短編夢小説
そして世界は



主人公設定:−−−−−
その他設定:ポケモンが存在するどこぞの世界



++++++



「ミコト、ほら見て! お父さんが頑張って捕まえて来てくれたのよ!」


7歳の誕生日の朝、起きてリビングへ行くなり興奮気味に声を掛けて来た母。
その足下には一匹の子犬ポケモンの姿。
もふもふしたオレンジ色の体に特徴的なトラ模様。


「わ、わあ! ガーディだ!」


寝ぼけ眼だったミコトも一発で覚醒。
いつかテレビで見掛けて、ずっとずっと欲しかったポケモン。
既に朝食の席に着いている父親の許へ駆け寄り、はしゃぎながら飛び付く。


「お父さんありがとう! わたしガーディずっとほしかったの!」
「喜んでくれて良かったよ。さ、挨拶してごらん」
「うん!」


ミコトは母の足下に居るガーディに近寄ると、満面の笑みで手を差し出し招いた。


「わたしミコトだよ! おいでガーディ、いっしょに遊ぼう!」


……が、来ない。
警戒するようにこちらを見て唸るだけ。
少したじろいでしまったミコトが負けじと繰り返しても、ただただこちらを睨んで唸るだけ。
困惑するミコトに、父が優しく言い聞かせる。


「まだ駄目だったか。ガーディは警戒心が強いポケモンなんだ。だけど慣れれば、誰よりも仲の良い友達になってくれるよ」
「……なれるかな?」
「ミコトが諦めずに仲良くなろうとすれば、いつかきっとなれるさ」


優しい父の言葉を貰っても、ガーディを見るミコトの目は不安だらけ。
こんなに唸って警戒しているのに本当に仲良くなれるのだろうか?
親しくなる将来など見えず、誕生日だというのに気分が重くなった。
そんなミコトに母もフォローを入れる。


「ねえミコト、今とっても不安よね?」
「……うん」
「ガーディも同じなの。不安だからこんなに唸ってるのよ」
「不安だから……」
「初めてのお家に初めての人たち。緊張するのも不安になるのも当たり前でしょ? だからミコトは優しい気持ちでこの子を迎えてあげて。そうすればきっとお父さんの言う通り、一番の親友になってくれるわ」


諭すように言われたミコトは、改めてガーディを見る。
こちらを威嚇して唸るその瞳が、声が、急に哀れっぽく見えた。
今、この子はとても怖い思いをしているのだろうか。
知らない場所で知らない人に囲まれて、怯えているのだろうか。

そう思ったミコトは、しゃがんでガーディと視線を合わせる。
そして優しい口調で、ゆっくりと言い聞かせるように。


「ガーディ。わたしね、あなたと仲良くなりたいの」
「……」
「イジワルなんてしないよ。いっしょに遊んだり、ご飯を食べたり……。そういう事がしたいだけ。ずっと仲良くしたいだけだよ」


その優しい眼差しと声に毒気を抜かれたのか、ガーディは唸るのをやめてじっとミコトを見つめ始める。
そしてゆっくり歩み寄ると、ミコトの足下に座った。
その光景にミコトは再び笑顔を浮かべる。


「お父さん、お母さん、こっち来てくれた……!」
「よかったわね。きっとすぐ仲良くなれるわ」
「しっかりお世話するんだぞ」
「うん!」


優しい両親と暖かい家庭、新しい友達。
絵に描いたような幸せな世界。

それがいつまでも続くものではないと知ったのは、いつだったか。


++++++++


人のものにしては大きな息づかい。
それと同時に何かが頭に優しく触れて、ミコトは目を覚ました。
森の中、日はすっかり昇っている。


「……寝過ごしたかな? まあいいか。お早うウインディ」


ミコトが寝ていたのは、ガーディが進化したウインディの体。
寝そべった彼の胴体を枕に薄い毛布一枚だけを被って寝転んでいた。
どうやらウインディがミコトの頭に鼻先を寄せて、それで目が覚めたらしい。


