって虚しいなあ。すぐそこに居るのに』
「すぐそこってどこだ? 助けて貰ったお礼を言いたいし、出て来て欲しいんだけど……」
『……あれ?』


聞こえないと思って喋ったのに、何故か青年がバッチリ返事をしてしまった。
まさかの展開に焦ったミコトだが、人に声が届くのは実に数百年振りの事。
懐かしさに嬉しくなり、あっさり応答する。


『ここここ、君の後ろ』
「後ろ? 大きな木しかないけど、まさか上?」
『違う、木そのものだよ』


余りの事に青年が面食らったような顔をした。
目の前に立つ巨木をまじまじと見つめ、近寄って立派な幹に手を触れる。
そうすると、先程まで何となく籠ったような、地味に響くような声だったのが、はっきり聞こえるように。


「あ、信じてくれた」
「……木の幹の中に入ってたりする?」
「……違います。確かに入れそうな大きさだけど、私は木そのものだから」
「この木の精霊?」
「うーん、まあ似たようなものかな。私はミコト、君の名前は?」
「俺はリンク。改めて、さっきは助けてくれて有難う」


リンク。
ミコトの知る人物と年格好が似ているだけでなく、名前まで同じだとは。
この国の王女は代々同じ名を付けられると聞くが、それと似たようなものだろうか。
リンクはこのハイラル王国に仕える騎士の家の者で、王女ゼルダから魔物が増える原因の調査を命じられているらしい。
勇者扱いじゃないのかな、と、ミコトは自分の知る情報を手繰り寄せる。


「リンク、君は勇者じゃないのかい?」
「勇者? それって何百年も昔に、退魔の剣を駆使して魔王を封じた人だよな」
「うん。今の君と同じ格好をしていたし、何だかそっくりだから気になってしまってね。私の知らない間に色々と変わったのかも」
「……ミコトは、ずっとここから動けないのか?」
「そりゃあ当然。私は木だよ、動ける訳ないさ」


今、リンクは座って大樹の幹に背中を預けている。
部位は問わず、触れてさえいればミコトの声が普通に聞こえるようだ。
何となく会話が弾み、お互いの事を話し合う。


「へぇ、じゃあミコトは千年以上ここに居るんだ。退屈じゃないか? 見晴らしは良いけど……」


ミコトが居る……生えているのは高い丘の上で、周りは遮る物が無くかなり見晴らしが良い。
それでも、千年以上も同じ場所に居続けるのはとんでもなく退屈ではないのかと、リンクはミコトの心情を慮って胸を痛めた。
こうして会話できる者が殆ど居ないのであれば、尚更寂しいだろう。
そう考えているとミコトがクスリと笑い、同時に枝がさわさわと揺れた。
木の主が笑うと風も無いのに枝が揺れるのかと、リンクはぼんやり初めての知識を記憶する。


「リンク今、私の事を思って悲しんでくれたね。優しい人なんだ」
「えっ? 俺なんか言ったっけ?」
「私はこの通り、動けないから。出来ない事が多い代わりに、他の生き物に出来ない事が出来たりする」
「心が読めるんだ!」
「喜んでるとか悲しんでるとか大まかな感情と、それが向けられている相手だけしか分からないけどね」


こうして動けないミコトの気持ちを考え、胸を痛めてくれたのは二人目。
一人目は数百年前、この国を救った勇者リンク。
今、同じ格好と名をした瓜二つな青年が、同じように感情を慮ってくれた。
ミコトの脳裏に甦る、とても懐かしい思い出。
時間を見付けては訪れ、様々な土地の話や冒険談を聞かせてくれた優しい青年の笑顔が忘れられない。

彼と一緒に居たくて、ミコトはある日、通り掛かった風の精霊に教えて貰った。
精神を具現化させ、人として過ごす方法を。
その方法さえあれば人と同じ形を手に入れ、歩いたり会話したり触れ合ったりする事が出来るらしい。

