短編夢小説
鷲は蝿を捕まえない。



主人公設定:医療少女
その他設定:スマブラ



++++++


珍客、と言えばいいのか。
スマブラファイター達が暮らすピーチ城の医務室、Dr.マリオの助手として働いているミコトの目の前には、実例を鑑みると居る筈の無い人物が。
魔王ガノンドロフ。リンクやゼルダの故郷を支配せんと幾度も暗黒に陥れている張本人だが、何の因果か神の悪戯か、スマブラファイターとしてこの世界に召喚されていた。
仮想空間である乱闘ステージでの怪我は現実には反映されないし、ひょっとすると乱闘以外で怪我を負ったのだろうか。
しかし今まで彼程の力の持ち主が乱闘以外で怪我を負うなど殆ど無かったし、例えあったとしても絶対に医務室へは来なかった。


「……ど、どうも」


反応無し。気まずい。
はてさて彼は怪我で来たのか、具合でも悪いのか、それとも別の用事か。

……どれも考えられない。怪我や病気だとして彼が他人に頼る様子が想像できないし、医務室やドクター、ミコト個人に何か用事があるとも思えず。
勇気を出して引き取って貰おうかとも思ったが、いやいや、こんな事では駄目だと思い直した。
戦えない自分に出来るのはファイター達を癒す事、何かあれば話を聞く事。
ガノンドロフはファイターとしてピーチ城に居るし、協調性は薄いが然したる問題も起こしていない。そんな人を追い返しては他の仲間達にも合わせる顔が無くなってしまう。


「お怪我ですか、それとも具合が悪いんですか? あ、立ちっぱなしも何ですのでこちらへお掛け下さい」


手遅れかもしれないが、何でもない風を装って椅子に座るよう促す。
入り口辺りに突っ立っていたガノンドロフが歩み寄って来てようやく話を聞いてくれたかと思ったら、いきなり一枚のハンドタオルを差し出して来た。
瞬きをして一体何かと思考を巡らせ、すぐにそれが自分の物だと思い出す。別に落とした訳ではない、これはガノンドロフに渡したもの。

3日ほど前、庭を歩いている時にミコトはガノンドロフに出くわした。
しかもファイターの子供達が遊んでいた泥塗れのボールが跳ね、歩いていたガノンドロフの横っ面を叩いたという場面に。
顔面蒼白になる子供達を確認するや否や、ミコトはガノンドロフの元へ走り寄り、すぐさまハンドタオルを差し出したのだった。
薄青かつ無地のシンプルなもので、こんな時に可愛らしい色や柄の物を持ち歩いてなくて良かったと、心の中で息を吐きつつ。


「大丈夫ですかガノンドロフさん、お怪我は。このハンドタオル良かったら使って下さい、不要になったら捨てて構いませんから」


押し付けるようにハンドタオルを渡すとすぐさま子供達の方へ向き直り、人に物をぶつけたら謝らなきゃ駄目だよ、と諭す。
おどおどしていた子供達が近寄って謝ると、ガノンドロフは無言で立ち去った。
子供相手に怒るのも馬鹿馬鹿しいと思ったのかは分からないが、何事も無くて良かったとミコトも子供達も安堵したものだ。
不要になったら捨てて良いと言った物を、わざわざ返しに来たという事か。
しかもハンドタオルは綺麗になっており、きちんと洗濯されていて……まあ洗濯物は城仕えのキノピオ達に任せているので、やったのは彼らだろうけれど。
ミコトは少々唖然としていたが、いつまでも手を差し出させる訳には行かないと思い彼からハンドタオルを受け取った。


「返しに来て下さったんですね、わざわざ済みません。有難うございます」


貸した物を返されて礼を言うのはおかしいかもしれないけれど、まさかガノンドロフが返しに来るとは思っていなかったので思わずと言った体で口走る。
ガノンドロフは相変わらず無言のまま、踵を返して医務室から出て行った。
彼を見送ってからミコトは、渡されたハンドタオルを眺める。
返して貰った時は笑顔さえ浮かべてしまい、かつて一つの世界を滅ぼしかけた魔王を相手にしていたとはとても思えない時間だった。
捨てて良いと言った物をわざわざ洗濯に出し、手ずから持って来るなんて。


「案外悪い人じゃないのかな、ガノンドロフさん」


リンクやゼルダに聞かれたら全力で否定されそうな事を口走るミコト。
先程までの重い気持ちが嘘のように晴れ、軽くなって浮かれた気分に変わる。暫くこのハンドタオルは使わないようにしようかな、と、良く使うデスクの引き出しに仕舞い込んだ。

