聖魔の娘
▽ 2


サレフが心配そうにミルラの行方を訊ねる。


「エルゥ様、ミルラ様は今、いずこに……」

「彼女はエイリークの兄エフラムと共に居るわ。エフラムはフレリアの正規兵と共にグラド帝国へ進軍しているはず」


何でも無い調子で紡がれた言葉に、大婆とサレフが目を見開く。
すぐグラドへ向かわねばと慌てる大婆をエルゥが制した。


「大丈夫よ二人とも。エフラムは勝ち目の無い戦いなんてしない。彼は優しいからミルラを守ってくれる」

「しかしエルゥ様、その者は最前線に居るのでしょう。いくら守ると口先で誓っても、すぐにそんな場合ではなくなります」

「ミルラ自身がエフラムに付いて行くと決めたの。それにエフラムは絶対に約束を違えないわ。必ず成し遂げる、そういう人だもの」


エフラムへ確固たる信頼を寄せるエルゥに、ポカラの二人よりエイリークとヒーニアスが驚いた。
半月ほど生死を共にしていたとはいえ、出会ってまだ一月程度しか経っていないのに、自分の命より大事なミルラを全面的に預けられる程 信頼を寄せている。
微塵も心配していない訳ではなかろうが、完全に委ね切っている。

エイリークは半身たる双子の兄が、伝説の竜人にここまで信頼されている事に嬉しくなった。
当然エイリークも兄の事を信じている。
きっとミルラを守り抜き、無事に再会できるだろう。

大婆とサレフはエルゥの言葉に押し黙り、反論はしなかった。
信奉する竜人がそこまで言うなら異を唱える訳にもいかないのだろう。
ここからグラドへ向かうならジャハナを通るのが一番近い。
ラーチェルの提案によりサレフも同行する事になった。



その日の晩。
エルゥは話したい事があると言い、一人で大婆とサレフの元を訪ねた。
サレフは疑問符を浮かべているが、大婆は思い当たる事があるのか訳知り顔だ。


「エルゥ様、お話とは……」

「大婆には彼女が里長の地位を継いだ時に教えているんだけど……。サレフ、そろそろあなたにも教えておかなければならない事があるの。とても重大な事」


真剣な顔で告げるエルゥに、サレフも同様の視線を返す。
大婆はそんなサレフに声を掛けた。


「サレフ、これからお前が聞くのは信じ難い事実じゃ。しかしエルゥ様はエルゥ様、それに変わりは無い。……お前はわしに比べるとだいぶ真面目で堅物じゃからの。悩みもするだろうが、エルゥ様の本質を見て差し上げなさい」


何故か大婆の表情や口調が心配そうなもの。
一体これからどんな話をするのか……顔には出ないがサレフの心に動揺が走る。
エルゥはそんなサレフが少しだけ心配になったものの、竜人の自分を慕ってくれている彼が里長の孫である限り、出来るだけ早いうちに言っておかなければならない事がある。
魔物の跋扈に禍々しい気配……時間が無くなって来ているように思えるからだ。


「サレフ、よく聞いてちょうだい。私は……」


そして、エルゥは話した。
自分以外には竜族長のムルヴァと里長である大婆しか知らない重大な事実。
人間は自分の都合の良いように歴史を残すと大婆は言ったが、エルゥも真実を隠して都合よく振る舞っている一人だ。
ミルラでさえ知らないその事実は、竜人を奉るポカラの住人であるサレフに衝撃を与える。


「エルゥ様、それは……!」

「今 話した事は全て事実よ。これを聞いてあなたがどうするかは、あなたの自由。これからも私達 竜人に関わってくれるなら、一つ約束して欲しい事があるの」


サレフを襲った衝撃が抜けるような気配は無いが、エルゥはお構い無しに続きを話す。
一つ深呼吸して自分の心を落ち着けてから、これから話す内容には全くそぐわない、優しい笑顔を浮かべて。


「もし私が父の跡を継いだら、私を殺してね」

「……」

「あなた一人に背負わせるつもりは無いわ。きっとエフラムやエイリーク達も協力してくれる。……手心なんて加えちゃ駄目よ。私の血筋は途絶えさせなくちゃいけないの」


穏やかで、優しくて、美しい微笑み。
その微笑みのまま紡がれる残酷な言葉と約束。
普段ほとんど表情の変わらないサレフは珍しく驚きに目を見開き、言葉を出せずに居る。
大婆はそんな孫を気遣うように、優しく言い聞かせた。


「サレフ……わしも初めて聞いた時はお前のように衝撃を受けたよ。無理も無い。信じていたものが崩れて行く思いなのじゃろう。だが、さっきわしが言った事を忘れるでないぞ」


エルゥはエルゥ。
エルゥの本質を見ろと大婆は言った。
サレフは震えそうになる声を必死で押さえながら、しかし視線と言葉だけは毅然とした態度を見せる。


「エルゥ様、私はポカラの民です。竜人様を信じ続けます」

「ありがとう。まあ、殺して欲しいのは私が父の跡を継ぐ選択をした場合だから」


自分を信じてくれているサレフに辛い思いをさせるのは、エルゥとしても不本意だ。
これからどんな運命になりどんな選択をするかは彼女自身にも分からない。
出来れば生きていたいなあ、なんて贅沢な事を思いながら、美しく輝くポカラの夜空を眺めるエルゥだった。



翌朝、エイリーク達はポカラの里を出発する。
竜人様だけでなくサレフの事も頼む、と言う大婆に、エイリークは微笑ましく頷く。
そこには孫を心配する優しい祖母の姿があった。

ジャハナ側の山道は登りのカルチノ側より幾らかなだらかで、休んだ後と下りなのも相まって一行は軽い足取りで降りて行き、やがてジャハナ北のハミル渓谷へ辿り着いた。
そこへ西の方角から一騎のペガサスナイトが舞い降りて来る。
見れば貿易港キリスでヒーニアスの危機を知らせに来た伝令兵。
彼女はヒーニアスの無事を確認すると心底安心したように胸をなで下ろす。

彼女がフレリア本国から持って来た報せは、フレリア軍がカルチノに進軍し、裏切り者のパブロ率いる傭兵団と交戦中というもの。
長老クリムトの協力もあり、次々と敵を撃破しているようだ。
そしてパブロ一党は南へ南へと撤退し、ジャハナ方面へ向かったと……。


「ジャハナは既にグラド軍の攻撃を受け、激しい交戦状態にあるようです。恐らくパブロはグラド軍と合流するつもりでしょう」

「ジャハナの戦況は?」

「……旗色は……思わしくないようです。このままでは陥落も時間の問題かと」


エイリーク達の雰囲気がぐっと固くなる。
急がねばジャハナの聖石が破壊されかねない。

エルゥは少し離れた所でそれを聞いて、また自分が竜化して先行すれば……と思ったが、少し考えればそれは無茶な事だと容易に分かる。
ジャハナを攻めているのは、ヒーニアス達を助ける時に相手したような傭兵集団ではなく、グラドの将軍率いる訓練された正規兵の筈だ。
一人で行くのは勿論、多数の仲間やフレリアの兵達を置いて行くのは余りに無謀。
竜化したエルゥとて無敵の存在ではない。


*back next#


戻る


- ナノ -