しかし、ミコトの願いは叶わなかった。
木が精神を具現化し人の形を手に入れるには、二千年以上を生きる必要があるという。
短い人の寿命に追い付ける筈など無く、勇者はとうの昔にその命を終えている。


「君みたいな優しい人が居るから、声が聞こえる人と会うのが待ち遠しいよ。動物とは話せるんだけどね」
「俺の他に誰か居ないかな、ミコトと会話できる人」
「難しいだろうね。私は力が強いらしくて、こうして人のように話せるけれど、元々は普通の木なんだ。精霊クラスの木なら、幹に顔が浮かんで誰とでも会話できたりするらしい」
「鳥が噂を運んで来てくれるって本当?」
「ああ、本当だよ。よく知っているね」
「デクの樹様っていう、俺が偶然訪れた森に居た木の姿の精霊がそう言ってた」


デクの樹なら聞いた事があるが、あれは神からの使命を帯びた精霊。
元々はただの木である自分とは比べるのもおこがましい存在だと、ミコトはこっそり苦笑した。
それからミコトはリンクと二人で他愛ない話をしていたが、日が傾きかけた頃にリンクが立ち上がった。


「おっと、もうこんな時間か。じゃあ俺、帰るよ」
『そうだね、ここは割と僻地だから、早めに帰らないと日が落ちてしまう。久し振りに楽しかったよ。有難う、リンク』


触れていないため、リンクに聞こえるミコトの声が、またくぐもる。
本当は、また来て欲しいと言いたかった。
数百年前、憧れを抱き人の形が欲しいと願う切っ掛けになった、あの勇者とよく似た心優しい青年。
きっとミコトが願えばまた来てくれるだろうけれど、言い出せない。
色々と忙しそうな上、時には命を懸けた戦いもしなければならないリンクの負担になりたくなかった。

リンクは振り返り、目の前の巨木に笑顔を向ける。
先程の会話からだが、誰かに見られたら頭の無事を疑われてしまいそうだ。


「ミコト、また来るよ」
『嬉しいけど無理はしないでおくれよ。死んだら元も子も無い、どうか命を大事にね』
「分かってる。でも絶対来るから、待っててくれな」


笑顔で手を振るリンクに、ミコトは手を振る代わりに複数の枝を揺らし、さわさわと心地良い葉擦れの音を挨拶がわりにする。
見晴らしの良い丘は暫くの間リンクの背中を見せてくれていたものの、やがて遠ざかり小さくなる。

ミコトは溜め息をつき、視線を空に移した。
どうやって見ているかは分からないが、木そのものを人の目として周りを眺める事ができる。
360度見渡せるのは良いが、動ける事に比べたら大した恩恵とは思えない。
しばらくそうしていると、上空から重い羽音。
すぐに人間の大人くらいありそうな怪鳥が、ミコトの一番立派な枝に止まる。
怪鳥はフクロウに類似した見た目で、大きさ以外には目立った違いは無い。


「ケポラ・ゲボラじゃない、今日はどんなお話を持って来てくれたの?」
「いやなに、お主が運命の子と話しておったから気になっただけじゃよ。数百年前にも同じような光景があったのう、懐かしい」
「そりゃあれだけそっくりなら懐かしくもなるさ。……と言うか待って、運命の子?」


数百年前の勇者と瓜二つで同じ格好をし、更には運命の子と呼ばれるなんて。
再び戦いの因果が巡って来たのだろうか。
彼が勇者になるのだとすれば、過酷な運命が待ち受けているかもしれない。
こうなってはリンクの手助けをする為、益々ここから動けるようになりたい。


「間に合わないよ、精神を人の形に出来るまであと千年くらい掛かる…!」
「それも定めじゃ。可哀想だが、精霊でもないただの木として生まれたお主が、このように人と変わらぬ意識と精神を持てた事自体が奇跡と言えよう。あの子なら大丈夫と信じるのじゃ」
「…………」


