聖魔の娘
▽ 4


そこで話題が終わった事に、エルゥはホッとする。
これであの双聖器がサレフの手に渡れば願ったり叶ったりだ。
強力な武具を渡しておけば、いつか自分が父の跡を継いだ時に殺して貰い易くなる。
何にせよ自分はあれを使えないのだから。

ヒーニアスが王となったヨシュアに、ジャハナへの親書を渡す。
共に戦おう、とのヒーニアスの言葉に迷わず頷いて握手を交わした二人。
これでルネス、フレリア、ロストン、ジャハナと、大陸の4国が揃った事になる。
これを知ればきっと兄エフラムも喜んでくれるだろうとエイリークは笑顔で二人を見るが、その心の奥には、決して口には出せない想いを抱えている。


「(出来る事なら……リオン、あなたとも同じ道を歩んでいたかった)」


エイリークがそうして親友に想いを馳せた瞬間。
地下への階段をフレリアの伝令兵が転げ落ちそうな勢いで下って来た。


「大変です! 王宮の各所から火の手が上がっております! お逃げ下さい!」

「なに……!?」

「前もって油が撒かれ松明が仕掛けられていた模様! 先程の戦いのさなか、何者かが工作したものかと……」


言っている間に煙が少しずつ入り込んで来た。
息が苦しくなりそうな程の熱気を感じるのも気のせいではないだろう。
ここは地下、もし火の手が回れば逃げ場は無い。
ゼトがエイリークの手を取った。


「エイリーク様、お早く脱出を」

「分かりました、行きましょう皆さん!」


次々と地下祭壇を出て行くエイリーク達だが、ヨシュアは最後まで残り、もう動かない母を悔しげに見ていた。
とても連れて行く余裕は無い。
立派な葬儀は無理でも、せめて丁寧に弔いたかった。
母を置いて立ち去る為の一歩を踏み出せないヨシュアの腕を、エルゥが掴む。


「ヨシュア何をしているの、早く逃げないと……!」

「……分かってるさ。お許し下さい、母上」


最初の一歩さえ踏み出せれば、後は導かれなくとも自分で逃げられる。
母の遺志を継ぐと決めたからにはここで死ぬ訳にいかない。
後ろ髪を引かれるような思いを振り切り、ヨシュアは地下を、母の側を脱した。



「お兄様、エイリーク! 無事でよかったぁ!」


王宮を出たエイリーク達を真っ先に迎えたのはターナ。
フレリア精鋭の面々と一緒に居たようで、先に脱出していたらしい。
エイリークは彼女の無垢な顔を見て心の底から安堵した。


「心配かけてごめんなさい、ターナ。逃げ遅れた人はいない?」

「ええ、ちゃんと全員いる。後はエイリーク達だけだったの。もう少しで王宮の中に戻るところだったわ」


犠牲者が居なかった事で、これで終わったと思っているのだろう。
しかし呑気な妹と違いヒーニアスは苦い顔をしていた。


「……すぐに兵を纏めるぞ。敵が来る」

「え? お兄様、もうジャハナを襲っていたグラド兵は倒したでしょう?」

「この状況で王宮に火を放った。我々を燻り出し、そこを叩くつもりなのだ」


果たして、その予測は現実のものとなる。
グラド軍の増援がこちらへ向かっていると報告が入って来た。
相手は帝国将軍ヴァルターとケセルダの二軍。
エフラムがグラドを攻めているというのに、帝都の守りを捨ててまで来たというのか。
それとも既に……? エフラムが勝っていても負けていてもおかしくない。

ハミル渓谷から激戦の連続で、強力な軍を二つも相手する余力は残っていない。
王宮が無事であれば篭城戦を行い回復しながら迎撃できたのだが……。
こうなっては一時撤退するしかなかった。