「懐かしい夢を見たよ。もう10年も前の……あなたが家に来た日の夢」


言いながら上体を起こし、寄せられるウインディの鼻先を撫でる。

ミコトはウインディとふたりで旅をしている。
住んでいた故郷は遙か彼方、ここがどこかすら分からない。
ただただ、追い掛けて来る“終わり”から逃げていた。

それは今から3年前の事。
いつも通りに朝を迎え、優しい両親と最愛の友人に挨拶をしたミコト。

……その瞬間、世界が一変した。
激しい地揺れと耳を劈くような轟音、そして歪む視界。
後々 旅するうち、伝説のポケモンが暴走したとか、天変地異が起きたとか、
謎の組織が世界を滅亡させようとしたとか様々な流言を耳にしたが、ただ一つだけ確かなのは、世界が終わりに向かっているという事。

色鮮やかで景色に溢れた世界が消えて行く。
景色をガラスのように割って砕きながら、黒い空間が世界を飲み込み始めた。

異変が起きたあの日、優しい両親は景色と共にその黒い空間に落ちて行った。
父が最後の力を振り絞って渡してくれた炎の石で進化したウインディに乗り、ミコトは黒い空間から逃げるように旅を続けている。

世界は今どうなっているのだろう。
どれほどの景色が崩れ去り、あの黒い空間に落ちて行ったのだろうか。
どれほどの生命が捕らわれ、あの黒い空間に落ちて逝ったのだろうか。

少なくとも、もうミコトに帰る場所は無い。
生まれ育った家も、優しい両親も、見知った人々も、生まれ育った土地も。
全てが黒い空間に飲み込まれ消えてしまったのだから。


「……遠くへ行こう、ウインディ。ずっとずっと遠くへ」


長大な距離も難なく走り抜けるウインディの背に乗って、ミコトはひたすら、終わりから目を逸らして逃げ続けていた。



ガーディと順調に友情を築いて行ったミコトだが、稀に喧嘩する事もあった。
どちらも原因になった事があるし、どちらも先に謝った事がある。
そんな時、ふたりが仲直りするのは決まって町外れの丘だ。
それなりの高さがあり、町はおろかずっと遠くまで見渡せる。

初めて喧嘩した日、ミコトの方が悪かった為に母に叱られ、拗ねて家を飛び出した末に辿り着いた場所。
日が傾いても愚図って座り込んでいたミコトの許にガーディがやって来た。
怒って吠えていた彼が心配そうに見上げて喉を鳴らす様子に、子供ながら自分が酷く恥ずかしく思えたものだ。

こうして喧嘩しても、ガーディは飛び出した自分を心配してくれている。


「……ごめんねガーディ。ごめん。本当にごめん……」


自分が悪いのに泣くのは卑怯だと思ったが、そう思っても止め処なく流れる涙を、ガーディは優しく舐め取ってくれた。
こうして初めての喧嘩は原因を作ったミコトの謝罪で収まり、それ以来、仲直りしたい時はそこを訪れるのが定番となる。
そのうち仲直り以外の時にもその丘を訪れるようになり、遙か遠くまで見渡せる地平線の山脈、その更に向こうをミコトとガーディは夢見ていた。


「ガーディ、いつか一緒に旅に出よう。そしてあの山脈を越えて、その先に広がる世界を一緒に見ようね。絶対だよ!」


言うとガーディも満面の笑みを湛えて一つ吠える。
そんな彼と一緒に居れば、夢はいつか必ず叶うと確信できた。



友情を繋ぎ、育み、世界を夢見た思い出の丘。
そこで夢想した旅を、今、ミコトとウインディは進んでいる。

想像とはだいぶ違って希望など微塵も無い。
世界の終わりが近付いている事は紛れも無い事実で、訪れる場所ほぼ全てが混乱に陥っており、明るい旅行とはいかない。
それでもふたりは、短い期限付きであろう旅に楽しさを見出していた。