確かに、ミコトはどう足掻いてもそれしか出来ない。
彼はまた来ると言ってくれた、ならばそれを信じて待つしか道は無いのだから。
また数百年前のように、もどかしく想い続けるしかないと悟ったミコトの心が、じくじく傷んだ。


++++++


数日後やって来たリンクは、ミコトが見覚えのある剣を携えていた。
退魔の剣、マスターソード……間違いない。


『リンク、その剣は』
「はは……おかしいだろ。俺が勇者なんてさ。そりゃ騎士に混じって訓練してたから腕に自信はあるけど」


まさかなぁ、と力の無い乾いた笑いを出すリンク。
なんだか元気が無さそうなのが気になり、勇者になるのは嫌だった……? と訊ねても、そんな訳じゃないよと濁されてしまった。
魔物と戦わなければならないからかと思ったが、それは以前からやっていた事だし理由にならないはず。
気になったが折角リンクが来てくれたのに悲しませる可能性もあったため、子細は訊ねなかった。

リンクはまた背中を大樹の幹に預けて座り込む。
本当はこちらを向いて欲しかったミコトだが、上方の枝の位置から表情が見えるので言わない。


「この数日で色々あったみたいだね。リンク、お疲れ様。怪我をしてるなら治してあげるよ」
「いや、大丈夫。また来るって約束したし、何かミコトの傍って落ち着くから来たくなっただけなんだ」


リンクの言葉に、人のような心臓や脈など無い筈のミコトがドキリとする。
もう心は人と同じになってしまったのかもしれない。
でも自分は相変わらず大樹のまま。
人であればリンクを撫でたり温もりを与えたりして慰めてあげられるのに、悔しくて堪らない。
落ち着くというのも、人は緑に触れると心が安らぐというし、大体の植物なら出来る事だろうと落ち込んだ。


「……早く人になりたいなあ」
「え、なれるのか?」
「私みたいに人と似たような心や意識を持った木は、二千年くらい生きたら精神を人の形に出来るんだ」
「精神を、って事は触ったり出来ないんだ」
「いや、普通の人と何ら変わらない行動が出来る筈だよ。木そのものが人の形になる訳じゃないから、本体はここから動けないけど」
「だけど精神を動かせるなら、ちゃんと見たり聞いたり出来るんだろ。今すぐなれたりしないか?」
「前にも言ったけど、私はまだ千年ぐらいしか生きてないんだ。人になるにはまだ千年も足りないのさ」
「そうか……」


悲しそうな顔をしたリンクに、やはり彼は優しい人だと心が暖まるミコト。
人と似た心や意識を持ってしまったが為に、動けない事を退屈に思ってしまう。
なのに人となるには二千年もの長きを生き、その間は堪え忍びつつ過ごさなければならないのだから。
以前に話を聞いたデクの樹のような精霊であれば、また違う生を送れていたのかもしれないのに。


「こうなっては役立たずだね、私は。人のような心を持ってしまったが為に樹木としての役割を果たす気になれず、かと言って人としての役割も果たせない」
「そんな……簡単に役立たずなんて言うなよ!」
「ごめん。だけど考えてしまうんだ、こんな中途半端な私に何が出来るのかと」
「俺は助けられたし、こうして癒されてる。何も出来ない奴なんか居ないんだから気に病むなよ」


怒ったような口調と表情に、またミコトは優しさを感じて嬉しくなる。
本気で自分の事を考えてくれているのだと思うと、また心が軽くなった。

今回の訪問が終わった辺りから不穏な空気が流れ始め、滅多に見なかった魔物が多数現れるようになる。
だが時間が経つにつれ次第に不穏な空気が和らぎ、魔物の数も減って行く。
リンクが事件を解決しているのだろうと分かったミコトは、ただ祈った。