そんな事があってから数日、ミコトは自分がとある行動を取っている事に気が付いてしまった。

ふと気付くと、視界にいつもガノンドロフが居るような気がしてしまう。
庭を歩いて、ふと視線を巡らせると彼方にガノンドロフの姿がある。
サロンへ行くと、ガヤガヤ騒ぐ多数のファイター達の中からガノンドロフの姿が浮かび上がる。

初めは何故ガノンドロフがいつも居るのかと疑問だったが、よく考えたら彼は普通に出歩いていた。
協調性が薄いとは言え部屋に引き籠っている訳では無いし、庭に出たりサロンの隅に居たりは日常の一部。
それなのに急にガノンドロフが視界へ入って来たのは、ミコトが彼を意識し始めたからに過ぎない。
今まで特に何の関係も持たなかった者と少しとは言え関わったのだから、これは仕方ないだろう。
それに他人など気にしないと思っていたガノンドロフが、気遣いのような行動を見せ……意識するなと言う方が無茶だ。

それからミコトは、何かとガノンドロフへ近寄るようになって行く。
彼の邪魔はしないよう控え目に、言葉少なにを心掛け、決して食い下がらない。彼が反応しなければすぐに諦めるし、応じてくれれば穏やかに相手をする。
そんなこんなで、いつしかガノンドロフと一緒に居る事が多くなったミコト。
周りのファイター達はやや唖然とした様子で、怖々とそれを見ていた。
何かあればミコトが殺されてしまうのではと心配で、しかし笑顔で接する彼女を見ていると無理に引き離せない。結局、ただ見ている事しか出来ないのだった。


++++++


ミコトとガノンドロフの至って穏やかな交流が始まって二ヶ月ほど。
料理の不得意なミコトはピーチやゼルダと一緒に焼き菓子を作っていた。

「ミコト、分量はきっちり計らないと駄目よ。ただでさえあなた料理が苦手なんだから」
「そうそう、ちゃんと生地を混ぜて下さいね」
「む、難しいです……」

菓子としては簡単な域に入るものでさえ、悪戦苦闘しながらのミコト。
その焼き菓子はファイターの皆に振る舞うけれど、彼女の脳内には例の人物が大きく存在している。

……果たして食べて貰えるだろうか、それ以前に受け取って貰えるだろうか。
今まで彼のペースを乱さないよう気を付けていたつもりだけれど、この交流をどう思っているかは彼次第なので。
取り敢えず今回も、受け取って貰えないならすぐに引き下がるつもりだ。

やがて焼き菓子が出来上がり、ゼルダはファイターの皆と食べるものとは別に、焼き菓子を袋へ詰めているミコトに気付いた。
今までの彼女の行動から考えれば、あれを誰に渡す気なのかはすぐに分かる。


「……ミコト、その焼き菓子はひょっとして……」
「あ、はは……。やっぱり隠し通すなんて不可能ですね。お察しの通り、ガノンドロフさんに渡します」
「勇気あるわねミコト、私ちょっとあの人が恐いわ。近付くだけで震えちゃう」


やや冗談めかして笑うピーチとは裏腹に、真剣な表情を隠さないゼルダ。
さすがに自国を滅ぼしかけた魔王が相手となると心中穏やかではないのだろう。
彼女がミコトを大切な友人の一人に数えているから、尚更。


「どうして、そんな風に彼へ近付くのですか? ひょっとして何か脅されているとか……」
「え、まさか! わたしみたいに何の能力も無い小娘一人を傍に置いた所で、彼に何の得もありませんよ。戦いなんて出来ないし、かと言って戦略を立てられるような頭も無いし」
「では、自主的に近付いているのは確かなのですね。一体何故なのです?」
「……えっと、何ででしょうね、分かりません」


全く滑稽な話だが、ミコトも本当に分からないのだから仕方ない。
ただ唯一言えるのは、どうしてだかミコト自身、ガノンドロフが気になってしまうという事。
少しでも心配を和らげようとミコトは、ハンドタオルの件やここ二ヶ月ほどの交流の事を話してみた。
普段の彼からは考え難い行動に、ゼルダもピーチもただ瞬きを繰り返すばかり。


「すごーい……。彼そんな事する人だったの? ちょっと信じられない」
「ミコトがこんな時に嘘を吐いたり冗談を言ったりするとは思えませんし、本当の事でしょうね」
「わたしも何が何だか……どうにも気になるので、邪険にされないうちは今のまま付き合おうと思います」
「分かりました。ではミコト、こちらのお菓子は私達で持って行きますから、そちらのお菓子を彼へ持って行ってあげて下さい。きっと彼、わざわざ食べに来ないでしょうから」
「はーい!」