晴れていれば進み、雨が降れば濡れない場所を探してゆっくりする。
近いうちに消えてしまうであろう美しい景色を存分に堪能し、たまに出会う、パニックになっていない人やポケモンとの数少ない交流を満喫する。

テレビのニュースでは連日、今日はどこの街が飲み込まれた、平原も山も森も、荒野も砂漠も川も海も全て消えたと、そればかり。
それらから目を逸らし、耳を塞いで、ミコトはウインディの背で世界を体感していた。


「ウインディ、お腹空いてない? 休憩しようか」


言って走りを止め、近くにあった大木の木陰に座り込む。
通り掛かった森で採った木の実を並べ、二人で食べながら眼前に広がる平原を見つめた。

空は高く青く、草の海は風に揺られて緑の波を立てている。
世界はこんなにも美しいのに、どうして もうすぐ消え去るのだろう。
これからだったのに。
これから自分とウインディは、この美しい世界でゆっくりと生きる筈だったのに。

ミコトの瞳に涙が溢れる。
普段は気にしていない振りをしていたが、本当は死にたくないし、この美しい世界が消えるのにも我慢ならない。
あの黒い空間が広がる原因は未だ不明で、対処のしようも無いらしい。
この世界に生きる全ての生命、全ての存在が滅びを受け入れるしかないなんて。


「……ウインディ」


震える声で名を呼び、その大きく温かい体に思い切り抱き付く。
ウインディはそんなミコトに頬を寄せて、優しく撫でるように彼女の体をさすった。


「やだ……私まだ死にたくないよ……。まだ生きたかった! ウインディと一緒に色んな事したかったっ……!」


時々はこうして感情を吐き出さないと、押し潰されそうだった。
知らないというのは幸せな事だとは、よく言ったものだ。
最初に崩れ始めた場所がどこかは分からないが、何も知らず一瞬のうちに消える事が出来た者は、ある意味では幸せだったろう。
生き残った者は毎日のように、何処かが消えた、沢山の生命が死んだと知らされながら、待ちたくもない自分の番を戦々恐々としながら待たねばならない。
世界が消えている現状、完全に逃げる場所などどこにもありはしないのだから。

暫く泣きじゃくっていたミコトだったが、やがてウインディにしがみついたまま泣き止んだ。
温かい体はくっついているだけで心を癒やし、ミコトを安心させてくれる。
それが仮初めの安心だとしても、今 必要としているのはそういうもの。

ウインディがミコトの頬を舐め、残った涙を拭ってくれた。
初めて喧嘩をした時もこうしてくれたな……なんて思い出すと、嬉しさと切なさが同時に押し寄せて来る。


「成長はしたけど……私とあなたの本質は何にも変わってないのにね。世界は何も残さず完全に変わってしまうんだ。酷いよね」


神様が居るとしたら、それはポケモンだったりするのだろうか?
そのひとは、この世界の存在を許してくれなかったのだろうか?
ミコトにもウインディにも、そしてこの世界の誰にも、それは分からない。
せめて理由を知れたら納得か諦めは出来たかもしれないのに、世界はそれさえ許してくれないようだ。


「……そろそろ行こうか」


終わりが追い掛けて来る。
美しい景色や沢山の生命を飲み込み、消し去りながら。

逃げなければ。
逃げなければ。



……どこへ?