リンクはあれから何日かに一度は訪ねてくれ、他愛ない話をしたりして楽しい時間を過ごす事が出来た。
時折近くへ現れる魔物を倒していると、ミコトの特殊性に気付いた魔物が攻撃して来る事もあったが、伊達に千年の長きを過ごしていないとばかりに軽々と撃退してしまう。
人の形を持てたら、この力を使ってリンクの手助けが出来るのに残念でならない。
本体である樹木から離れる為ある程度力は抑えられ、使えなくなってしまう能力もあるだろうが、それでも役には立つ筈だ。
そんな夢想をしながらリンクを待っていると、向こうから彼の人の姿。


『リンク、よく来たね! 調子はどうだい?』
「ああ、何とか無事だよ。じゃあまた座るな」


いつも通り、大樹の幹に背中を預けて座るリンク。
木が大きな為に巨大な根っこの上に座っている事になるがミコトは気にしない。
ちらりと見やると怪我をしているようだったので、いつも通りに光で包み込んで癒してあげた。


「お、有難う。大した怪我じゃなかったんだけど」
「リンクは命を懸けて戦ってるんだから、場合によっては少しの怪我も命取りになりかねないよ。この程度なら大きな消費もしないから気にしないでおくれ」
「そうか、じゃあお言葉に甘えようかな」
「うん。怪我を治す為だけに来ても良いんだから」
「……あのさ、ミコト。ひとつ訊いていいか?」
「どうぞ」
「ミコトって、女の子?」


突然の質問に、思わず面食らってしまうミコト。
そんな動物のような性別など自分には関係ない事の筈だが、人に似た心や精神が出来た以上、気になる。
手掛かりになるのは自分の声だろうか。
男であるリンクやケポラ・ゲボラに比べると随分音が高く、以前にそういう者は女である可能性が高いのだと聞いた事がある。
それに女だったら、リンクと番になれるかもしれない。


「動物になった事が無いから分からないけど、女だったら良いなあと思ってる」
「そうか……いや、声がどう聞いても若い女の子だからさ、こんなプレゼント持って来たんだけど」


リンクが立ち上がり、荷物入れから紙袋を取り出す。
中に入っていたのはかなり長く切られた明るいオレンジ色のリボンだった。
登っていいかと訊かれたので、了承してリンクが器用に幹を登るのを眺める。
そして中ほどの位置にある枝に跨がると、リボンを厳重に結んでピンで止めた。


「どうかな。最初は花とか考えたんだけど、同じ植物の木に贈るのもどうかと思ってさ。これなら枯れたりもしないし、長く一緒に居られるんじゃないか?」


正直、こんな布きれは植物には無用の物だ。
その筈なのに、今ミコトの心を満たしているのは大きなときめきと嬉しさ。
リンクが自分に贈り物をしてくれた、こんな幸せがあって良いのだろうかと。
本当に心は人、そして女になってしまっている。
どういう理屈か、どきどきして苦しくなった。


「あ、有難うリンク。凄く嬉しい……!」
「気に入ってくれた? 女の子に贈り物なんかした事ないから緊張してさ、今まで心が修羅場だったよ」


女の子に贈り物をした事が無い、つまり異性を意識して贈り物をしたのは、ミコトが初めてという事。
その事実に、またミコトの心が喜びで沸き立つ。
今までリンクの心が修羅場だったらしいが、今はミコトの心が似た状態。


「ミコトにはいつもお世話になってるしな」
「? 私なにかした?」
「……勇者に選ばれた癖に情けないけどさ、俺、結構疲れてたんだよな。毎日が魔物との戦いで、国を背負って。今まで自信が無かったのに、急に勇者だなんて言われて参ったし」
「自信が無かった?」


聞けばリンク、長くハイラル王家に仕える騎士の家系に育ち、騎士団長である優秀な父にある種の劣等感を抱いて育ったらしい。
何か成功すれば団長の息子だから当然と言われ、失敗すれば団長の息子なのにと笑われる。
そんな周りの者をゼルダ姫は諫め、父や家族も気にするなと言ってくれた。