ゼルダの言葉にミコトは承認を得た気分になって、袋に入れた焼き菓子を手にキッチンを後にした。


「……ねえゼルダ、一ついいかしら」
「何です? ピーチさん」
「どうしてミコトを行かせてしまったの?」


ミコトがキッチンを後にし、足音が遠ざかったのを確認してからピーチはゼルダに訊ねた。
ピーチもガノンドロフがゼルダの国を滅ぼしかけた魔王である事は知っている。
だからこそ、彼女がミコトをみすみす彼に近付かせる理由が分からない。
ゼルダならガノンドロフに近付かないよう止めるかと思っていたのに。


「ピーチさんもご存知ですよね、我が国に伝わるトライフォースの事を」
「知恵と力と勇気を司る神の紋章よね。あなたが知恵でリンクが勇気、そして力が…………あ」
「何はともあれ、ガノンドロフも神の力を宿した者の一人なのです。私やリンクと同じように。そして彼が取ったミコトへの態度……変化の兆しかもしれないと思いました」


今までのガノンドロフからは考えられない行動に、ゼルダは一筋の光明を見出だしていた。正の心を持たないが故に神の力を制御できなかったガノンドロフ。

もし彼に配下とは違う身近な存在が現れたら。
その存在が彼にとって守るべき対象になったら。

守るべき者や大切に思える者が現れれば、人は劇的に変われるものだ。
その“ガノンドロフにとって大切な者”の立ち位置に、ミコトが限り無く近付いているような気がしてならない。


「一度だけでも信じたい。ガノンドロフが神から授かった力を、誰かを守る為に使えるのだという事を」
「……そう、そうね。ガノンドロフもあなたやリンクと同じ、神の力を宿しているのよね……可能性は低くても決して0じゃない」


危険な賭けになる可能性も否定できないが、この世界に来てからのガノンドロフを見ていると極端な問題を起こすような気はしない。
そうなるとミコトが、今までガノンドロフには居なかった、“守るべき大切な者”になる可能性もかなり現実味を帯びて来る。

優しさや慈しみの心をガノンドロフが知ってくれたら願ったり叶ったり。
勿論ゼルダは完全には信用していないが、期待する価値はあると思った。
ミコト達の様子を常に気にかけ、危険なようならちゃんと話して彼女をガノンドロフから遠ざける気だ。


「上手く行くと良いわね、このままミコトが彼の心を開いてくれれば……」
「とは言え、ミコトに頼りきりではいけませんからね。私も彼をよく観察して、周りの皆に危害が加えられないように行動してみますから」
「分かった、手伝える事があったら何でも言ってね、出来る限り協力するわ!」


半ばミコトを利用する形になってしまうが、これで平和になるのなら汚名など幾らでも被る。そうゼルダは心に決め、ミコトが去った方を静かに見つめていた。


++++++


以前ガノンドロフが医務室へハンドタオルを返しに来た時とはまるで違う気分。
足取りが軽い……いまにも飛べてしまいそうなほど。
調子に乗らないようにと気を付けてはいるが、やはり浮かれてしまうのは避けられないようだ。
一番の懸案事項だったゼルダから後押しされた事で胸の支えが下りたらしい。
リンクの事も気になるがゼルダが説得してくれるはず。

ミコトはガノンドロフを探して城を走り回った。
まず部屋へ行き、ノックをしても返事が無いのでサロンへ。
既にファイター達が皆で焼き菓子を食べていたが、そこにも姿は無い。
誘ってくれたファイター達を断り、図書室や医務室も確認してから外へ出た。

城の庭は広く庭園から滝や泉まであり、隅の方は人目にもつき難いので静かに過ごしたい者達がまま利用していた。
ミコトはその中でも更にひっそりとした、木立の一本に目当ての姿を見付ける。


「ガノンドロフさん」


こっそり近寄ったつもりがこちらを向かれたので、隠す事なく声を掛ける。
何も言われない。ひとまず今は邪魔ではないらしい。


「焼き菓子を作ったんです。甘いものは平気ですか? あ、甘いものが苦手なファイターも居るので、そんなに甘くないですけど。宜しければどうぞ」


木の幹に寄り掛かり座っているガノンドロフへ近寄ると、屈託の無い笑顔で袋に入った焼き菓子を差し出すミコト。
しかし彼は焼き菓子に手を出さず、真っ直ぐにミコトの目を見て口を開いた。


「何故、俺に構う? 貴様に何の利があるんだ」
「えっ……。あ、すみません。お邪魔でしたか」
「質問に答えろ」
「は、はい! ……あの、利は、特に無いです」
「では何故だ。誰かに命令でもされたのか」
「誰にも命令されていません。自分の意思です」


二ヶ月間ガノンドロフと付き合って来て、こんな事を訊ねられたのは初めてだ。
ミコトは菓子を差し出していた腕を引っ込め、やや躊躇いがちに視線を返す。
何か気分を害してしまったのか心配だったが、特に思い当たる節は無い。き
っと彼ならば、気分を害されれば後回しにせずその場で言うだろう。

ではこれは、純粋な興味?
二ヶ月も付き纏う変な女に、遂に興味を持ってくれた?


