聖魔の娘
▽ 4


こんな状況だから楽しく旅なんて不可能だが、それにしても今のエフラムは少し様子がおかしい。
疲れていなければ良いけど……と心配しても口には出せない。
少なくとも他の兵達が見ている前では訊ねる事も出来ないだろう。
強大な敵国に攻め入っている現状、将が参っている所を見せると士気に関わる。
立ち去って行くエフラムの背中が少し揺らいだ気がして、エルゥは胸を痛めた。


そして数日間の道中、大した戦闘も無く港町ベスロンに辿り着いた。
部下に命じて船を調達させていたエフラムに、偵察兵からの報告が入る。


「エフラム様、前方にグラド軍です」

「来たか……戦闘準備だ」

「それが、グラド軍はこちらに向かって来ません。帝国三騎【黒曜石】のデュッセル将軍と彼が率いる部下を追っているようです」

「何だと!? なぜ彼がグラドに追われているんだ!」


なぜ、と言ってはみたが、この状況からして希望が叶ったと思うしかない。
きっとエフラムの考え通り戦争に反対したのだろう。そして忠心を疑われた。
何にせよ助けるしかない。港も彼らが居ると思われる方向だ。


「全軍に命じる! デュッセル将軍の救出を優先せよ!」


言いながら、自らも愛槍を手に救出へ向かう。
一刻も早く合流しなければ……と急いていた彼らの上空から、何かが降って来た。
間一髪で避けると、それは矢。
長距離を威力を保ったままで矢を飛ばす事が出来るシューターが、どこかにあるに違いない。


「くそっ、こんな事で足を止める訳には……」

「私が探ってみるわ!」

「!? おい、待つんだターナ!」


天馬は弓矢の攻撃に弱く、致命傷になる可能性もある。高く飛んでは格好の的だ。
引き止める間も無く飛び上がったターナに下方から声を掛けるが、降りて来ない。
フレリア精鋭の天馬騎士ヴァネッサが自らの危険も顧みずターナを引き戻しに飛び上がると、そのタイミングで再びシューターが飛んで来た。


「ターナ様っ!!」

「っ……!」


間一髪、すれすれで矢を避けるターナとヴァネッサ。
半ば落ちるような勢いで戻って来た二人に声を掛ける前に、ターナが上擦った声で場所を告げる。


「西よ、西の海上にある船から撃って来てる!」

「良かった、無事だな……。助かったが、もうこんな無茶はしないでくれ。君に何かあったらヒーニアスに殺されてしまう」

「ご、ごめんなさいエフラム。ヴァネッサ、大丈夫?」

「私は大丈夫です。ターナ様、どうぞご自愛下さいませ。あなたを失って我々は生きていられません」

「ええ、次からは気を付けるわ……」


ヒーニアスの安否も知れない現状、フレリアの騎士達も焦燥を感じているのだろう。
何にせよターナのお陰でシューターの場所を知る事が出来た……が、これは厄介だ。
シューターを何とかせねば進軍もままならないのに、それは遠く海上の船の上。
天馬騎士でなければろくに近づけないのに、天馬では非常に危険。
ゼトがエフラムに進言する。


「エフラム様、矢を打ち尽くすまで重騎士などに囮を任せましょう」

「駄目だ。デュッセルの状況は一刻を争う、このまま進軍するぞ」

「ですが、いたずらに犠牲を増やす訳にはいきません」


悠長に矢が尽きるのを待っていてはデュッセル将軍が危うくなるばかり。
しかしゼトの言い分は尤もで、エフラムもそれは分かっていた。

過去、度々国使としてルネス王国を訪れていたデュッセル将軍とエフラムは幼い頃より面識があり、気性の合った二人は身分と国は違えども師弟のような関係を築いている。
だが追われる身のデュッセルでも、今はまだ味方であると確定した訳ではない。
フレリア軍の指揮を任されている以上、確定している味方の命を優先すべき。

エフラムは歯を食い縛ると、命を下す。


「全軍、待機! 重騎士を囮に……」

「待って」


そこに割り込んだのはエルゥ。
彼女はペンダントにして肌身離さず所持していた竜石を手に、ミルラを伴って歩いて来た。


「私が行く」

「エルゥ……? まさか、君は……」

「竜の姿は余りに目立ち過ぎて多用できない。けれど今は惜しんでいる時ではないでしょう?」

「大丈夫なのか?」

「ええ。ターナ、船は一隻だけ?」

「一隻だけだったわ。それに地上にシューターは見当たらなかった」

「有難う。エフラム、私が戻るまでミルラをお願いね。シューターを壊したら声を上げるわ」


言って、ミルラの背を押しエフラムの方へ行かせる。
ミルラは少し驚いたような顔でエルゥの方を見ていて……無理も無い。
エルゥは今まで彼女に、竜の姿を見せた事が無い。
しかしこうなっては覚悟を決めなければ。


「ミルラ」

「は、はい」

「私の竜の姿……見ても怖がらないでくれたら嬉しいな」


寂しそうに微笑んで。
エルゥは周囲の兵を下がらせると竜石を掲げた。
その体がみるみる変化し巨大な生物が現れる。

古の時代、人に味方し、共に魔を打ち倒した竜。
黒に染まった体躯はそこに存在するだけで威圧感を生み出し、見ている者達を無意識に竦ませた。


「あ、あ……姉様……」

「これは……ミルラ、お前の姉は凄いな。心に重石がのし掛かるようだ……」


先程まで美しい女性だったのに、今は禍々しいとさえ言える、鬼神と呼べそうな姿。
エルゥは羽ばたいて巨体を浮き上がらせると、船へ一直線に向かう。
グラド軍が騒ぎを起こしている為か、港町には人通りが無いのが幸いだ。
恐らくこの姿を見ている一般人は居ないだろう。
家々を越え、塀を越えたその先、やや沖にある一隻の船。


「お、おい! 何かこっちに来るぞ!」

「ひぃっ……バケモノ! 早く撃ち落とせ!」


船が慌てたようにシューターを撃って来ても、竜化したエルゥへのダメージは微々たるもの。
迫って来る巨体にようやく逃げようとしても遅過ぎる。

一瞬だった。
船に掛かった巨大な影は、その持ち主に瞬時に潰される。
船体の半分以上がバラバラに砕けて運の悪い者は何人も潰された。
助かった者も沈没して行く船から次々と海に投げ出され、これ以上の攻撃は不要と判断したエルゥは、水平線の果てまで揺るがしそうな咆吼を上げる。


「全軍、突撃!!」


届いた恐ろしい咆吼に怯みそうになるのを抑え、すぐさま命じるエフラム。
ゼトにミルラを託して進軍していると、やがて西の空から黒竜が戻って来た。
あの竜の正体を知っている仲間まで思わず武器を構えてしまう程の恐怖と威圧感。
エフラムはそれを見て、苦笑しながらぽつりと呟く。


「俺は、とんでもない人物を仲間にしてしまったのかもしれないな」




−続く−


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