次第に血筋に関する事は何も言われなくなり、リンク自身も、もう気にしていない姿勢を貫いていた。
しかし、幼い頃から刻み込まれた感覚はなかなか消えてくれない。
振り払うように訓練を重ねてかなりの実力を付けても変わらず、団長の子という地位を除けば自分は役立たずなのではないかと、思い悩んでいたそうだ。


「前に私が自分の事を役立たずだと言った時、君が怒ったのは自分の心と重ねてしまったからなのか」
「ああ。それを聞いた時、誰かが自分自身を役立たずだと蔑んでるのを聞くのって、こんなに悲しい事なんだって衝撃だった。図星を突かれたみたいに怒っちまったけど、あれから本格的に考えるようになってさ」


勇者の宿命を背負う前、増えて来た魔物の調査を命じられたのは、実力はあるのに自信を持てないリンクに自信を付けさせる目的もあったらしい。
ミコトの役立たずという言葉を聞いてから少しずつ考えを改め、平和の為に戦って自信を付けたそうだ。


「正直、背負ってるものが大き過ぎて何度も挫けそうになったよ。その度にミコトに会いに来て、話したり癒されたりして鋭気を養った。ここまで戦って来られたのはミコトのお陰だ」
「そんな、リンクが頑張ったからだよ。でも少しでも手伝えたんなら嬉しい」
「助かったよ、ずっと。リボンはほんのお礼なんだ」
「うん、大切にする。魔物だって寄せ付けないんだから、リボンの一本くらい簡単に守ってみせるよ」
「頼もしいな」


お互いに笑い合い、それからはまた他愛ない話をして時間を過ごした。
リンクと親しくなるにつれ、ミコトは人になれない苦しさが増して行く。

数百年前もこうだった。
勇者リンクと交流し、親しみを抱き、人になる事を願い、そして叶わぬまま死別した。
あれからまたミコトは、その轍を踏んでいる。


「(辛いなあ……)」


リンクには伝えないが、それが包み隠す事の無いミコトの正直な気持ちだった。


++++++


リンクにリボンを貰ってから更に数日。
大樹の中ほど、割と根元寄りに結ばれたリボンは、枝や葉に守られて雨風を凌ぎ何事も無く存在している。
丘の上から景色を見下ろしながら、時折やって来ては休んで行く鳥達を優しく迎えていたミコト。

そんな長閑な時間に突如、大地を伝わって根から重苦しいものが流れ込んで来た。
鳥達が一斉に飛び立って行き、何事かと不安になっているうちに空が曇り、空気まで重苦しくなる。
一体何が起きたのか、動けないため不安なまま辺りを見ている事しか出来ない。
やがて空の向こうからケポラ・ゲボラがやって来て、ミコトの枝に止まった。


「ケポラ・ゲボラ、一体何が起きたの!?」
「……ついに目覚めてしまったのじゃ、魔王が」
「魔王って、数百年前に勇者が封じた……!」
「うむ。運命の子は魔王を倒す為に最終決戦へ向かう準備を始めた。後は祈ると良い」


ケポラ・ゲボラの言葉に、ミコトは息を飲んだ。
つまり、リンクは最大の敵との戦いへ赴く事になる。
ミコトの所へ寄るような余裕などある筈もない。


「私が、動けたら……そうしたら力になれるのに!」
「前にも言ったが、諦めるのじゃ。それが定め、あの運命の子も、それに従い決戦へ赴くのだから」


もしミコトが人の形を持っていたら、がっくり項垂れていた事だろう。
その雰囲気が伝わったらしく、ケポラ・ゲボラが何とか励まそうとゆっくり大樹を一周すると、中ほどの枝にきっちり巻かれ、ピンで止められたオレンジのリボンを見付ける。
立派な太さの枝に止まり、不思議そうに訊ねた。