「分からんな。利も無く命令された訳でもないのに、付き纏う意味は何だ。まさか他の奴らのように、下らん友情ごっこでもするつもりなのか?」
「友情? それは違いますよ。わたしなんかがガノンドロフさんと、同列に立てる訳ないじゃないですか。どう足掻いても見上げるしかありません」


ミコトは一切躊躇わず、きっぱりとそう答える。
友情でないのは確かだ。
ガノンドロフの位置が高すぎて横に並ぶなど不可能なのは良く分かっている。
ではこの感情は何かと考えた時に、ふとミコトの頭に浮かんだのは与えられる事の喜びだった。

自分では到底追い付けそうもない高い存在。
しかも他者を思い遣り顧みる事など無い存在が、自分だけには近付く事を許し親しめに接しても払われない。
そう、そんな存在からただ一人、“自分だけ”が特別に扱われている事が嬉しくてしょうがないのだ。

それに思い至った時、ミコトの中に渇望が生まれる。
もっと近付きたい、自分だけが特別に扱われたい。

その全身を駆け巡る渇望に耐えられなくなり、震える声で全てを話した。
話を聞いたガノンドロフはやや目を見開き、予想外の主張に少なからず驚いた様子。そ
んな様子も他人には見せるまいとミコトは益々喜びに打ち震える。


「ガノンドロフさん、わたしでは役に立たないのでお側に置いて下さいとは言えません。ただ、時折こうして近寄る事を許して貰えませんか?」
「何だと?」
「もう駄目なんです。わたし、自分だけに与えられる事の幸福に、喜びに気付いてしまいました。これを失いたくありません」
「……見掛けによらず良い度胸をした女だ。この俺を自己満足の為に利用しようと言うのか」


ガノンドロフからは呆れも嘲笑も感じ取れない。
それどころか、やや戸惑うような雰囲気すら感じる。
恐らく今まで居なかったタイプの存在なのだろう、言っているミコト自身も己が何を言っているのか頭が付いて行かない。
この胸の高鳴りは一体何か、恐怖ではなく……ひょっとして、恋慕?
はっきりとした事は分からないが、自分の身に今、溢れ零れそうな程の喜びが満ちているのは間違い無い。
ただ幸せで、こんな風に何の取り柄も無い自分が誰かの特別扱いを受けているのが信じられなくて。


「(……あ、これってまさか劣等感なのかな)」


ふと、ミコトの頭を巡るそんな思考。

Dr.マリオの助手として働いているが、つまり結局は補佐レベルの事しかしていない訳で……自分が居なくてもドクターなら何とかしてしまうだろう。
戦えず万一の時に自分の身すら自分で守れない、単なる役立たずの存在。
当然ファイター達はそんな事を考えてはいないだろうけれど、自分で自分を貶めるのは避けられない。

先程ガノンドロフに、決して対等になれないから友情ではないと言ったが、友情を築いている他のファイター達とも本当は対等な位置になど着けない。
役立たずな自分と、万一の時には命を懸けて戦うファイター達とでは、決して越えられない絆という名の壁が存在している。
自分は彼らに本当の意味で交ざる事など出来やしない、親しく交流しつつもそんな寂しさがミコトの心中でずっと燻っていた。

その寂しさ、胸にぽっかり空いた穴を埋めてくれた意外な人物ガノンドロフ。
今こうして彼の傍に在る事はミコトの心を幸せでいっぱいに満たしてくれる。


「お前が策略も恐怖心も無く近寄るのは、特別扱いされたいという理由か。その為だけに俺と関わりを持とうとするとは呆れた奴だ」
「あの、……すみません。鬱陶しい時は言って下さればお邪魔しませんから」


今更、魔王とまで呼ばれる男に何という事を言ったのだろうと焦りが浮かぶ。
ガノンドロフからは相変わらず怒っているような雰囲気を感じ取れないので、大丈夫だとは思うが。


