短編夢小説
天使になれなかった竜



主人公設定:ミルラの姉
その他設定:−−−−−



++++++



また、聞こえる。
例の羽音が。

幼い頃読んだ物語に出て来た天使の羽音は、きっともっと、ずっと軽くて儚いのだろう。
それに比べて、この羽音の何と重く荒々しい事か。
やがてその羽音は近づき軽い足音に変わる。
そして聞こえる、愛しい人の呼び声。


「ヒーニアス!」


先程の重く荒々しい羽音からは考えられない、澄んだ美しい声。
振り返れば、何より大切に思える笑顔があった。


「ミコトか」
「相変わらずね。弓の調子はどう?」
「上々だ、当たり前だろう」


本当に相変わらずな自信たっぷりの言葉に、ミコトはクスリと笑って彼の持つ弓の弦を弾く。
ピンと張り詰められた弦は小気味よい音を立てた。


「私ね、ヒーニアスが弓を引く姿が好きなんだ。辺りまでピンと張り詰めて見とれちゃうよ」
「そうか。私は君が魔法を放つ姿が好きだ。闇魔法と言う禍々しい力を使っているのに、神聖ささえ感じる」


こんな会話をしているのが見つかれば、またエフラムからノロケるなと文句を言われるだろう。
しかしヒーニアスにとってそれは負け惜しみにしか聞こえない。
何とでも言えばいい。


「でもヒーニアス、私が竜になった姿は嫌いなんじゃない?」
「……」


即答出来ない辺り、答えは分かっている。
良い印象は無いのだろう。

ミコトはミルラの義姉で竜族の長ムルヴァの娘。
つまり、彼女はマムクート。
人相手に竜の姿になるのをあまり好まず、普段は闇魔法を使って戦う。
しかし戦いが激しくなるにつれ、そんな事を言っていられなくなった。
最近は竜の姿になって戦う事も多い。


「まぁ、人間にとって竜は異形な訳だし。無理も無いと思うけど」
「……すまない」


先程ヒーニアスを見つけたミコトは、嬉しくなって竜の姿を解かずに彼に近づいた。
確かにあの重々しい乱暴な羽音は、恐ろしくおぞましいかもしれない。

しかし、竜の姿は本来の自分の姿とも言える。
良い印象を持たれていないのは悲しくて辛かった。
本当にヒーニアスは、別に竜の姿が恐ろしい訳ではないようだ。
……恐ろしい、と言う感情ではなく、きっと嫌悪の感情なのだろう。


「しかしミコト、君は最近、本当に魔法を使って戦う事が減ったな」
「まぁ、戦いが厳しくなって来たからね」


ミコトも、我が儘を言っていられない状況にあるのはよく分かる。
だから、竜の姿になるのを嫌がってはいられない。
しかし、しかしだ。


「私が君をサポートする。ミコト、今度の戦い、竜の姿にならずに魔法で戦ってみないか?」
「……竜の姿になった方が強いから」


ヒーニアスが最近、竜の姿になるのを止めようとしていた。
軍の為にも毎回断っていたミコトだが。
断った後、決まってヒーニアスが一瞬表情を歪める。
彼は私が魔法を使う姿が好きだと言ってくれたから、きっとそれが見られない事を残念に思ってるんだ。

……毎回、そう思い込むのにも限界が来ている。
だってあれは、竜の姿になったミコトへの嫌悪を表した表情だから。


「……ごめんなさい」
「!? ミコトっ!」


ヒーニアスに嫌悪されるのなら竜になりたくない。
しかし軍の為にも竜にならなければならない。
迫る葛藤に耐えきれず、ミコトはヒーニアスの傍から逃げ出した……。


++++++


そして戦いは続く。
弓を手に戦場を駆けていたヒーニアスの耳に、また、例の羽音が聴こえた。
何と重々しく乱暴な羽音なのだろう。
しかもそれに合わせて大地を揺るがす程の鳴き声まで聞こえる。
さすがは竜族長の娘と言うべきか、その鳴き声一つで人間は震え上がり、魔物達はひれ伏さんばかりに動揺する。