「おや、ミコト……このリボンはどうした?」
「それは数日前にリンクから贈られた物だよ。わざわざ巻いてくれて」
「ホッホゥ! 若い者は良いのう、微笑ましいわい」
「……私が千年以上生きている事を忘れたのかな」


彼なりの冗談に苦笑したミコトの心が少しだけ軽くなり、落ち着いた。
結ばれた後に余ったリボンの端が緩やかな風に揺れ、それを見るとリンクの笑顔が思い出される。
きっと無事に戻ってくれる、それを信じ祈る事しか出来ないのなら、それを精一杯やるしかない。

定めに縛られているのは自分だけではなく、リンクも、ずっと同じ名を継ぐゼルダ姫も、そして恐らく、このケポラ・ゲボラも。
彼らだけではない、きっと誰もが定めの中に生き、誰かの、何かの歯車を動かしているに違いないのだ。
自分だけではないと思うと勇気が湧くし、寂しさも弱くなって心が落ち着く。


「……ケポラ・ゲボラ、今回の戦いで勇者の因果は終わると思う?」
「分からぬ。終わりそうにないと見ているが、個人的には終わって欲しいのう」
「そうしたら、もうリンクには会えないのかな。彼と一緒に居たい一心で、人になろうと思ってたのに」
「そんな事は無かろう、きっと会える。勇者の魂はいつもハイラルと一緒じゃ」
「……そうだと良いなあ」


濁ったままの空、淀んで行く空気に気が滅入り、またリンクの姿を思い出す。
彼が魔王を倒し、ハイラルに平穏を取り戻すと信じて。


++++++


ハイラル全土が暗雲に覆われて一週間ほど。
太陽がぼんやりとしか当たらないため、余計な消費をしないよう眠っていたミコト。
突如見下ろした丘の向こうから強烈な光が放たれ、眩しさに目を覚ますと一筋の光が空へ向かっていた。
それが上空に到達した瞬間、一気に暗雲が晴れ重苦しい空気が消え去る。


「(リンク……きっと魔王に勝ったんだ)」


不安が全て安堵へ変わり、美しく降り注ぐ日の光を樹木全体で感じるミコト。
太陽とミコトの力によって葉が鮮やかさを取り戻し、気分が良い。
リンクがどうしているか気になったが、報告や事後処理で暫くは忙しいだろうからと、気長に待つ事に。
そしてハイラルが戻って数日、リンクが訪ねて来る。


「ミコト、ただいま! 最近来られなくてゴメンな」
『お帰り、リンク。ケポラ・ゲボラっていう鳥が友人に居るんだけど、彼から魔王の事は聞いたよ』
「なんだ、ミコトもあのフクロウ知ってるのか」
『うん。リンクも知り合いなんだね』
「ああ、何度かアドバイス貰ってさ、助かったよ。ミコトの友達だったんだ」


リンクを手助けしていたなんて、自由に飛び回れる事も合わせてケポラ・ゲボラが羨ましくなってしまう。
ちょっぴり妬ましさも浮かんだ所で下らない負の思考を振り払い、穏やかな気持ちをリンクへ向けた。
顔など無いので声や意識でしか感情を伝えられないが、リンクならきっと分かってくれると確信がある。


『さ、いつもみたいに座って座って。積もる話もあるんじゃないかい?』
「じゃ、お言葉に甘えるとしようか」


周りが変わっても、二人の関係は全く変わらない。
それは嬉しく、ミコトにとっては悲しくもあった。
暫くはリンクの戦いの話をしたり、ミコトの周囲で起きた事の報告をしていたが、ふとリンクが上方を見てリボンを目に止める。
贈った時と全く変わらずそこにある姿に、リンクは思わず笑みを溢した。


「ミコト、リボン大事にしてくれてるんだ。魔物が出たって言うから、下手したら無くなってるかもしれないと思ってたのに」
「そりゃ折角リンクが贈ってくれたからね、魔物には傷一つ付けられてないよ」
「ミコトは大丈夫だったのか? リボンならまた買ってあげられるけど、ミコトが傷付いたら大変だろ」
「心配してくれて有難う。この近辺の大地なら働きかければ操れるから、指一本触れさせなかったよ。私にも傷一つ無いから大丈夫」