「……好きにしろ」


小さな溜め息と共に吐き出された言葉に、ミコトは顔や態度に出さず心中で喜びに打ち震える。
こちらも小さめな声で、しかしはっきり相手の耳へ届くよう礼を言った。

心情を吐露してからも二人の奇妙な交流は続いた。
以前にも増して一緒に居る、更にミコトだけでなくガノンドロフまでもがどことなく親しげに見える。
別に笑ったり笑顔を浮かべたりしている訳ではないが、明らかに以前までとは雰囲気が違っていた。

そんな異変にファイター達は怪訝な目で二人を見、しかし止める事は出来ない。
屈託無く接するミコトを見ていると、この状況をおかしいと思う自分達の方がおかしいのでは、とまで思えて来てしまう。
そのうち周りのファイター達も、ガノンドロフとミコトの交流を日常として受け入れてしまった。


「楽しそうね、ミコト」


そう言って彼女を微笑ましく見ているのは、ピーチ。
隣に座るゼルダに同意を求めて視線をやると、やや戸惑いながら頷いた。


「気のせいだったら良かったのですが、私達と接する時のミコトはどことなく、壁があるように思えていました。それが今は本当に心からの笑顔です」
「それ、何だか少し悔しいのよね。私達じゃ駄目だったのかしら」


自分達に出来ない何かをガノンドロフが出来たとは認めたくないものの、あのミコトの笑顔を目にした以上は認めざるを得なくなってしまう。
もしやミコトはファイターの仲間達の間には無い何かを求めていたのだろうかと、頭を悩ませた。
しかし誰の影響にせよ、今のミコトが心からの笑顔なのは間違い無い。
それならば受け入れてあげるべきなのだろう。


「でも今のガノンドロフが何を考えているのか分からない以上、油断しない方がいいかも」
「そうですね……。少し言い方は悪いですが、ガノンドロフがあんな演技をして付き合ってまで欲する何かを、ミコトが持っているとは到底思えません。かと言って、完全に無意味な事に労力を割くような男ではありませんし……」
「これが“変化の兆し”だったら良いんだけどね」


ガノンドロフの心境が変化して無意味な事に労力を割くようになったのか、それともゼルダの初めの思惑通り、ミコトの事が大切な存在になったのか。

……仕掛けておいて何だが、やはりゼルダはガノンドロフが大切な存在を作るとは到底思えない。
となるとゼルダの知らない重大な何かをミコトが持っているのだろうか。


「状況如何によっては、ミコトをガノンドロフから遠ざけなければ」
「でもそうすると、あの子から本当の笑顔を奪ってしまいそうで怖いわ」
「それが何とかなれば良いのですけれどね……」


辛いところだが、ガノンドロフに関しての物事は、ミコトの安全を最優先に行動しなければならない。
どうすればガノンドロフ抜きでミコトを本当の笑顔にしてあげられるのか、ゼルダやピーチは考えるのだった。


++++++


ミコトがガノンドロフに己の心情を打ち明けてから、早くも半年。
二人の交流は、心情を打ち明ける前も含めると一年近くにまで及んでいる。
ゼルダとピーチは幾度か、やんわりとミコトをガノンドロフから引き離そうと試みたものの、すっかりガノンドロフに懐いてしまったミコトは何だかんだでかわし続ける。
どうしたものかと困り果てるゼルダとピーチだったが、解決策を見出だせないまま時間だけが過ぎた。

そして、ある日。
以前から皆で泊まり掛けの遊びに行く計画を立てていたファイターの面々。
しかし出発の日になってとんでもない事態になった。


「わ、悪いなミコト。何人か残ってやれれば良かったんだが」
「仕方ないですよドクター、みんな楽しみにしてたんですから、わたしの分まで楽しんで来て下さい」


医者の不養生と言うのか(医者ではないが)、Dr.マリオの助手として働くという立場にも拘わらず肝心な日に熱を出してしまったミコト。
何人か付き添いで残ると申し出てくれたが、自分の不養生の為に仲間の楽しみを奪いたくない。
それにピーチ城には従者のキノピオが何人か居る。いざとなったら彼らに頼るからと説得し、心配そうな仲間達を見送った。

……とは言え、泊まり掛けのレジャーなんてなかなかしないので、ミコトは他のファイター同様心の底から楽しみにしていた。
それが一人だけお預けとなってしまっては、穏和なミコトとて溜め息や愚痴の一つも吐きたくなる。
大体は不養生な自分が悪いのだけれど。

城仕えのキノピオ達は大人しくしているらしく、ファイター達が居なくなってしまったピーチ城は、ただ静かでだだっ広いだけの寂しい空間と化していた。
大人しく寝ていようと医務室へ戻りかけた瞬間、踵を返したミコトは背後に居た誰かに衝突する。


