聖魔の娘
▽ 2


「ラーチェルどうしたの、一人で行っては危険よ!」

「まあ、こんな所に居ましたのねレナック!」


宝物庫の中には、どこかで見た覚えのある軽薄そうな若い男。


「げ、ラーチェル様……」

「何ですのその反応は。全く迷子になるなんてしょうがないですわね。さ、行きますわよ。今度は迷わないようしっかり付いて来なさい」

「いやだから俺はドズラのおっさんと違って雇われなんですよ。ルネスまでの護衛って仕事はちゃんと果たしたはずでしょ? まあその後も、報酬も貰えずあちこち引っ張り回されましたけどね……」


彼がラーチェルお付きのドズラの名前を出した事で思い出した。
カルチノ共和国の貿易港キリスでラーチェルと一緒に居た男だ。
この会話の雰囲気からしてやはり彼は道に迷った訳ではなく、自分の意思でラーチェルの元を離れた事が分かる。

善行はお金を得るよりも尊くて素晴らしい事ですのよ、更なる正義の為にわたくし達と共に悪しきグラドを打ち倒しましょう、
なんて自分と全く価値観の違うラーチェルの話にうんざりしたか、若い男……レナックは標的をエルゥに変えて来た。


「こんな所に飛び込んで来たからにはあんたら軍隊なんだろ? なあ、俺を雇わないか? 今なら一万ゴールドだ」

「一万、って……」

「どんな扉や宝箱の鍵でも開けてみせるぜ。剣だって使える。どうだ、役に立つだろ?」


人の世にあまり慣れておらず金銭感覚には疎いエルゥだが、それでも一万ゴールドがかなりの金額である事は分かる。
大事な軍資金、しかも大金を勝手な判断で使ってしまう訳にはいかない。


「ちょ、っと、私の一存じゃ決められないかな……というか、鍵開けが得意な仲間ならもう居るから……」

「いや、待ってくれ。じゃあ9980ゴールド、それでどうだ!」

「レナック、いつまで遊んでいますの!? 早くイシュメア様を救い出すのですわ!」

「……」


ラーチェルの声が響いた瞬間、レナックは別人のように項垂れる。
どうにも彼女には勝てないらしい。
かなり振り回されて来た事が窺える彼の態度が少々哀れに思え、エルゥはちょっと慰めてあげた。


「えっと。すぐさま一万ゴールドなんて無理かもしれないけど、後で指揮官に話してみるわ。お給金はちゃんと貰えるようにしてあげるから」

「……あんた、良い人だな。あのケチな聖王女様とは大違いだ………」


本気で感心したように言うレナックに、苦笑するしかないエルゥだった。



やがて陽動をしていたフレリア軍が正門を完全に掌握した。
そこからなだれ込んで来た彼らにグラド兵達が次々と敗れて行く。
エイリーク達が別所から侵入したという情報が遅れて入ったのも効いたようだ。
指揮系統が乱れ、訳も分からぬうちに同士討ちするグラド兵まで現れていた。

ヒーニアス達とも合流し、一行は玉座の間へ。
一番に飛び込んだのはここまで案内してくれたヨシュアで、彼は壮美な玉座の元に居る男に真正面から対峙した。
その姿を見た男が驚愕に目を見開く。


「あなたは……まさか……!?」

「カーライル、なぜ血迷った。誰より忠実だったお前が女王を敵に売り渡すなど……」

「違う。私は……、あの方が欲しかった」

「……!?」

「あの方が悪いのです。あの方はあまりに美し過ぎた。二十年前、初めてお会いした時に心を奪われてから、私はずっと……騎士として決して口にしてはならぬと自分を戒めながら……」

「だからグラドに寝返ったというのか? 今になって何故だ」

「あるお方に尋ねられたのです。本当にそれで満足なのかと。私はその言葉に触れて自分の気持ちに気付かされた。ひたすらに自分を殺し、想いを打ち明けられぬまま死んで行く……。そんな虚しい思いはしたくない。私は決めたのです。自分の思いに従いあの方を奪うと」


なぜこの男と旧知のような会話をしているのか、あるお方とは誰なのか、気になったが決して割り込めない空気を感じて誰もが黙り込んでいる。
男……カーライルと呼ばれた彼に先頭で対峙するヨシュアの顔は仲間の誰にも見えないが、声は怒りとも悲しみともつかぬ色を含んでいた。


「それで女王が喜ぶと思うのか? 国を傾け、民を戦わせて……」

「国などいりません。民などどうなろうと構わない。私はただイシュメア様さえ居て下されば……」


これ以上の問答は無用だと思ったか、ヨシュアが剣を構えた。
カーライルも同じく得物を手にしてヨシュアに対峙する。
何も言われなくても、この戦いに水を差そうとする者は居なかった。

先に仕掛けたのはヨシュア。
一気に踏み込んだ斬撃をカーライルは受け止める。
お互いに素早さを武器にした戦法を得意とする二人。
相手を伺いながらの攻撃はやがて目で追うのも疲れる程の剣戟へと発展する。

拮抗する勝負はやがて、ヨシュアの突飛な行動で決した。
それまで一心に剣を振るっていた彼が、突然姿勢を低くしてカーライルの足を蹴った。
バランスを崩した瞬間を一秒たりとも違えず、低姿勢の位置から剣を突き上げカーライルの心臓を貫いたヨシュアは、吐血した彼から剣を抜いて倒れ伏した姿を見下ろす。


「……こんなみっともない戦い方を覚えた事、お前は嘆くんだろうか。俺も生きるのに必死だったからな。でもお前から学んだ剣術はいつも側にあった。俺がこうして生きていられるのはお前のお陰なんだぜ、カーライル」


その声音に含まれていたのは親しみと寂しさ。
誰もが何も言えずに立ち尽くしていたが、ヨシュアが振り返って場を動かした。


「女王を探そう。地下に祭壇があるんだ、監禁されているかもしれない」


こっちだ、と再びヨシュアが仲間を導く。
付いて行く仲間達の後を追おうとしたエルゥは、エイリークが事切れたカーライルを立ち尽くして見ている事に気付いた。


「エイリーク、どうしたの?」

「エルゥ……私は、この方を心から憎む気にはなれません」

「え?」

「彼の行いは許されないでしょう。ですが女王への気持ちは純粋で本物だったように思います。気になるのは彼が言っていた、“あるお方”の事……」


彼の純粋な想いを利用した者が居る。
真に許せないのはその人物なのではないか。エイリークはそう言う。


「……そうかもしれないわね。彼は許されない、けれどそれ以上に……」

「エイリーク?」


突然、エルゥが聞いた事の無い声がした。
しかしその声を聞いたエイリークは驚きに目を見開き、勢い良く振り返る。
騎士達は残党の処理へ向かい、ヨシュア達は地下へ行ってしまった。
玉座の間に居るのは既にエイリークとエルゥの二人だけだったが、そこには薄紫の髪の穏やかそうな人物の姿があった。
彼は一歩引いて立ち去ろうとしたが、そうさせないうちにエイリークがすぐさま駆け寄る。


「待ってリオン! 逃げないで! ずっと会いたかったんです……!」

「あ……」


リオン。
彼がグラドの皇子だと知り、エルゥはどうすべきか迷った。
エイリークの友人で優しい人物だとは聞いたが、一応 今は敵国の皇族だ。
彼自身がエイリークに害を成す気は無くても、部下の誰かが、とは考えられる。
しかしエルゥが迷って動けない間に、エイリークはリオンの側へ行ってしまった。


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