ジャハナは町から離れる程に街道が頼りなくなって行き、すぐさま砂漠に埋もれてしまう。
撤退中のフレリア軍の足は砂に取られ、進軍速度がどんどん落ちて行く。
休もうにも砂の海の上では木陰の一つも無かった。
エルゥはちらりと目をやったエイリークが、虚ろな目をして歩いている事に気付く。
ゼトは今、兵の統率や伝令の確認に行っていて側に居ない。


「エイリーク」

「……」

「エイリーク、しっかり!」

「っえ……! あ、エルゥ……」


かなり朦朧としていたようだ。
無理も無い、昼間の砂漠は尋常ではない程の暑さ。
寧ろ“熱い”と言った方が正しいような気さえする。


「大丈夫? ちょっと休んだ方が良いわ」

「平気です。辛いのは皆、同じ事。私は一応フレリア軍の指揮を任されています。そんな私だけが休む姿を見せる訳にはいきません。状況はどうなっているでしょうか」

「今ゼトが確認に行っている筈よ。もうすぐ戻って……」


言っているとゼトが戻って来た。
大抵ポーカーフェイスの彼だが、今は強張ったような表情をしている。
その顔と雰囲気からして拙い状況である事は容易に想像できた。


「ゼト、状況を教えて下さい」

「……ロストン聖騎士団は壊滅した模様。グラド軍の追撃は間近まで迫っております。エイリーク様、我々が食い止めている間にどうかお逃げ下さい」

「……!?」


ゼトの言葉にエイリークは目を見開く。
ラーチェルと共にロストンへ逃れれば手厚く保護してくれるだろうと彼は言う。
それは出来ない、とエイリークが言う前に、ヒーニアスが割り込んで来た。


「ターナも共に連れて行ってくれ。エルゥ、君に頼まれて貰いたい」

「私ですか?」

「君が竜化すればエイリーク達を乗せる事は造作ないだろう。我がフレリアの天馬騎士を囮にすれば、一気に振り切る事も可能ではないか?」

「……出来るか出来ないかで言えば、出来ます。しかし……」


エルゥはエイリークを見た。
彼女は先程の朦朧とした様子を捨て、意思の強い瞳で凛とした声を放つ。


「逃げる事は出来ません。私はルネス王女として、最期まで戦ってみせます。それに……ここで諦めたら、兄上に叱られてしまいます」

「よくぞ仰いましたわ!」


いつ側に来ていたのか、ラーチェルの声が割り込む。
彼女は平素通り自信に満ちた瞳を星のように輝かせていた。


「わたくしはロストンの聖王女ラーチェル! 正義の使者として悪のグラドに負ける訳には参りません!」


そのいつも通りの様子に、エイリークは知らず笑みを零していた。
だいぶ心が軽くなったような気がする。
エイリークもラーチェルも逃げる気は無い。きっとターナも同じだろう。
それにエルゥには懸念があった。
先程リオンから感じた魔王の力の影響により、竜化してはまずい状況にある。
今 竜化してしまえばとんでもない事になる危険があった。


「ごめんなさい、調子が悪くて今は竜に化身できないんです……。けれど私も戦います。こんな所で諦めていられませんから」


エルゥがそう言った瞬間、伝令の天馬騎士が舞い降りて来る。
ついにグラド軍が現れた。
西にケセルダ率いる部隊、南にヴァルター率いる部隊。
砂漠の中での過酷な戦いが始まった。

誰もが暑さによって体力を消耗させられている。
グラド軍も同じだと信じたいが、連戦していたこちらとは体力の消費量が違うだろう。
敵の剣を避けた瞬間、砂に足を取られてバランスを崩したエルゥ。
そこに追撃が来て咄嗟にサレフが魔法を放ち倒してくれたが、足を浅く裂かれてしまった。


「エルゥ様、お怪我を……!」

「大丈夫よサレフ、このくらいなら平気……」

「まあエルゥさん、足から血が出ていますわ!」


ラーチェルがやって来て、エルゥの足を杖で治療する。
この激戦の中では彼女の回復魔法がいつも以上に有難い。


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