「あっ、ごめんなさい……」


謝った瞬間、さっと血の気が引くような感覚。
今、城には自分以外にはキノピオ達しか居ない。
彼らは大したサイズではないのに、今ミコトを受け止めているのは、ミコトの頭がその人物の胸のやや下辺りにしか来ないほど体が大きい。
見上げ、そして一瞬 息が止まる。


「ガ、ガノンドロフさん! 皆と一緒に行かなかったんですか?」


訊いて、彼が今まで遊びに付いて来た事など一度も無く、まず行かないだろうという事を思い出した。
同時に一瞬だけ頭をもたげた、自分の為に残ってくれたんだという都合の良い解釈が塵になって消し飛ぶ。

……それよりも、だ。今、自分は一体どんな状況下にあるのかと、理解している癖に受け入れ難くて、わざと思考の海に浸るミコト。
ガノンドロフに密着し、ミコトの頭を掴むように彼の手が置かれ、もう片方の手がミコトの肩に置かれている状態、らしいが。
しかも放して貰えない。


「あ、あの……ガノンドロフさん……?」


怖ず怖ずと見上げつつ声を掛けると、彼とバッチリ目が合ってしまった。
が、次の瞬間には解放され、ガノンドロフはミコトを置いて去って行く。
暫し呆然と彼の背中を見つつ、まだ他人の熱を持っているように感じる自分の肩にそっと触れた。

今、自分に熱が出ている事が非常に恨めしい。
これじゃあ自分の熱かガノンドロフの熱か、よく分からない。
今更恥ずかしくなって病気ではない理由で顔を朱に染めたミコトは、医務室に隣接している自分の部屋に駆け戻り、すぐさまベッドへ潜り込んだ。
ガノンドロフと密着してしまった、しかも、抱き締められるとまでは行かなかったものの頭や肩を掴まれた、もちろん密着したまま。
心臓がドキドキと高鳴ってしまい、余計に熱が上がったような気がする。


「思ったより体温高くない感じだったな……あ、わたしが熱出してるから? でも鍛えてるんだろうな、服の上からでも分かるぐらいの筋肉だったし……」


こんな風に考えていては心臓の高鳴りが余計に悪化するだけなのに、妄想を止める事が出来ない。
大人しく寝るべきなのは分かっているものの、ドキドキしてそれ所じゃない。


「大きかったなあ、体。抱き締められたらどうなっちゃうだろ……。簡単に抱え上げられて、それで……」


妄想が止まらない。息苦しくなるくらい体が火照り、熱が悪化した気がする。
もっと触れられたい、抱き締められてみたい、抱え上げられてみたい、そして……と先を考えると尚更眠れなくなってしまう。
一旦落ち着こうとベッドから体を起こしたら、サイドテーブルにコップと水の入ったボトルが目に入った。
どうやらキノピオが気を利かせて置いてくれていたらしく、本来なら誰かが具合を悪くした時に自分がやらなければならない事をされて、何だかむず痒い。
しかし素直に受け取り、まだよく冷えているボトルを手に取った瞬間。

壁一枚を隔てた医務室の方から、ガラスを割ったような衝撃音が聞こえた。
キノピオ達がボールを使った遊びでもしていて、うっかり割ってしまったんだろうか……なんて思えない大きな音。
一瞬戸惑ったがすぐに扉を開いて医務室へ駆け込むと……動けなくなった。

一番大きな窓ガラスが粉々に砕かれており、窓際に置いていた花瓶や小物がガラスと共に床に散乱していた。
薬品などは直射日光に当たらぬよう、窓から離れた場所に棚を置いていたから良かったが、今ミコトの目を釘付けにしているのはそんな状態ではない。
散乱したガラスの上、どう見ても医務室をめちゃめちゃにしたであろう犯人が佇み、こちらを見ていた。

……犯人?

違う、あれは、人じゃない。

スライムのようなぶにぶにとした体、大きさは優に3mはありそうだ。
人形はしておらず、半透明の紫色の体をナメクジのようにずるずると這いずっている。
這いずって……こっちに来ている!?


