聖魔の娘
▽ 3


「(……グラドの双聖器は……黒斧ガルムと魔典グレイプニルか。持ち出して使っている将軍は居るのかしら?)」


そんな強力な武器まで持ち出されて攻撃されては危ない。
それは大人数で行っても同じ事だろうが、少数よりは良いだろう。

ちなみに伝令兵はエフラムの状況も教えてくれた。
グラドのリグバルド要塞を陥落させ帝都へ向けて進軍しているそうだ。
無茶な真似を……と溜め息を吐くヒーニアスだが、エルゥはそれを聞いて痛快な気持ちになる。


「(エフラムなら遣り遂げてくれるわよ、必ず)」


心の底からそう信じ切っているエルゥは、ミルラの無事だって確信している。
そんなエルゥにラーチェルが馬上から声を掛けて来た。


「エルゥさん、これは正義の戦いですわ! 早いところグラド軍を蹴散らし、女王イシュメア様をお救いしましょう!」

「イシュメア様……その方がジャハナの王様なのね?」

「ええ。白沙の女王イシュメア様。それはそれは絵画のように美しい方で、夫である前国王を亡くされてからお一人で国を治められていますの。王子様も行方知れずのままで、きっとお辛い思いをされていますわ」

「王子様が?」


知らない情報を次々と話され疑問符を浮かべるエルゥに、ラーチェルが声を潜めてこっそりと教えてくれる。
イシュメア女王には一人息子が居たそうだが、ほんの少年の頃に国を出奔してからずっと行方知れずのままらしい。


「自分の意思で出て行ったの……」

「どうもそのようですわ。イシュメア様は再婚もされず、国に心血を注いで来られました。それを見ていて重責に耐えられなくなったのかもしれません」

「……」


跡を継ぐ重責に耐えられず逃げ出した。
ただの想像ですわよ、とラーチェルは付け加えるが、有り得ない話でもないと思うエルゥ。
重責から逃げ出したくなる心当たりはエルゥにもあるからだ。

その王子が今も生きているなら、母と国の危機をどう思っているだろうか。
心を痛めているのか、もう自分には関係無いと知らぬ存ぜぬなのか。
せめて前者なら良いと部外者ながら思ってしまうエルゥ。
そうして辛さに顔を歪めているのを勘違いされたのか、ラーチェルが明るく宣言する。


「エルゥさんのお力と神のご加護があれば心配ご無用ですわ! ロストン聖騎士団到着まで持ち堪えれば わたくし達の勝利です!」

「……ロストン聖騎士団?」


ロストン聖教国はジャハナの隣、大陸の北東部にある国だ。
なぜそんな国の騎士団がジャハナへ向かっている事を知っているのだろう。
戦時中の軍の動きなど機密も機密だろうに。


「ラーチェル? あなたどうしてそんな事を……」

「えっ? ……風の噂ですわ。わたくしの所に来る風は優秀ですの」

「噂って、そんな噂が流れるなんて大事だと思うけど」

「……さあ、エイリークにも教えて元気づけなければ!」

「ちょ、ちょっと!」


あからさまに誤魔化して、ラーチェルはエイリークの元へ。
エイリークもすんなり信じるとは思えないが、グラドと苛烈な戦闘が待っているであろう現状では、確かに勇気づけられる噂だろう。
それが本当ならばこんなに心強い事も無いが……。

ハミル渓谷は、両側を険しい崖を持つ山々に挟まれた地帯。
このまま進めば後退は困難、覚悟を決めなければならない。
エイリークは傍らのラーチェルへ問い掛ける。


「ラーチェル、先程のロストン聖騎士団の情報……信用しても? 本当に到着するのであれば このまま渓谷の奥へ進軍する事も可能ですが……」

「大丈夫です。ロストン聖騎士団は必ず来ます。それまで何とか持ち堪えれば勝利は確実ですわ」


珍しいラーチェルの真剣な表情と声音に、エイリークは進軍を決めた。
急がねばジャハナがグラドの手に堕ちてしまいかねない。
時間を掛ければ掛けるだけ、エイリーク達もジャハナ王国も危険が増す。

渓谷の前方、やや開けた土地にグラド軍は布陣している。
斥候によると重騎士と弓兵が多く、遠くへ矢を飛ばすシューターも備えているとか。
いよいよ本気の戦力の一端を向けて来たようだ。
エイリーク達の接近に気付いたか、シューターが矢を射って来る。
負傷兵はすぐさまナターシャやモルダ、ラーチェルが回復し、ともすれば止まってしまいそうな隊の足並みを必死で進める。
そんな折、背後から伝令がやって来た。


「ご、ご報告します! 後方から敵襲です! パブロ率いる傭兵団のようです!」


息を飲むエイリーク達に、ゼトが進み出て数を訊ねる。
聞けばほんの小隊だけで大した数ではないらしい。
ゼトはエイリークに向き直った。


「エイリーク様、前方の布陣は重騎士が中心で強固です。ここは一旦引いて後方の敵を倒し、体勢を整え直すのも手かと」

「そうですね……」


ゼトの提案に決まりかけた、その瞬間。
エルゥの脳裏に不吉な予感が渦巻いた。
これは……間違い無い、竜族が持つ、害あるものを予知する能力だ。
頭に浮かぶ映像はそれなりにはっきりしている。
後退したエイリーク軍を、パブロ率いる多数の傭兵の本隊が襲う光景。
どうやら今 後方に居る小隊は先行隊で、後から本隊が来るようだ。
そして前方からはグラド軍がやって来て挟み撃ちに……。


「駄目よエイリーク!」

「えっ?」


突然大声を上げたエルゥに、その場に居た者達が驚く。
夢中だったエルゥは一気に注目を浴びた事でビクリと体を震わせるが、緊張している場合ではないと自分を持ち直した。


「見えたの。後方の傭兵隊は先行して来ただけ。もっと後方から本隊が追って来る」

「見えた……まさか兄上が仰っていた予知能力ですか?」

「ええ。後退しては駄目。今のうちに進軍して前方の布陣を崩さなければ、挟み撃ちにされるわ」


エルゥの力はエフラムが随分と信頼していた。
それが無ければ今頃、自分は死んでいるとまで言っていたのだから。
エイリークもレンバール城で手槍から守って貰っている。

ラーチェルが言ったロストン聖騎士団の件など、先程から齎されるのは曖昧な情報ばかり。
正しければ助かる可能性が高い、しかし間違いならば全滅の危険もある。
これを信じるか信じないか……指揮官のエイリークに委ねられている。
少しだけ迷っていたエイリークだったが、自分でも意外に思うほど早く決断が出た。
エルゥを信じ、進軍する。
あの兄があれだけ信頼していたのだから自分も信じたい。


*back next#


戻る


- ナノ -