あぁ、普段のミコトとは比べ物にならない、何と凶暴な声なのだろう。
そして更に足を進めたヒーニアスの目に飛び込んで来たのは、ブレスを放ち、恐怖におののく敵を次々と葬り去る竜になったミコト。
立ち塞がる敵を容赦なく地獄に送るその姿。
荒ぶる神、竜……。
それはまるで巨大で雄々しい死神のようだった。

もしかして自分は、そんなミコトを嫌悪していたのだろうか?
……ふと、目が合った竜……ミコトが何となく悲しげな目をしているように見えたのは、自分が知らない内に嫌悪の表情を向けていたからだろうか……。

それから何となく2人は疎遠になってしまった。
普通に挨拶する、会話もする、しかしどこかギクシャクして落ち着かない。


「(私が、ミコトが竜になった姿を受け入れずに嫌悪していたから……)」
「(私が、ヒーニアスの嫌いな姿になるから……)」


お互いに自分が原因だと思ってはいるものの、上手く言えずに時間ばかりが過ぎて行く。
そしてそんな関係を修復出来ないまま戦いは続き、ついに集結を迎えた。
それぞれがそれぞれの場所へ、生活へ戻って行く。
そんな中、ミコトはある事を告げようとヒーニアスに声を掛けた。


「ヒーニアス……」
「ミコト……どうした?」
「話があるの」


ヒーニアスの心臓が強く跳ね上がる。
こうやって真剣に告げる話に心当たりがあるから。


「どうした、改まって」
「私、闇の樹海に残る事にしました。だから一緒にフレリアに帰る事は出来ません」


……ミコトが突然、そこだけ敬語で話したのは、もう自分達は親しい関係ではないと言う意志の表れだろうか?


「……何だと?」
「だって、きっと私達、それが一番だわ。もう前みたいに振る舞えない」


それはヒーニアスも同じだった。
自分が全く知らない間にミコトを嫌悪していた事に気付いてからは、竜の姿になった彼女の事が益々気になった。
竜の姿になった彼女を見るヒーニアスは、どうしても嫌悪の表情を浮かべてしまうのだ。
ミコトは勿論、その事を知っている。
好きな人に嫌悪の表情で見られるなんて辛い。


「……そうだな。もう別れた方が、私達の為になるだろう」
「……!」


諦めと疲れの混じった溜め息と共に、その言葉は吐き出された。
……本当は、引き止めて欲しかったに決まってる。
無理矢理にでも、フレリアに連れ帰って欲しかったに決まってる。

しかしヒーニアスの嫌悪の表情は、もう人の姿に戻ったミコトにも向けられるようになっていた。
ただ、ほんの一瞬だけ。
人の姿に戻った自分に向けられる嫌悪の表情は、本当に一瞬だけ。
竜の姿になった自分を思い浮かべてしまうからなのだろうが、もう、それが辛くてたまらなかった。


「……そう……よ。私達、これ以上一緒に居たら壊れるしかない。お互いの為にも、別れなきゃ」
「あぁ。そうしよう」


夢を見すぎていた。
見すぎていた自分が悪かったのだ。


「人と竜は……」
「……? どうした」
「何でもない。……じゃあさよなら、元気でね。……きっともう、会う事も無いだろうし」
「そうだな。ミコトも体に気を付けて過ごせ。君と過ごした時間は、なかなか有意義だった」


もう会う事は無い。
ヒーニアスはフレリアの王になるのだから。
なのに彼の最後の別れは、たった一言の社交辞令。


「うん。さよなら」


泣きそうになる顔を見られないように背け、ミコトは手早く別れを告げると竜の姿になる。
大好きなヒーニアスの、大嫌いな竜の姿に。
そしてそのまま、彼が嫌う荒々しい乱暴な羽音を響かせ、ミコトは飛び去って行く。