「ひっ、い、や……」


あまりの恐怖に悲鳴さえ上げる事が出来ない。
大きい上、外から窓を割って飛び込める程の力はあるのだから。
幸い動きは鈍いようなので、隙を突いて逃げるしか……。

その瞬間、ナメクジのようなスライムが体を起こしたかと思うと、こちら目掛けて飛び掛かって来た
。予想外の速さと勢いに、飛び退くように避ける事しか出来ないミコト。
床に倒れ込み、振り向く暇も無く立ち上がって一目散に医務室を後にする。


「誰か、誰かっ! 危ない、変な生き物が……! すぐに逃げて!!」


ミコトの必死な叫びにキノピオ達が現れ、手短に事情を聞いた彼らは震えつつも退治しに行こうとする。
それを止め、自分がファイター達に連絡するからすぐに城から出て広い場所へ逃げるように促した。
もうファイター達を乗せたバスは行ってしまったので電話をかけようとするも、その肝心の携帯を部屋に置き忘れてしまった。
今居る場所から一番近い固定電話はサロン、大した距離ではない。
すぐに辿り着いて……。


「ぅあっ!?」


突如、左足が重石でも乗せられたかのように重くなる。
ややひんやりとした、ぬるぬるする感触は……。

バランスを崩して俯せに倒れ込んだミコトが首を後ろへ向けると、あのスライムの破片と思わしきものが左足を脹ら脛辺りから覆っていた。そ
の後方からはナメクジ型のスライムがにじり寄って来るのが見える。
何とか体を起こそうとするミコトに、再びスライムが体の破片を飛ばして背中に浴びせかけた。
更にバランスを崩して再び倒れ込んだ所で、スライムはミコトの上へ覆い被さるようにのし掛かって来る。


「ひ、いぃっ……いや、いやああぁぁっ!!」


ある程度は形を持っていたスライムが、体を更に柔らかくしてミコトの背中の上で溶けた。
巨体はあっという間にミコトを覆い尽くし、元のナメクジのような形に戻った時にはその背中にミコトをまるごと取り込んでしまっていた。
辛うじて顔と手先足先程度は出ており呼吸できるものの、その他の部分は全てスライムに取り込まれていて身動きが出来ない。
スライムはそのまま窓の方へ向かっており、逃げようとしている事は明白。


「いやだ、放して! やだ、やだ、やだ、放してよ、やだあぁぁっ!!」


一体これからどうなってしまうのか、異形のモノにされる事など予想すらつかなくて、あまりの恐怖に泣き叫ぶミコト。
うるさいと思ったのか、助けを呼ばれては面倒だと思ったのか、スライムの一部分が飛び出してミコトの口を塞いでしまう。
必死に叫んでいた所を塞がれて苦しさに呻き身を捩るが、スライムは全く意に介さない。
やがてミコトは抵抗を諦め、涙を流しながら脱力する。

その瞬間、ミコトの頬を鋭い風がなぞった。
ぴっ、と頬が薄く切れ、ミコトの口を覆っていたスライムが切れて口が解放される。
スライムの背中に拘束されている彼女は、背後から現れた者に目を見開いた。

その者……ガノンドロフは大剣を振るい上げ、スライムの頭部分になっている先端を切り落とす。セ
ルシュの頭に近くて取り込まれた髪が多少切れてしまった気がするが、命に比べればそんな事は気にしていられない。
突然の事に力を失って崩れたスライムの体、落ちる前にミコトを空いている左腕に抱えるガノンドロフ。

「消滅しろ、下等生物が」

彼は大剣に魔力を込めて炎を発生させると、残ったスライムの体を貫いた。
柔らかい筈のスライムの体に何故か、ガチッ、と硬質の手応えがあったかと思うと、弾力性のあった体が一気に水性と呼べるまで溶け、すぐに蒸発してしまった。
後に残ったのは、剣にいつの間にか刺さっていた透明な石のような物体。


「……これ、は?」
「核だ。ああいう魔物はこいつを傷付けない限り死なん。……形も悪いし使えんな、所詮は下級の魔物か」


ガノンドロフはスライムの核を踏み付けて剣を抜き、そのまま踏み潰した。
そして抱えていたミコトを下ろすと、すぐさま踵を返して立ち去ろうとする。


「待、って、下さい……!」


床にへたり込んだまま、思わず彼のマントを掴んで引き止めてしまうミコト。
しかし振り向いたガノンドロフの視線が睨み付けるようなものだった為、びくりと体を震わせた。


「あ……あの、助けて下さって有難うございました」
「……」
「……ごめ……なさ……何でも、ありません……」


震えて上手く声が出ない。
去って欲しくなくて、傍に居て欲しくて思わず引き止めてしまったが、彼の冷たい視線に畏縮してしまう。

そう、彼の傍に居られる条件は調子に乗らない事、出しゃばらない事……。
魔物に襲われていたから仕方ないのだが、それを忘れていた自分に呆れ返る。
声も体も震えさせながら、ミコトは何とかマントから手を離す。

……その瞬間、ガノンドロフが剣を放棄したかと思うと、しゃがんで床にへたり込んでいるミコトと視線を合わせた。
突然の事に驚いたミコトが口を開くより先に、彼女を抱え上げる。