それなら良かった、と笑うリンクにミコトも気分が高まって行く。
どうやら彼はいずれ、騎士団長である父の後を継ぐ気でいるらしい。
勇者となったのでゼルダ姫の傍に仕えて欲しいと言われ、それを承諾した。


「そっか……。じゃあ忙しくなるね、もうこうして会えなくなるのか。応援するけど……本音は寂しいよ」
「来るよ、また」
「え?」
「休みだってあるんだし、暇を見付けて絶対にまた来るから、待っててくれよ」
「……ほんとに?」
「本当に」


信じてくれよ、なんて笑いながら言うリンクに、ミコトも笑いを返した。
彼ならきっと、約束を違えないでくれるだろう。
これからリンクが命を終える時まで交流が続いてくれるのだと思うと、嬉しさと寂しさが同時に沸き上がる。


それから数年、リンクとミコトは交流を続けた。
お互いに近況を報告し合い、他愛ない世間話をし、姿形が全く違う二人は心で繋がり、親密になる。
しかし、そんなある日。
すっかり立派な大人となったリンクがいつも通り訪ねて来るなり、こう告げた。


「ミコト、俺、ここに来るの今日で最後にするよ」
『……え?』
「結婚するんだ。だから、もう……ここには来れない」


突然の宣言にミコトの息が詰まり、何も返せない。
急に、もう来ないと言われても……何故だろう。
忙しいのは今までも同じ筈で、結婚すれば更に自分の為に使える時間が減るのは分かっているつもりだ。
しかし遊びに来てもいい筈だ。いつか結婚相手との間に子供が出来た時、ピクニックに来てみるとか……。
リンクに妻が、子供が出来ると考えたら苦しくなるが、木である自分はリンクと契れないのだから仕方ない。
それなら好きな人の幸せを願い、応援するのが一番良い筈だから。


『どうして……暫くはバタバタするかもしれないけど、また遊びに来てよ。奥さんや、子供さん連れて』
「……無理だよ」
『家族に私の声が聞こえるか分からないから? それなら話さなくていい、来るだけでもいいから!』
「結婚するからには妻になる人を裏切りたくないんだよ、分かってくれ!」


その言葉がどういう意味か、ミコトは暫く考えなければならなかった。
しかしやがて、妻になる人を裏切るとはどういう事かを考えると、自分にとって都合が良い、そして辛くなる事実が浮かぶ。

ミコトは、自分の心が女だと認識していた。
そしてリンクに惹かれ、密かに恋心を持っていた。
リンクと交流している時、自分には顔も無いし身振り手振りも出来ないものの、声と意識だけできっと気持ちが伝わると確信していたが、恋心まで伝わってしまっていたとは……。

そして、妻になる人を裏切りたくないという言葉。
それはリンクもミコトと同じ気持ちだという事を明確に表している。
人と木が結ばれよう筈も無く、決して契る事は出来ない……。
しかしリンクとミコトは、心で繋がるという、ある意味最大級の裏切りの種を持っていた。
突き詰めると体だけの関係などより、遥かに深く厄介な物になってしまう。
それならば、早く繋がった心を離せるように、妻や子となる人を不安がらせない為に、会わないという選択肢を取るしかない。

ミコトはリンクと契れない、決して結ばれない。
ならば好きな人の幸せを願い、応援するのが一番良い筈だから。


『分かったよ、リンク。今日で……さよならだね』
「……ごめんな、ミコト。俺にもっと勇気があれば良かったのに……」
『謝る必要なんて無い。人が人の中で幸せを探し、手にするのは当たり前の事。私と離れるという決断も、かなりの勇気が必要だったんじゃない? 君は勇者なんだ、勇気なら十分さ』
「有難う……。俺、また長く一緒に居たら帰れなくなりそうだから、もう行くよ。元気でな、ミコト」
『ああ……。リンクも末長く元気で。リボン、ずっとずっと大事にするからね』