嫌悪していた筈のその竜の姿は、何故か、見えなくなるまでヒーニアスの視線を捕らえていた……。


++++++


やがて、いくらかの月日が流れた。
ヒーニアスはフレリアの次期国王になるべく忙しい日々を送っている。
今はまだ何も無いが、そのうち誰かと婚約して、ゆくゆくは婚姻する事になるだろう。
しかしそんな事を考える度、ミコトの事が何度も浮かんで来た。

愛し合っていたと思う。
戦闘中ややるべき仕事のある間は真面目にしていたのだが、1日の内に出来る貴重なプライベートの時間は、必ずミコトと2人で過ごしていた。
寄り添ってたわいもない話をしたり、そんな気分になればキスをしたりそれ以上の事もしようとした。
ただし毎回いい所で時間が無くなったり邪魔が入ったりして最後までは出来なかったが。
そんな時も、ミコトと2人で笑い合う。

正直、ヒーニアスは自分で女性にはそんなに興味が無いと思っていたので、ミコトを相手にそんな感情が湧いた事には素直に驚いた。
しかし、ミコトが相手ならばそれもまたいいと本気でそう思った。

確かに愛していた。
愛しい大事な人だった。
なのに何故、こんな事になってしまったのか。
何故、ミコトの竜の姿に嫌悪してしまったのか。

……しかし、確かに嫌悪感があった。
自発的にミコトを、ミコトの竜の姿を見て確かに自分は嫌悪した。

それに……。

いや、やめよう。
今更何を言っても、もうどうにもならない。
最後に社交辞令を言ったのは、ミコトが自分に未練を残さないように。
効果があったのかは分からないが。

きっとミコトとは、もう二度と会わないだろう。
ミコトを思い出すと胸が苦しくなるのは罰だと思えばいい。
彼女に二度と会う事無く、この胸の痛みを一生抱えて生きて行く。
それもまた、いいのではないかと思った。

いつも天使の羽音と比べていた、ミコトの荒々しく乱暴な羽音。
もし今聞く事が出来るのならば、きっとそれは何より美しい、自分だけの天使の羽音になっただろう。


「……ミコト」


もう、遅いけれど。


++++++


夢を見すぎていた。
見すぎていた自分が悪かったのだ。
人と竜は、決して相容れる事の無い生き物だから。

ヒーニアスが、竜の姿になったミコトを拒否した。
これだけを聞けばヒーニアスが一方的に悪い。

だが実はミコトも、ヒーニアスの事を嫌悪の目で見ていた。
竜になった自分を嫌悪の目で見るヒーニアス。
それを見たミコトは、仕方のない事だと説得すらしようとせずに初めから諦めていた。
話すらしようとせずに諦めて、そればかりか、嫌悪の目を向けて来るヒーニアスを酷い人だと、自分も彼に嫌悪を向けた。
人間が竜をそんな目で見るのは、ある意味仕方ない事なのに。
話をしようとしない自分の事を棚に上げて、ヒーニアスを心の片隅で恨んでいた。
きっとヒーニアスはその事に気付いていただろう。

だが、言い訳にしかならないかもしれないが、ミコトも愛する人に嫌悪の表情を向けられて傷ついていた。
心の余裕が無くなりかけていた。
そんな中、嫌悪の表情を向けられる原因の話をするのは不安や恐怖を伴う。
ヒーニアスの方も、自分と全く違う種族を受け入れ話をするのは不安や恐怖を伴っただろう。

結局、2人とも話をする勇気が足りなかった。
……確かに愛し合っていたのに、こんな事になってしまった原因は、そんな些細な事なのだろう。
些細な、しかし2人にとっては重く、大きかった。

もう、いくら後悔したって遅いけれど。



響く、竜の羽音。
それは愛しい彼が幼い頃に読んだ物語に出て来たと言う、美しい天使の羽音には程遠いに違いない。

愛する人の天使になれなかった竜の涙は、風に流されて儚く消え去った。





−END−



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