つい先程まで望んでいた感触と温もり、余りの事に一瞬息が詰まってしまう。
同時にスライムに襲われていた恐怖が今更甦り、抱き上げられたままガノンドロフにしがみついたミコトは、声を押し殺すように泣き始めた。
ガノンドロフが来てくれなかったら、今頃自分はどうなっていたのか。


「っふ……うぅっ……」


本当は声を上げて泣き喚きたい気分だったが、そんなものガノンドロフは鬱陶しがるだけだろう。
彼の傍に居る為に、機嫌を損ねる訳にはいかない。
ガノンドロフは、しがみついて声を押し殺し泣き続けるミコトを抱えたまま医務室へ向かい、そしてミコトの部屋に着くと彼女をベッドの上に放り出した。
仰向けで倒れたミコトが体勢を整える前に、覆い被さるようにベッドへ乗り上がる。


「あ、あの……?」


次から次へと降り掛かる予想だにしない出来事に、すっかり涙が引っ込んでしまった……とは言え、まだ止まらない上に呼吸も整っていないけれど。

大きな体はミコトなどすっぽりとその下に収めてしまう。
触れられている訳ではないが傍から見れば押し倒されているも同然の体勢に、またも病気ではない理由でミコトの体温が上がる。
ガノンドロフは覆い被さったままミコトに顔を近付け、先程スライムから解放する時に付けてしまった頬の傷に舌を這わせた。
ぴり、と小さな痛みが走るが、それ以上に心臓が痛いくらい高鳴って仕方ない。


「あ、う……え、えっ?」
「……寝ていろ」


ミコトの下敷きになっているブランケットを引っ張り出して被せ、そのまま部屋を後にするガノンドロフ。
まだミコトが混乱している間に放棄した剣を取って戻って来ると、医務室の方から椅子を持ち出してベッドの脇に置き、座ってしまった。


「え、と、……ガノンドロフさん、あの」
「寝ろと言っているのが分からんのか」
「あ、いえ、その、キノピオ達にもう脅威は無いと教えに行きたいなって……」
「放っておけ、そのうち戻って来る。医務室の修理も奴らにさせればいい。……それより寝ないなら質問に答えろ。先程の魔物は何だ、お前を狙って来たのか?」
「分かりません。わたしも何が何だが……」
「……ならいい。寝ろ」


少し上げかけていたブランケットを再び被せられ、有無を言わせぬ行動に大人しくなるしかないミコト。
しかし……。


「(さ、さっき、ほっぺた舐められた……。お、男の人に、舐め……)」


それだけじゃない。
抱え上げられ、しがみついて泣いても邪険に扱わないでくれた上、今もこうして付き添ってくれている。
こんな行動、期待を持つなと言う方が無理だ。
折角ガノンドロフが付き添ってくれているのだから大人しく寝て熱を下げたいが、このままでは寝る事が叶わないどころか、またも余計に悪化してしまいそう。


「(無理……無理、こんな状況で寝られない!)」


悟られないようブランケットの中へ潜り込んでも、すぐ傍に居るガノンドロフには全てバレていそうで。
ただただ、悩む頭と心で気分を圧迫する事しか出来ないミコトだった……。

……そんなミコトの様子をガノンドロフは気付いているようだが、今、彼が考えている事は全く別。


「(……あの魔物、何だ? 侍従のキノピオ共には反応せずミコトだけを狙っていたようだが。人型に反応するのか……?)」


ファイター達が出払う日にミコトが一人 留守番となり、よりにもよってそんな日に魔物が現れる……悪意ある誰かの差し金を疑うのには十分だ。
本来であれば無人となる城が目当てで空き巣でも働くつもりだった、という可能性もあるが、それならばミコトを連れ去ろうとした事に疑問が残る。

いつの間にか視界に居る事が多くなり、魔王と呼ばれる男に嬉しそうに懐き、更には自己満足の為に利用しようとする、穏やかな外見からは想像もつかない行動を取る奇妙な小娘。
ガノンドロフからすれば取るに足りない脆弱な存在であるというのに、どうにも気になってしょうがない。
その“気になる”に、何か大きなものでも隠されているのではないかと考える。


「(……当たりを引いたか?)」


Aquila non captat muscam

アクゥィラ・ノーン・カプタト・ムスカム

鷲はハエを捕まえない。


「(さて、この小娘は俺に何を齎すか……)」


大物は、小物を決して捕まえない。
小物を決して囚えない。
大物が捕らえるのは、やはり大物なのだろうか。

笑むでもなく、ただ静かに思いを巡らせるガノンドロフの内心を、ミコトは知る由も無かった。



−続く?−



続くかもしれない。




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