逃げる場所は、どこにも無いのに。


++++++++


それから旅を続けたミコトとウインディ。

まず最初にテレビが放映されなくなった。
ラジオを頼りに情報を得ると、もう世界中の発信局が黒い空間に飲まれてしまったらしい。
それから数ヶ月後には、ラジオすら放送されなくなる。
パニックに陥っていた人々やポケモン達はすっかり諦め、世界中ほとんどの場所から活気や明るさが失われ……。
それはまさしく、“終末”と呼ぶに相応しい光景。

そろそろ終わりが近いのだとは、ミコトもウインディも理解した。
恐らく黒い空間の広がる速度が急激に上がっている。
旅をしていると時々、景色が 割れたガラスのようになっているのを目撃し、慌ててそこから離れるという事を何度か繰り返している。

それでもミコトとウインディは進んだ。
誰の声も悲鳴も聞こえなくなった世界を、愛する者の背に乗って、愛する者を背に乗せて。


「……静かだね、ウインディ」


話し掛けると、返事するように短く唸る。

普通は生きていれば、何かしらの音は耳に入る。
風の音や波の音、草の音に何かが何かに触れる音、自然の音だけでなく人工物の音だって、普段 意識していないだけで、世界は音に満ち溢れている。

それなのに今は本当に“静か”。
聞こえるのはウインディが大地を蹴る音と彼の息づかい、ミコトの呼吸や心音など、ミコトとウインディによって発せられる音だけだった。


「風が吹いてない……? 海も波立たないし、草木も揺れないし……ポケモンも居ない」


その瞬間、一つ大きな地鳴りがして、轟音が響く。
軽く悲鳴を上げたミコトがウインディを止めて振り返ると、地平線の向こうの景色が欠け、真っ黒になっていた。


「……! ウインディ走って! 全速力で!!」


ついに来た。
もうミコトとウインディ以外の全ての生命が、あの空間に落ちたのだろうか。
世界の多くがあの黒い空間に飲み込まれ、そのせいで自然が停止したのだろうか。
それを考える余裕など今のふたりには無い。
ただひたすら、最期の予感を誤魔化しながら逃げる。


ウインディは一晩中走り続けた。
一晩中……とはいえ、空の大部分があの黒い空間に飲み込まれてからは、太陽が景色のある場所しか移動しなくなり、ずっと昼のまま。
ウインディより先に、背中で揺られていたミコトが参ってしまい、跨がったままぐったりと上体を彼の体に預けてしまった。
慌てて止まったウインディが、首を横に向けて背中のミコトを気遣う。


「いい……走ってウインディ、どこか、へ……」


言いながら必死で上体を起こしたミコト。

そしてそこに広がっていた光景に、絶望した。


ウインディが止まった理由は、背中のミコトを気遣ったから……だけではない。
そもそも進むべき道が無かった。
すぐ目の前ではないが、向こう数百mほど先が、既に黒い空間に飲み込まれている。
前方の黒い空間が動く気配は無いが、背後の黒い空間は景色を割って砕きながら、ミコト達を追い掛けて来ていた。


「……もう世界はここしか残ってないんだ」


前方の空間は動かない、背後の空間は迫って来る。
あの空間が世界一周したとしか思えない。
そしてここは、今、ミコトとウインディが居るこの場所は。


「……あの丘だ」


ウインディがガーディだった頃、ふたりで友情を育んだ丘。
ふたりで地平線の向こうを夢見た思い出の丘。

どうやらあの黒い空間は、ミコトの故郷を最初に飲み込み始めたらしい。
もう町があった場所は何も無くなっているが、丘だけが奇跡的に残り、黒い空間が世界一周するまで残っていた。

ミコトは震える体を騙してウインディの背から降り、伏せたウインディの隣に座って彼に寄り添った。


「素敵、映画みたい」


ここまで絶望させられると、もう諦めもつく。
こんな状況でもまだウインディの体は温かく、ミコトの心を癒やしてくれた。
間に相づちのつもりであろうウインディの短い唸りを挟みながら、ミコトは独り言のように喋る。


「世界一周旅行、楽しかったね」


「私達、旅を終えて帰って来たんだね」


「……帰る場所、あったね」


黒い空間が、景色をガラスのように割りながら迫って来る。

もう涙も出ない。
ミコトはウインディの体にぎゅっとしがみつき、愛おしそうに顔を擦り寄せる。
彼の方も同じようにやり返してくれて、ふたりはそのまま、最期の時まで寄り添っていた。




……。




−END−



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