聖魔の娘
▽ 1


魔物の群れを退けポカラの里に辿り着いたエイリーク達。
すっかり夕暮れになった山脈の隠れ里、茜色に染まるその場所は、質素な建物がまばらに建つ小さな集落だった。

サレフが先導して向かう先には一人の老婆。
頭までをすっぽりと覆うローブを身に纏い、腰は曲がり顔も手も皺だらけ。
だがその小さな体に確かな威厳を感じる。
彼女がユアンの言っていた“大婆様”で、里の長。
深くこうべを垂れるサレフとユアンの間をすり抜け、エルゥが進み出た。


「大婆、久し振りね」

「竜人様! よくぞご無事で……!」

「私もミルラも無事よ。心配をかけてごめんなさい」

「滅相もございませぬ。これも我らの不徳の致すところ……」

「もう、相変わらず真面目ね。サレフそっくり。ところでこの人達なんだけど」

「待って下さいエルゥ。自分でご挨拶します」


紹介しようとしたエルゥを遮り、エイリークとヒーニアスが進み出る。
名を名乗り身分を明かして、急を要する旅で里を通らせて欲しいと頼んだ。
大婆は少々考え込み、試すように口を開く。


「ふうむ……わしら里の民は竜人様に仕える身、俗世には染まらぬ。この里に来たからには王族も奴隷もみな同じ。身分など関係の無い扱いだが、それでも良いのかね?」

「承知した。我らは郷に従おう」


ヒーニアスがすぐさま返答し、エイリークも異存なく頷く。
それならば全員里の客人だと大婆は歓迎の姿勢を見せた。


「怪我をしている者には岩ゴケが効く。すぐに処方してやろう。何も無い所じゃが寝床と食事ぐらいは用意できる。好きなだけ休んでお行き」

「いえ、通らせて頂ければそれで構いません。ご迷惑をお掛けする訳には……」


エイリークの一団はそれなりの大人数だ。
こんな人数で質素な里にお邪魔する訳にはいかないと遠慮するエイリークだが、エルゥはそれを笑顔で制する。


「遠慮しないでエイリーク、あなた今にも倒れそうよ。高い山に慣れていない人が無理をして歩き回ると具合が悪くなるの。もう日も暮れるし、せめて一晩くらいは休んで行かないと。大婆、エイリークや症状が出ている人に薬草茶を用意してあげましょう」

「ええ、すぐに。……娘子、他の仲間も疲れておるようじゃ。急いては事を仕損じるぞ。このような山に登ってまで成し遂げねばならぬ事があるのだろう?」

「……分かりました、お言葉に従います。えっと……」

「わしの事は大婆と呼んどくれ。里の者は皆、そう呼ぶ」

「はい、大婆様」


素直なエイリークの返事に、大婆は嬉しそうに目を細めた。
孫娘でも見ているような気分になっているのかもしれない。

ようやく本格的に休めるとあって、誰もが安堵の息を漏らしていた。
里には何も無い。代わりに全て吸い込んでしまいたくなる清らな空気が満ちている。
具合の悪い仲間への薬草茶作りを手伝い終えたエルゥに、エイリークが声を掛けて来た。


「あの、エルゥ。少し訊きたい事があるんです」

「どうしたの急に」

「竜について、私はあまりにも無知です。あなた方の事、昔の事……。もし差し支え無ければ教えて頂けませんか?」

「うーん……自分の事を話すのは照れ臭いわね。大婆に訊いてみたらどうかしら。きっと教えてくれるわ」


照れ臭いだけでなく後ろめたさもあるのだが、それは言えなかった。
エルゥは通り掛かった大婆とサレフに事情を説明した。
大陸の事ならばとヒーニアスも同席し、竜の話を聞けそうだとあって目を輝かせたラーチェルもやって来る。
大婆は感心して息を吐いた。


「若いのに感心な者達じゃ。無知は恥ではない。真の恥は無知であるのに有知と思い込む事、無知である事を知ったのに恥じぬ事こそが恥」


一息おいて、大婆は語り始める。
エルゥたち竜人様とは昔から人間を守ってくれている存在。
古の時代、魔王がこの地に現れた時も人間に力を貸し、その加護があったからこそ人間は魔王に打ち勝てたのだと。
人間達の間にそんな話は伝わっておらず、五人の英雄が主力となって戦い、五つの聖石の力によって魔王の力を封じ、英雄グラドがとどめを刺して戦いを終わらせたと……人間の事だけ。
その話を聞いた大婆は嘆かわしそうに首を振った。


「人間は自分の都合の良いように歴史を残すでのぉ……。そうして人間達がご恩を忘れてしまってからも、エルゥ様達は闇の樹海で魔王の骸を見張り、そこから湧き出して来る魔物が外へ出ないよう防いで下さっておるのじゃぞ」

「そうだったのですか……エルゥ、私達は何も知りませんでした。ごめんなさい」

「気にしないでエイリーク。確かに私も戦い続けていたけれど、父の功績あってこそよ。私としては、謝罪よりお礼を言って貰えた方が嬉しいかな」

「ふふ、そうですね。ずっと人間を守って下さってありがとうございます」


微笑ましく話すエルゥとエイリーク。
ヒーニアスは黙って聞いており、特に何かを言おうとはしない。
ラーチェルはわくわくした態度を隠そうともせず、胸元で祈るように手を組むと輝かんばかりの羨望の眼差しを向けて来る。


「やはり、やはりエルゥさんの生き様は英雄の理想型の一つですわ! 人知れずとも戦い続け平和を守る……なんと崇高で清き行いですの? もうわたくし目眩がしそうな思いですわ……!」

「……サレフ、彼女に薬草茶のお代わりあげてちょうだい」


わたくしの体調は万全ですわよ? と、疑問符を浮かべるラーチェルに、エルゥの真意は伝わらなかったようである。

その時、それまで黙っていたヒーニアスが口を開いた。


「大婆殿。我々はここへ来るまでに魔物の群れと遭遇した。エイリークの報告によれば我々の住む地にも魔物が現れ始めている。この事態は一体……」

「うむ、南より現れた凶兆のせいじゃ。空を黒く染める禍々しい気配……。それを確かめる為にエルゥ様とミルラ様は樹海を離れ南へ向かわれた。わしら里の者達もご協力しようと、わしの孫サレフが共に旅立ったのじゃ」


しかし戦火に巻きこまれた挙げ句はぐれてしまい、そうしてエルゥはエフラムと出会った。
我々が不甲斐ないばかりに、と改めて謝罪する大婆とサレフだが、あれはもう運命のようなものだったのではないかとエルゥは考える。
きっとああしてエフラムと出会う為、そうして今のようにエイリーク達と行動する為、エルゥ達はサレフとはぐれたのだろう。


× next#


戻る


- ナノ -