リンクは寂しそうな笑みを浮かべ、今までと違い、ミコトに指一本触れないまま立ち去って行く。
このまま死んでしまいそうなほど心が痛い、苦しい。
なのに涙すら流せない自分が、いっそ憎らしくなるほど悔しかった。


++++++


今日も日差しが暖かい。
ミコトは思い切り深呼吸するように光合成をし、ハイラルを全身で満喫。
数百年前と同じように勇者が守り抜いた美しい国は、今日も変わらずそこにある。

リンクと別れてから数十年、あれからは特に何も無く、時折ケポラ・ゲボラがやって来る以外は退屈な日々を過ごしていたミコト。
ケポラ・ゲボラも何かの定めに縛られているらしく、まだまだ休めそうにないと笑い半分で愚痴を溢していた。

今日もいつも通りの日として終わると思っていたら、前方から知らない人達。
一組の夫婦と子供達だが、夫の容姿がどこかで見たような、見ていないような不思議な感じがする。
木の下まで来た時、夫婦が話し始めた。


「木が生えている場所も合ってるし、オレンジのリボンもあるわ。お義父様が言っていたのはこの木よ、間違いない」
「半信半疑だったけど本当にあったんだな。どうして父さんは一度も連れて来てくれなかったんだろう」
「きっと若い頃の思い出でもあったのよ、照れくさかったんじゃない? さ、お義父様の遺言を叶えましょう。遺骨の一部を木の下に埋めればいいのね」


根に覆われていない部分を探し出し、掘ってから小さな壺を埋めた夫婦。
どことなく見覚えのある夫の容姿、そして夫婦の会話内容に、ミコトは全てを悟った。


『……お帰り、リンク』


誰にも聞こえない。
返事だってある訳がない。
それでもミコトは、久々の再会に喜びで心を震わせるのだった。


++++++


あれから千年。
見晴らしの良い丘の上にある大樹の前に、明るい緑色の髪をした一人の少女が立っていた。
手には大樹の枝から外したオレンジ色のリボン。
雨風やいたずら好きな動物、少数の魔物の残党からは守り抜いたが、さすがに千年もの時の流れによる風化は免れなかった。
上等な絹で綺麗に作られたリボンは今更、高かっただろうなと思ってしまう。
ぼろぼろになったリボンを手に持ち、これからどうしようかと考える少女。

色んな場所に行きたい。
まだどこかで生きているであろうケポラ・ゲボラを探し出し、お薦めの場所でも教えて貰うか……。
いや、まずはこのリボンを保存する為に、街へ行って方法を調べよう。
そう思って丘を下ろうと一歩を踏み出した少女の前方から、誰かが登って来た。
服装こそ知らないが、その顔は、姿は、少女がよく知る青年と同じ。
懐かしさに笑みを溢しながら、話し掛けてみる。


「こんにちは」
「えっ? ああ、こんにちは。君はこの辺に住んでるの?」
「うん。お客さんなんて珍しいなあ、こんな辺境に何の用なんだい?」
「いや、特に用は無くて。まだ行った事の無い場所に行ってみようかと……」


突然青年の視線が少女の手に落ち、言葉が止まった。
目を見開き、何かとんでもないものを見てしまったかのように唖然としている。
「そのリボン……」と言いかけ、ハッとしてやめる。
少女が変わらず微笑んでいるのに気付いた青年は、気まずそうに目を逸らすと自己紹介を始めた。


「えっと、俺、リンクっていうんだ。王都に住んでる。君は?」
「私? 私は……」


丘に風が吹き抜け、大樹の枝がざわめく。
風になびく新緑のような色をした少女の髪と、大樹を彩る葉の色は、とても良く似ていた。





−END−



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